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潔癖症ほどテロリストになる

皆さんは陰謀論とかお好きですか?
世界を裏から操ってるフリーメーソン主宰の「300人委員会」とか、また同じような形でユダヤのロスチャイルド家とか、ネットを見てるといくらでもそういうネタが出てくる。
このての陰謀論をついつい信じてしまう大衆の心理背景としては、つまるところ多くの人が公式な権力機構を信じてないことがあるんだと思う。
たとえば世界で最も権力があるとされる米国大統領にしても、実は彼よりさらに上の権力機構がウラにはあって、大統領なんてオモテの存在はウラの傀儡にすぎない、という理屈ね。
そして、そのウラという存在が特定の個人ではなく、なんか得体の知れない闇の組織というのがキモ。
イメージとしては、政界や財界や貴族社会や軍の長老格がみんな暗い一室で集まって会議してる、という妙にふわっとしたファンタジーである。
そう、あくまでファンタジーなんだよ。
ただ、このファンタジーには妙な求心力があるもんだから、たとえば一部のイスラム教徒は「この世の全てはアメリカにウラで操られてる」という陰謀論に基づき、ウラを潰す正義の執行の方法論としてテロを仕掛けてるわけだ。

9.11テロ

日本の226事件も、そういう類いのひとつだろう。
これを起こした将校たちも、一種の陰謀論に取りつかれてたんだと思う。
当時の政界と財界と軍が癒着した、今でいう「300人委員会」的なふわっとしたファンタジーを国賊と認識してテロを企てたのね。
こいつらが日本をウラで操ってるからダメなんだ、こいつら全員殺して国を「正しい形」に戻そう、と。
で、その「正しい形」が何かというと、国のオモテのリーダーである天皇に権力を戻すこと。
権力はウラでなくオモテが握ってこそ「正しい形」なんだ、と。
その理屈は分からんでもないんだが、それを聞いた昭和天皇は困っただろうね。
こいつら明治維新の時もそうだったけど、何かあるたびに権力をうちらに戻そうとしてきやがるよな、マジ迷惑だよな、と。
そもそもこのクーデター、肝心の天皇にノンアポだったらしいんだから、そりゃ失敗するわ・・・。

226事件

ただね、日本では昔からこのてのテロが多いのよ。
それこそハプスブルク家っぽく国をウラで支配するファミリーが昔から多かったわけで、藤原氏しかり、平氏しかり、そういうウラを潰して公式な幕府を作り、自分がオモテのリーダーになろうをしたのが源頼朝。
もっと原点の話をするなら、大化の改新か。
元祖日本のハプスブルク家といえば蘇我氏なわけで、当時の中大兄皇子としては「すべての諸悪の根源がウラで権力を握る蘇我氏だ」とする陰謀論に傾倒しており、多分そういう陰謀論を吹き込んだのが中臣鎌足(皮肉にも後の藤原氏)なんだろうけど、若い皇子(当時20歳)ゆえテロという妙に熱血な方法論に走ってしまったのね。
寝技に長けた老獪な蘇我氏を倒すには、逆にシンプルで熱血な打撃系が有効ということか。
ここでポイントなのが、彼が蘇我入鹿を殺害した現場は新羅・百済・高句麗の外交官がいる式典会場だったわけで、これは意図してやったんだろうね。
敢えて蘇我氏を殺す現場を外交官たちに見せ、「ほら見たか、お前らが癒着してた蘇我氏が死んだぞ?」と挑発したんだな。
若い、若いぞ皇子。
私は国際協調路線をとる蘇我氏がそんなに悪かったとも思えないんだが、少なくとも皇子のようなピュアな目には売国奴と映っていたんだろう。
「越後屋、おぬしも悪よのぉ」「いえいえ、お代官様こそ」「ぐへへへ」的な場面を直接見たわけでもないのに、勝手にそう思い込むのが若さである。
似たような売国奴のイメージで暗殺された井伊直弼の例もあるし、一度思い込まれてしまうと妄想は止めようがないか・・・。

大化の改新

で、中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼした後にどういう世界を築こうとしたのかについてだが、どうやら彼の理想は聖徳太子の治世だったようだ。
皇子にとって聖徳太子は心の英雄でありアイドルであり、蘇我入鹿を殺したのも、政治的意図以上に「よくも聖徳太子のご子息を殺しやがって!」という個人的な怒りだったんじゃないだろうか。
彼がなぜ太子を崇拝するのかというと、例のあれ、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」てやつさ。
うわ~聖徳太子、中国皇帝に対してタメの姿勢じゃん、かっこいい~、と思っていたんだろう。
だから皇子のマニフェストは基本が「外国に媚びない」であって、その行き着く先が白村江の戦いで唐・新羅に惨敗、という笑えないオチだったんだけど。
ちなみに聖徳太子は当時の中国に朝貢してたんだが、この遣隋使が今までの卑弥呼や倭の五王の朝貢と決定的に異なるポイントとして、「冊封を受けない」という譲れない一点があった。
冊封というのはヤクザでいうところの親子杯、つまり中国が親、日本が子、子は親に絶対服従、という性格のものである。
対して聖徳太子は親子杯でなく、兄弟杯、五分の杯を求めたんだね。
後の遣唐使も、この精神を継承。
これは非常に大事なポイントだったみたい。
事実、天武天皇は遣唐使派遣をしばらく見送りつつ、その間に古事記・日本書紀の編纂を命じ、歴史から卑弥呼と倭の五王の痕跡を抹消したんだ。
理由は単純、天皇家は過去に一度も中国から冊封を受けてないという体裁を作りたかったのよ。

聖徳太子

皇帝「こんにちわ、皇帝です」
天皇「どうも、天皇です」
皇帝「お前ってあれやろ、うちが昔に冊封してた倭王の家系やろ?」
天皇「いや、違うけど」
皇帝「ほら、卑弥呼とか、倭の五王とか」
天皇「卑弥呼?倭の五王?何それ。聞いたこともない」
皇帝「おっかしいなぁ。仮に昔うちが冊封した臣下の家系なら、必然的に今のお前も俺の臣下であるべきなんやけど」
天皇「だから知らんて。証拠みせようか?」
皇帝「何?」
天皇「これ、うちの先祖のこと全部書いてある古事記と日本書紀、一回読んでみて。面白いから」
皇帝「・・・ホンマや、卑弥呼も倭の五王も全然出てこない」
天皇「せやろ?だから、うちの一族は冊封の経験がないんやて」
皇帝「でもこれ、おかしいやろ」
天皇「何が?」
皇帝「紀元前660年に神武天皇が剣でヤマト征服してるけど、お前のところの縄文時代って、この頃まだ剣ないやろ?持ってるの石斧じゃなきゃおかしいやろ?」
天皇「細かいなぁ、別にええやん。とにかく大事なのは、うちの一族は卑弥呼とか出てくるずっと前から既に国の王だったってこと」
皇帝「じゃアレか、卑弥呼とか五王とか、勝手に国の代表者を名乗ってたってことかいな?」
天皇「まあ、そういうこと」

という対話を目的として、古事記と日本書紀は編纂されたわけね。
おかしな話である。
あれほど陰謀を毛嫌いしてた中大兄皇子なのに、その弟の天武天皇が歴史を書き変える、自分たちに都合よく歴史を修正しちゃう、という史上最大の陰謀をやってしまったんだから。

そういや、古事記や日本書紀よりもっと昔、確か聖徳太子と蘇我馬子の共同執筆で「国記」「天皇記」という歴史書が編纂されてたと思う。
現存すればそっちが日本最古の歴史書なんだが、残念ながら大化の改心の時に蘇我邸宅を焼いてしまって本も焼けたらしい。
ただ一説には、「国記」の方は完全焼失ではなかったので中大兄皇子に渡したらしいんだが、それも残っていない。
おそらく聖徳太子の熱烈ファンである皇子のこと、「うっわ、これ太子の直筆本じゃん!」と歓喜し、自宅に持ち帰って毎日楽しんでたんだろう。
ちゃんと保管庫にしまっとけよ・・・。
「国記」がどんな内容だったか、気になるなぁ。
古代の日本では比類なき天才だったという聖徳太子が書いたものだけに、古事記や日本書紀のようなファンタジーでなく、もっと司馬遷「史記」寄りの硬派な内容だったんじゃないだろうか。
それこそ王朝が興ってはクーデターに潰され、興ってはクーデターに潰されというループの血みどろ実録本。
皇子「これ、世に出したら臣下のクーデターにお墨付き与えるようなもんだよね」
鎌足「そもそも、皇子の祖先が王を殺して権力を簒奪したことになってます」
皇子「まずいね」
鎌足「まずいっすね」
皇子「・・・焼こっか」
鎌足「そっすね」
というやりとりがあり、「国記」が焼かれた可能性もある。
こうして真実を封印し、新たな歴史を捏造するという企画を最初に立てたのは、他でもない、本来なら陰謀が大嫌いなはずの中大兄皇子だったかもしれないね。














































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