見出し画像

YouTubeはじめます!

☆YouTubeのチャンネル名は2020年9月に変更いたしました。
特定の名称はなくし、より自由に活動して参ります。

チャンネルの趣旨自体は変わりませんので、以下、開設時(同年5月)の思いをご覧ください。

世界を未来型の高度な「江戸時代」にしよう!

21世紀は世界が江戸時代になる──という考え方があります。何をバカなという人もいると思いますが、私は本気でこれを信じています。
人が馬や駕籠で移動し、刀を差した武士が世界中を治め、あらゆる事務は紙と筆と算盤で行なわれ、皆が和服を着るようになる……などと言っているのではありません。
19世紀から21世紀初めまで人類が重ねてきた進歩、技術革新を無駄にする必要はないと思います。

では、何が江戸時代なのかというと、それは人の心、感覚、ものの考え方、自然に対する意識、世の中の雰囲気などです。
江戸時代の特長といえば、まずは世の中が平和で安定していたということ。また、利益を追求したり贅沢をする人より、公的な仕事に就く武士や、農業などを地道に行なう人のほうが尊敬された社会であった、ということです。

教育水準が高かったことも知られています。子どもがとても可愛がられ、大切にされていました。道徳心を重視し、弱い者を助けて強い者へ立ち向かうことが奨励されていました。
心の豊かさを求める人が多く、精神的に成熟した大人、老人などが敬われたといいます。
人間に限らず、動物にも慈悲の心をもつという意識が発達しました。

物も大事にし、うまく循環させていました。江戸時代後期には高度なリサイクル社会、有機物や天然のエネルギーで暮らす持続可能な社会ができあがっていたのです。
自然と深く結びついていた江戸時代の人々ですが、彼らは単に原始的だったわけではありません。高い美意識、美学をもち、江戸などの大都会を機能させ、ユニークな文化を生み出しました。

「がんばる」という言葉が、価値をもたなかったのも江戸時代の特徴でしょう。
欲をむき出しにして争うより、平和に共存したほうが、楽でかっこいいと考えていました。他の人を苦しめて得る一時的な繁栄より、皆が他人を思いやり、永続性を重視しながら生きる。これが安心の源でした。

世界中が、日本の江戸時代のように平和になることなど有り得ない、という人もいるかもしれません。
しかし、よく考えてみてください。今から150年前に「世界平和」などという言葉があったでしょうか。あったとしても、一般的に馴染みのある言葉だったでしょうか。おそらく、そうではありません。
ところが、わずか150年、いや、この戦後70年ほどの間に人類は大きく変わりました。「世界を平和にしたい」という人が億単位で現れたのです。日本では小学生でもこの希望をもち、堂々と口にします。

まだ戦争が完全になくなってはいませんが、「戦争はできればしたくない」「すべきではない」というのが、世界の多くの人々の共通意識になりました。
皆が本気で望んでいることは、必ず形になり、実現すると思います。

ただ、その道のりが平坦であるとは限りません。日本の戦国時代も、末期に大きな戦さがありました。江戸時代に入ってからも、大坂の陣や島原の乱など、一部の場所では無惨な戦いがありました。
しかし、ほとんどの土地では平和が実現し、新しい価値観が全国へ生きわたったのです。

ここ70年余り、日本は平和だったといわれます。しかし、本当に心が穏やかであったかどうかは疑問です。明治以降、日本人は江戸時代の有りようを自ら否定し、必死で世界と競争してきました。
20世紀は勝っても負けても、とにかく戦い続けた時代だったといえるでしょう。昭和初期までは武力による戦争をし、戦後も経済戦争に明け暮れてきました。

21世紀になってようやく、少しずつですが、世界の雰囲気が変わってきました。外国人の中に、日本人を心から尊敬してくれる人が増えてきたと感じます。日本人の道徳心や振る舞い、文化などは長年、謎とされてきましたが、理解される面も出てきたのです。
例えば、和食は、幕末には安上がりな食材を使った粗食と見なされていましたが、今は健康的で美味しいと評価され、繊細な心遣いや調理技術が注目されています。
もう日本人を好戦的な軍人と嫌ったり、エコノミック・アニマルと蔑んだりする外国人は、ほとんどいません。

日本人自身も、少しは自国の歴史や文化に誇りをもつようになりました。しかし、まだまだ西洋コンプレックスや戦争への罪悪感などが根深く残り、堂々と日本人の感覚で生きるには至っていません。特に中高年の人たちは、とらわれが強いと感じます。
「持続可能な社会をつくる」といっても、そのような発想、活動はヨーロッパあたりがリードしているもので、日本は遅れている、などという人もいます。

しかし、「平和」も「エコ」も「持続可能な社会」も、江戸時代にはすべて日本人に、深く根付いた価値観でした。
日本人は自分たちで長い戦国時代を卒業し、平和で持続可能な社会を創り上げました。国のご先祖全員に、その経験があるのです。
明治以降150年、忘れ去っていたこの心を、今こそ思い出すときではないでしょうか。

未来型の江戸時代は、便利で快適な社会になるでしょう。人々は時間や空間の制限なく情報のやりとりができ、深く心を通わせることさえ可能になるかもしれません。創造的で、イメージしたことが実現しやすい社会へと進化する。そう予想しています。

長い乱世の地獄を生き抜き、江戸時代の初代将軍となった徳川家康。その旗印は「厭離穢土、欣求浄土」でした。
戦さで穢れ果てたこの世を嫌い離れて、極楽浄土を求める、という意味です。
徳川の武将たちの多くは仏教徒でしたが、現実離れした信仰であの世に浄土を求めるのではなく、「この世の浄土をつくり上げる」──ということに命をかけました。
武士でありながら、「今の世は嫌だ!戦さは嫌だ!」という旗印を掲げて戦場へ向かったのです。

人を殺さなければ、殺される。他人の領地を奪わなければ、奪われる。少しでも気を抜けば、命はない。そんな地獄のような世で、平和な極楽浄土が築けるなどと、誰が信じたでしょう。
多くの人は言ったはずです。どうせこの世はひどい無法の地だ。それならば、やられる前に、悪い事でも何でもして利を得るまでだ。
道徳心? 慈悲心? そのようなものは何の役にも立たない。共感? 共存? 人の苦しみや被害について、まともに考えていたら心がもたない。だから、なるべく感覚を鈍くし、心を閉ざして走り続けるのだ。

人は力で伸し上がらなければ、他人に支配され、重い労働を課せられる上、兵として合戦にも出ねばならず、人生は苦しみの連続となる。だから、戦い続けることで、少しでも自由に、幸せになりたい。
それが、乱世の人々の考え方だったと思います。

しかし、いつになっても幸せは訪れませんでした。
そんな中、徳川家康と家臣たちは気づいたのです。
今が地獄でも、過去の経験が悲惨でも、未来までその延長で考える必要はない。本当に望む未来、「この世の浄土」を活き活きと思い浮かべてみよう。心の中はいつも自由なのだから……。

そして、ついに天下を取った時、この世に絶望した多くの日本人たちに教えたのです。
「もういいのだぞ、戦わなくても……。そんなにがんばらなくても、よいのだぞ」。

徳川幕府は、全国の武士や民に、発想を大きく変えるよう促しました。戦いはやめられる。皆でやめればいいだけだ。ぼんやりしているから殺されるのではなく、戦うから命を落とすのだ。安心し、穏やかな心をもったほうが、むしろ長生きできる。

江戸時代の安定は非常に長く続きました。日本人にはその意識が強く染みつき、今も心のどこか深いところに眠っているはずです。
江戸の感覚を呼び覚まし、更に、もっと快適で高度な未来型の社会をつくりたい。それが私の願いです。

日本の文化を、無理に外国に押しつけるつもりはありません。皆でチョンマゲを結う必要もありません。
ただ、平和に穏やかに、自然に文化的に、賢く共存していこうということです。

そのために、徳川の知恵や昔の日本人の生き方が、よい見本になると確信しています。特に、競争と戦いの価値観からどう抜け出し、心を切り替えていったのか。これはぜひ学びたいところです。

YouTubeへGO!

よろしければ、サポートをお願いいたします。