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記事一覧

読書メモ20231130

読書メモ20231130

「というのも、当時の北米における文学研究/批評において最先端と見なされていたのは、「ジュネーヴ学派」の「現象学的文学論」(あるいは「意識の批評」)だったからだ。」
「フーコーは別にして」三原好秋『思想』2023年12月号。

やっぱり思想の流行というのはあって、若き日のエドワード・サイードも博士論文は時代の学問や恩師の影響からは無縁ではなかった。

ジョン・レノンとマーシャル・マクルーハン

ジョン・レノンとマーシャル・マクルーハン

John Lennon & Yoko Ono interview with Marshall McLuhan in Toronto - December 21st 1969

ジョン・レノンとマクルーハンについては翻訳がある。
『ぶっく・れびゅう』1979.1
この雑誌には、ナムジュン・パイクのオノ・ヨーコ論も含まれている。

朝の研究20231126

朝の研究20231126

柄谷行人が言う、

「交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることはできる。」

この「現に存在するものではない」というロジックは、ここでは現に存在はしていないが、エージェント、アクターとして行為されたものとして考えられるということである。

このようなロジックは、アルチュセールの「最終審級に

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新書のためのメモ20231128

以前書いた文章。
「フォーク運動と60年代の思想」はてなブログから

 東京フォーク・ゲリラによる「新しい空間」とは何か。

 空間から音楽文化を考えるというときに、たとえば三橋一夫はフォークの定義を考察するなかで羽仁五郎について言及している。羽仁は三橋も寄稿していた「週刊アンポ」でインタビューに答えていたのである。

 東京フォーク・ゲリラの運動から考えると、これは新しい空間性の契機になったと思

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新書資料20231113

新書資料20231113

現在執筆中の著書(新書)のための資料。

中尾ハジメ氏参加。ティーチ・イン。

反戦万国博覧会(1969年8月7日〜11日)

新書メモ20231104

新書メモ20231104

一年前のFacebookの投稿。

ベッカーを読んでいて、彼は学生運動とは関わりがなかったのだろうかと思った。いわゆるラディカル社会学(ミルズやグールドナー)はアメリカの時代を反映していたと思う。

アメリカにおけるニューレフト運動は、社会学者の高橋徹のルポがあるが単行本未収録。高橋は、世界の名著(『マンハイム・オルテガ』)の解説においても一見関係ないと思われるアメリカのスチューデントパワーについ

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ジェイムズとプラグマティズム

ジェイムズのプラグマティズムは、リアリティをその起源に探るよりもそれを当てにして行動するポイントのようなものとして捉えているという理解は、鶴見俊輔の折衷主義としてのプラグマティズムへと流れるものであるだろう。

鶴見のハーバードの卒論がジェイムズだから当然と言えばそうで、それは日常的な実践としてのひとびとの行為にもつながるものだ。ひとびとの日常的知識。何とかやっていくという思想はずっと考えているこ

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メモ:ジョン・レノンとマーシャル・マクルーハン

映画 リバイバル69
服部桂氏の評。

フェスはトロント大学構内のスタジアムで行われた。プラスティック・オノ・バンドで演奏された。私はトロントに留学していたことがあるが、このスタジアムには行ったことなかった。

フェスは1969年9月に開催された。ジョン・レノンがカナダのメディア学者、マーシャル・マクルーハンと会ったのは69年12月のベッドインの時。ベッドインはDVDが出てるのだがマクルーハンとの

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柄谷行人についてのメモ。『現代思想』網野善彦特集、『探究Ⅰ』

柄谷行人についてのメモ。『現代思想』網野善彦特集、『探究Ⅰ』

『現代思想』2014年2月臨時増刊号、総特集網野善彦
柄谷行人は短い文章の中にも、そのときに考えていることが書かれていて自身の解説になっている。例えば遊動論。網野善彦について書く中で言及される。遊動論は柳田國男論としても面白い議論。また読み始める。

『探究Ⅰ』
どこまでわかっていたのかがわからないが、発売されてすぐに購入している。いきなりウィトゲンシュタインとかデカルトとかマルクスが出てくる。線

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鶴見俊輔についてのメモ

鶴見俊輔についてのメモ

鶴見俊輔というと、大衆を持ち上げて大衆の行いは全て良いというような評価があるようにも思われるが(早くは粕谷一希なんかもよく似た議論を行なっている)、しかし、鶴見の著作を少し注意深く読んでいけばそうではないことは明らかだ。

60年代の吉本隆明の大衆をめぐる論争を取り上げてみると、吉本は大衆の原像と言いながら実感として大衆を捉えている。鶴見はむしろそれをカテゴリーとして考えているところがある。穿った

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近刊情報

近刊情報

よろしくお願いします。
カバー写真提供、中川五郎氏。

表現の文化研究 鶴見俊輔・フォークソング運動・大阪万博

粟谷 佳司(著)
発行:新曜社
四六判 248ページ 上製
価格 3,100円+税
ISBN978-4-7885-1760-8
ISBN 13
9784788517608
ISBN 10h
4-7885-1760-4
ISBN 10
4788517604

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文献、資料、解釈についてのメモ

文献、資料、解釈についてのメモ

文献や資料を解釈するのはなにも自由に行うのではなく、資料や文献からこのように解釈することが出来るということを提示すること。

だから資料や文献から離れて解釈することではないし、行き過ぎだと批判もされるだろう。

証拠もなく書いてないことは解釈出来ないですよね。

↓行き過ぎた解釈の問題。
ベストセラー『土偶を読む』の反論本著者が語る検証の杜撰さ、メディアの責任

文芸批評を読む。『群像』2023年9月号

文芸批評を読む。『群像』2023年9月号

工藤庸子「文学ノート・大江健三郎」『群像』2023年9月号

1970年代からの蓮實重彦を読みながら、大江健三郎とも絡めて批評を解説している。批評を読んだのは久しぶりで、話題がなだらかにスライドするので捉えにくいところがあったが、少し時間をかけて集中して休憩しながら読んだ。やっぱり紙の雑誌は良い。いずれ反時代的と言われるのだろうが。

後半で蓮實と大江が、フロイト、マルクスを拒否しながら彼らの営為

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