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我が家の冷や汁、人間の親

私の生まれ育った家では素麺を食べるとき、めんつゆだけでなく必ずもう一種類のつけ汁を作ってくれていた。
冷や汁、と呼ばれていて今もそう呼んでいるそのつけ汁は、簡単に言うときゅうりと香味野菜の冷たくて濃い胡麻味噌汁みたいな感じだ。
おそらくは父の故郷に由来するこのつけ汁を母もこよなく愛していたためこれがもう必ずセットという具合で必ずそうめんと共に食卓にある家で育った。なので実家を出た今も、なんとなく毎回作ってしまう。

この手の食べ物と私の関係性ではよくある話なのだが、昔は本当にいやだった。なんでストレートそうめんつゆだけで十分に美味しく食べられるそれに、わざわざ味噌だのミョウガだのを添えないといけないんだっ!とげんなりしたことも正直なところ、しばしば。

ところがこれもよくある話だが、そんな冷や汁を今になって大好きになっている。野菜がモリモリと食べやすく、味にバリエーションが出て、夏野菜の色合いも鮮やかで元気になるし、胡麻と味噌は香ばしくてとても美味しい。そうめんとつゆだけだと心配な栄養もバッチリなので、心置きなくそうめんを楽しめるのも魅力だ。

自分が苦手な食べ物って食卓に上らなくなるのよね〜、とトマトが苦手な母はよく言っていたが、冷や汁の場合はその逆パターンだったんだろうなと思う。
きっと近しい理由で親たちは冷や汁を好きだっただろう。そして栄養だなんだももちろんあるが、好きな美味しい食べ物を作り、その時々の食事で楽しんでいたんだと思う。
私もたぶんこの先もそうめんには冷や汁をセットで作るし、そこに純粋な喜びをまず伴わせると思う。夏のお楽しみ、だ。

なので、冷や汁は私にとっては親の愛情とかおふくろの味みたいな概念に加えて、親、以前に人、である象徴みたいに感じられる。この表現には抵抗があるがあえて書いてしまうと、子供の頃の私にとってお母さんはお母さん、お父さんはお父さんという生きものだと思っていたところがある。けれど、ある程度大人になってからそれはあくまで私がそばにいるときの一つの関係性であり、お母さん、お父さん、じゃない魅力も趣味もたくさんある自由なひとりの人間たちがが私の親になってくれていたんだなと改めて思う。

だってたとえば、私が今から親になったとして、本質的な人間性は変わらないのだ。冷や汁を好きになっていったみたいな変化は大小様々起きると思うが、私は私のままである。役割や呼び方は時と場所によって違っていくだろうけど、それを楽しみに思えるくらい、自分とは何を愛する何者なのかを都度都度確かめてはわかっていたい。

閑話休題、せっかくなのでいつも作っている冷や汁を紹介させていただこう。すり鉢で本格的に作るやり方もあるが、私は本当に何も気にせず適当に作ってしまう。

きゅうり 2本 薄い輪切り
みょうが 好きなだけ みじん切り
大葉 好きなだけ みじん切り
ごま すりごまでも炒りごまでも
白だし 大さじ一くらい?適当
冷たい水 具材がヒタヒタ浸かるよりちょい多め
味噌 大さじ半分くらい?適当

上記をぜーんぶ混ぜて味を調整、終わり!
これが、夏の贅沢という感じで本当に美味しい。
よろしければ次のそうめんのお供に、ぜひ。

冷や汁、大好き。

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