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創造的なコラボレーションの担い手『ジェネレーター』とは何か?を探求したABD読書会

この記録は、市川力・井庭 崇著『ジェネレーター 学びと活動の生成』をオンライン読書会で読み解いた際の気づきや学びについてのまとめです。

今回は、同じ書籍を3回にわたってABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎)形式で読み解くシリーズ企画の第1回目。

以前から度々、友人たちの間で話題に上がっていた『ジェネレーター』について扱うということで、今回の読書会に参加することにしました。

ABD(アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎)とは?

今回の読書会は、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎という読書会運営方法で行いました。

アクティブ・ブック・ダイアローグ®️(以下、ABD)は、有志の研究会がこれまでの読書会の限界や難しさを検討し、能動的な学びが生まれる読書法として探求・体系化したメソッドであり、ワークショップの1手法とも言えます。

ABDの開発者である竹ノ内壮太郎さんは、以下のような紹介をしてくれています。

アクティブ・ブック・ダイアローグ®は、読書が苦手な人も、本が大好きな人も、短時間で読みたい本を読むことができる全く新しい読書手法です。

1冊の本を分担して読んでまとめる、発表・共有化する、気づきを深める対話をするというプロセスを通して、著者の伝えようとすることを深く理解でき、能動的な気づきや学びが得られます。

またグループでの読書と対話によって、一人一人の能動的な読書体験を掛け合わせることで学びはさらに深まり、新たな関係性が育まれてくる可能性も広がります。

アクティブ・ブック・ダイアローグ®という、一人一人が内発的動機に基づいた読書を通して、より良いステップを踏んでいくことを切に願っております。

https://www.abd-abd.com/

2017年、その実施方法についてのマニュアルの無料配布が始まって以来、企業内での研修・勉強会、大学でのゼミ活動、中学・高校での総合学習、そして有志の読書会など全国各地で、様々な形で実践されるようになりました。
ABDの進め方や詳細については、以下のまとめもご覧ください。

今回のABDのプログラム構成

ABDはその目的、選書、参加者の集まり方、活用できる時間などにより、さまざまなバリエーションの実施方法が存在します。

そのため、今回のプログラム構成についても簡単に触れたいと思います。

今回のABDで扱った範囲は、第一部。

まず、事前準備として、本書の購入と担当部分のまとめをGoogleスライドに入力しておき、当日はリレープレゼンからスタートする形式でした。

開催時間の2時間を、よりグループに分かれての対話のためにゆったり取れるスタイルです。

チェックインの際のグループのシャッフルを数回、リレープレゼン後に10分間のペアでの対話、30分ほどのグループ対話を行う等、より多くの方とコミュニケーションを取れる構成となっていました。

最後のチェックアウトは、今回の気づき・学びについて書き留めたものをチャット欄に送信するという形式で行われました。

ジェネレーターとは?

ここからは、具体的な『ジェネレーター』の内容について、また、対話での気づき・学びについてまとめていきます。

ジェネレーターの誕生

本書中で用いられる『ジェネレーター(Generator)』とは、一般社団法人みつかる+わかる代表理事であり東京コミュニティスクール初代校長である市川力さんと、慶應義塾大学総合政策学部教授の井庭崇さんによって2011年に初めて提唱された概念です。

2011年、市川さんと井庭さんは『Pedagogical Patterns for Creative Learning』という論文中において『ジェネレーティブ・パーティシパント(Generative Participant:生成的な参加者)』という言葉が初めて用いられました。

2013年、井庭さんのSFCの授業に市川さんがゲストにやってきた際、『ジェネレーター』と呼び変えてはどうかという提案がなされ、その後『ジェネレーター』と改められたと言います。

著者2名のジェネレーターに関するインタビュー等は、以下をご覧ください。

ジェネレーターはどのような存在か?

ジェネレーターとは、「創造的コラボレーションの担い手」であり、「場に一緒に参加して盛り上がりをつくる人」と称されます。

ファシリテーターの相違点として本書中で挙げられているのは、ファシリテーターが場の参加者の外側にいる人とした場合、ジェネレーターは場の参加者の1人として内側に入り、自らも活動に参加する、という点です。

ジェネレーターの誕生には、ここ100年の社会の変化と学び・教育のかたちの変遷が大きく影響しています。

井庭さんはここ100年の社会の変化を、3つの「C」というアイデアで言い表しています。

Consumption(消費):消費社会
1920年代〜、よいモノ・サービスを享受することが生活・人生の豊さを表す。物質的なモノに重点

Communication(コミュニケーション):情報社会
1990年代〜、インターネット・携帯電話の普及。リアル、オンライン問わず良い関係性、社会的(ソーシャル)な関わり

Creation(創造):創造社会
2010年前後〜、自分で何をつくっているか・つくることに関わっているか。創造的な方向へと関心が向かう時代

この時代の変遷に対応するように、必要とされる学び・教育の担い手のあり方も変化します。

消費社会においては、知識・スキルを教える/教わるという関係性を結ぶティーチャー、またはインストラクター

情報社会においては、コミュニケーションを促す・または交通整理を行うファシリテーター

創造社会においては、学び手のつくることによる学び・創造的な学びに参加し、一緒につくるジェネレーター

ジェネレーターはこのような時代の趨勢の中で、また、市川・井庭両氏の実践の中からも必要な存在として現れ、広がりつつあります。

創造社会における「創造化」

創造社会の到来は、現在、さまざまな領域で確認できます。

ものづくりの民主化として、FAB(デジタル・ファブリケーション)が存在感を増し、まちづくりにおいては、住民参加型のまちづくり・地域活性・地方創生といった潮流が2010年代以降に生まれ、広がりつつあります。

2020年以降のコロナ禍によって始まった、自分たち家族の暮らし・働き方を自分たちでつくるという経験もまた、創造社会の一側面です。

これまでの常識、画一的なやり方、一般的な基準をただ受け入れるではなく、自分たちでやり方・あり方をつくるということが、創造社会では求められます。

ジェネレーターはこの創造社会において、一人ひとりの創造性を場の中で増幅・共鳴させ、創造的なコラボレーションを実現するためにもまた、必要な存在と言えるかもしれません。

対話による気づき・学び

以下、今回のABDの対話の中での気づき・学びについてまとめます。

Being(存在)ではなくBecoming(生成)に着目

グループの対話の中で多く出たのは、学び・教育においてBeing(存在)ではなくBecoming(生成)に着目する、という記述でした。

それは既に出来上がったモノ・コトを扱う静的なあり方ではなく、プロセスが生成される中に没入し、一体化するという動的なあり方です。

ジェネレーターという創造的なコラボレーションの担い手について探求にやってきた今回の皆さんにとっても、このような動的なあり方は「しっくりくる」ものもあったように感じられました。

創造社会において「創造的である」とは?

対話の中で私自身が気になった点は、創造社会において「創造的である」とは?といった点です。

今回、読み込んだ範囲はジェネレーターに関する概念的で大きな枠組みに関する記述の部分も多かったため、この「ジェネレーター」というあり方を、自分に引きつけて考えてみたらどうなるだろう?と考えたことがきっかけです。

一人ひとりが創造性を発揮していくことは、時代の変化による要請、必然性という側面もあるものの、

では、創造的でいられない人には、価値はないのでしょうか?

そのような残酷な成果主義的、能力主義的なあり方が、創造社会においては重要視されるのでしょうか?(いや、そうではない!と思いたい)

そう考えた時に、一人ひとり発揮できる創造性には規模や質感が異なるのかもしれない、という発想が浮かんできました。

大きなプロジェクトや事業を起こし、実行することで創造性を発揮する人、自分のオタク的な趣味が高じてクリエイティビティを発揮する人、料理が得意で人に食べてもらうことで喜びを感じる人など……

世の中にはさまざまな形の創造性の発揮のあり方があり、それらを結びつけ、時にコラボレーションを起こす、といったことが起これば、それは創造的である、と言えるのではなかろうか。

そして、その人独自の創造性に触れることができた時に、相手を尊敬・リスペクトができるのかもしれない、とも感じられました。

生成(Becoming)と中動態

対話は途中で、「中動態」というテーマに移っていきました。

中動態を大胆にかいつまんで表現すると、能動態・受動態では言い表せない状態を表す「態」です。

「見る」という動詞を例に取れば、「見る(能動)」「見られる(受動)」「見える・見ゆ(中動)」と表現できるかもしれません。

対話の中では、「思いつく」という表現がまさに生成の中にいる中動態的状態であり、そこから行動(能動)へと移る、といった話もあったように思います。

ここで気になった点が一つ生まれました。

生成の瞬間が中動態的なあり方であるのならば、私たちは日々、能動または受動のどちらかに偏りすぎているのではなかろうか?

せっかく「思いついた」アイデアを実行に移そうと思っても移せない……そんな、生成的なあり方を抑圧してしまったり、阻害してしまうような要因が、内面・外部環境にもしかしたら、ありはしないか?

この辺りは、私自身の中動態に関する探求とともに、深めていきたいところです。

中動態については、参考にこちらもご覧ください。

私たち1人ひとりが、ジェネレーターとしてありたい場とは?

そして、そこでどのような形で創造性を発揮したいでしょうか?

これらの問いが、対話を深める中で出てきた本日最後の問いです。

最後のグループ分けにおいては、

自らカフェを開かれたことで「場を開くこと」に対する考え方が見直されたという方や、

子育てにおいてどのようにジェネレーティブになれるだろう?といった問いをお持ちの方、

私自身はジェネレーター的にあることで創造的になれる環境を自らの手でつくりながら生きてきたかもしれない……

といった皆さんそれぞれのジェネレーターとしての振る舞い、ジェネレーティブなあり方・生き方に関するストーリーが語られました。

まだまだ話が尽きない状況ではなりましたが、あっという間に2時間が経過して今回は終了。

次回以降の探求も楽しみです🌱


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