自信はきっと、絶対評価

自信について考えている時、ネックとなってくるのが「人から見てこの程度でと思われたくない」ということだった。
だけど自分に自信があるというのは、それが人よりできるということじゃなくてもいいのかもしれない。

最近能力開発の本を読んでいる。
それによると、ひとつの能力と思われがちなこともそれぞれ細胞のように小さな要素で出来ていて、さらにそのひとつひとつが立体のような構造をもって存在しているとなっていた。
例えばリーダーシップ能力というものに関して見た時に、それは周りを見る力やまとめる力、引っ張っていく力や交渉する力などで構成されていて、それぞれが更に細分化できる。
そして細分化したものたちはそれぞれで能力の深さを持っていて、合わさることで新たな力が生み出されたり、融合することでより力が強まったりする。
だから必要なのは、リーダーシップがとれないと思うことではなくて、リーダーシップを構成する要素のうちこれが足りていないというものを認識して伸ばすために行動するとか、そういうことだ。

これを基にすると、リーダーシップが人よりとれないことで自信をなくすのは少し違っていて、それを構成する要素のうちどれができていて何ができていないのか、自分の中で見比べてできていることはそれはそれで認めていけたらいいのだと思う。
人からみてどうこうというわけではなくて、自分の中で比較的できることと、これがもっとできるようになったら全体のレベルアップが測れそうなことと、それだけ。

自信がない言い続けることは、時として頑張ることを始めからやらずにすむ言い訳になる。
ただそうしたいわけではないのなら、過度に自信をなくしていることは単純にコスパが悪い。
できないというセルフイメージはできない自分をより創り上げてしまうから、それを覆すためのエネルギーはそうでない場合よりもどうしても高く必要になってしまう。

対外的に自信があると言わなければ人からどうこう思われる問題は発生しないわけだし、それなら自分の中でこれはできるよねと自分に対して思えることがあった方が強い。
人と比べてできないかもしれないからということを並べていると、何もできないことが当たり前になってしまう。

すごいできる人と比べたらまだまだだけど、それでも自分の中では頑張ってやってきた、過去の自分よりこんなにできるようになったと、自分の中だけで認識しておけることが、思い描く自信の理想像なように感じている。

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