見出し画像

今の考え方だって、無理をして頑張ってつくってきた

変えることはしんどいのだから、そこから逃げていたら何も始まらないと、良く言われる。
良く言われるほど向き合えていないし逃げているということなんだろうけれど、それでも苦しんでこなかったわけではない。
頑張っていないからそうなってしまうのだと言われるとそんな気がしてきてしまうけれど、どこか違和感が捨てきれなかった。
今ある自動思考だって、かなり無理をして間違った理想に近づくために、滅茶苦茶自分を歪めて頑張って作り上げてきた。

間違ったところに向かおうとしていたところを、間違っていることに気が付いて軌道修正しようとしているのだから、まぁ路線としては今間違っているわけではないのだろう。
ただ、間違っているところに向かうことも、苦しんで頑張って積み重ねてやってきた。
だからそれを認められずに何もしてこなかったように言われることが、きっと私はとても苦しい。

例えば怒りという感情が穢れだと認識していたから、怒りを悲しみに完全変換できるようとにかく全てのことに関して自分を責める考え方に強制的に移管した。
そうすることで自分の恐れている怒りから逃れることができ、穢れを自分の中から排除できると信じていた。
結果、他人に怒りをほぼ感じることはなくなったけれど、とにかく徹底的に生きづらい価値観がだいたい完成した。

これ以上そういうことが上手くなったって、もう生きやすくなんて全然なれない。
だから今必要なのは、それが間違っていたから自分を責める必要がないことに気が付いたり他人が悪いこともあるとたまには思えるようにするとかで、頑張って作ってきたフィルターを壊す作業になってくるのだろう。

幸せになるための苦しみはまだまだ必要だけど、それでも今あるものだって頑張って作り上げてきたものなのだと、ただそれだけの事実は忘れないで、振り返った時に歩いてきた自分を責めないように持ち続けたい。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。