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華の女子大生時代のお話 ①

私は現在10年以上、こども園で保育士をしていますが、大学は四年制の体育科を卒業しております。正しくは、教育学部の体育学科。

大学卒業後12年間スポーツインストラクターの仕事を続けたのち、30代半ばで保育士資格を取り転職しました。

今私が働くこども園の職場内にも、転職組の人はちらほらいますが【ガチの体育会系】から、というのはもちろん私だけ。
先日、休憩時間に私の体育科時代の話をしたら、まるで異世界の話のようにめずらしがられて(?)聞いてもらえました。

そうか~。体育科の大学って、確かに特殊だったよな~。ちょっと独特だった、私の【華の女子大生時代】の話を書きます。



①体育学科の大学の実態(授業編)

まず、授業は実技と講義が半々、という感じです。
特に大学4年間のうちの最初の2年で、ほとんどの実技単位を取ってしまいます。

実技は「指導法実習」として、学校体育で行う種目はすべて必修です。

陸上、水泳、バスケ・バレーなどの球技、器械体操、ダンス等の指導法がメインです。中学高校の保健体育科の教員免許を取るために必要な種目です。
もちろん指導の方法だけ分かればいい、という訳ではなく、見本を見せられるレベルに自分も出来なければならないし、正しい知識や理論も必要。

私が専攻した体育学科は、学校体育の先生やインストラクター・トレーナー・コーチなど、指導者になりたい人たちの集まり。
当然、運動音痴や運動嫌いの子なんていません。高校時代までに全国レベルのトップアスリートとして活躍している人たちばかり。

例えば、バレーボールの授業でもちゃんとラリーが続いてアタックやブロックも跳ぶ。中高時代にはなかったゲーム性の高いバレーができて、めちゃくちゃおもしろかったです。

ご立派な体育館やグラウンドがあり、設備も充実。
中学高校の体育授業バレーなんて、ラリーなんて続かないし
サーブ打って、入ったら決まる、ぐらいだったよね。


②体育科って、授業内容はどんなレベル?

例えば水泳にしたって、求められるレベルは高い。

まず単位を取るために4泳法の個人メドレーを泳ぎきらなきゃならない。つまり、バタフライも・クイックターンも込みで。
私は水泳は決して苦手なほうではなく、人並み以上に速くも長くも泳げたけれど、特に習い事のスイミングなどはやってなかったので、バタフライは苦労しました…。

大学で初めて、バタフライは1ストローク・2ビートであることを知ったし、ちゃんと息継ぎができるほどに顔が出なくて四苦八苦。(ほとんど息吸えない!)
なんとか最初のターンまで全力無呼吸でバタフライもどきをして、あとの背泳ぎで心肺を休めるやり方でどうにか突破しました。

着衣泳や、溺れている人の救助法、立ち泳ぎ、臨海実習での2時間遠泳などもありました。(詳しくは、②の番外編で。)

さすが体育学科のある大学。プールも綺麗。

陸上の授業でも、心拍計を装着して400mのインターバル走を全力で5本走るとか、なかなかのスパルタ。
自分の最大酸素摂取量をトレッドミルで「オールアウト」して計り、それに基づいて心拍数からペースを組み立てるなど、それなりに研究ぽいこともする。

「オールアウト」とは、限界まで走り込み
最大酸素摂取量いわゆる心肺機能を測定すること。
これ、きっついのよね~。。。


器械体操は、開脚前転・Y字バランス・後転倒立・ロンダート・ハンドスプリングなどを組み合わせた連続技のテストなんかもある。⇦意味わかります?
跳び箱では8段を閉脚跳びしたり、バク転や懸垂までも。
しかも体操とダンスは、指定のレオタードを必ず着用という謎の決まり。

マジでこんな「キャッツアイ」風の、指定された
レオタードを着てた。イメージぽい画像探してたら
森三中ばっかり出てくるんだけど(笑)


③鬼のスケジュールをこなせる体力が必要

キャンパスも広いから、いつも休み時間はダッシュで着替えて移動していました。
 1限目:ダンス(レオタード)
 2限目:水泳(水着)
 3限目:講義【生理解剖学】(私服)
 4限目:バスケ(ジャージ)
なんて曜日はもうドタバタ。

毎時間、服を着替えてキャンパスの端から端まで走って移動してましたわ。

たっかい学費の大学だけに、設備は確かに良かった。

ほいでもって、私はサッカー部だったので、授業が終わってから夕方16時半〜20時半ぐらいまでの約4時間、毎日部活でサッカーをする。

今思い返せば、どんだけ体力オバケだったのやら。間違いなくあの頃が、人生で一番多忙だったわ。
さらに22時〜2時まで居酒屋でバイトとかもしてたし。いったいいつ寝てたんだろね。てか、講義中はほぼ寝てたね。
スポーツ栄養学とかトレーニング理論とか社会体育経営学とか応急処置法とか、講義もいーっぱいあったけれど。ほとんどヨダレ垂らして机に突っ伏してたような?

それでも保健体育科の教員免許、障害者スポーツ指導員、レクリエーションインストラクター、健康運動実践指導者など、在学中に取得すべき単位や資格はちゃんと全て取りました。

サッカー部での戦績も、全日本インカレ3位関西リーグ優勝、と結果的には充実した4年間でした。人生においても無駄な努力では決してなかったし、意味のある時間だったと思う。

いや〜。青春だったね〜。真っ黒に日焼けして、
ずっと走り続けてボールを追いかけていました。

こんな感じで、バリバリの体育会系出身の保育士、というのはなかなかレアなんじゃないかな。

昭和の根性論を令和時代の子どもたちに叩き込むつもりはまったくないけれど、私が経験してきたことや学んだことをなんらかの形で仕事に・次世代に伝えていければいいなと思います。
こども園に色んな個性的な先生がいるって、楽しいと思うんですよね。

次回、②で番外編(臨海実習・教育実習・部活編)などを書きます。
興味を持っていただければ、是非!

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