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3年間続いた父からのお弁当。

学校で一番厳しいと言われるダンスクラブに所属していた私は、毎日帰宅したら8時頃で、晩御飯を食べながら寝ていた事もあった。
そんな私の高校時代を支えた、毎日のお弁当の話である。


私の母は、所謂ハイスペック人間で、正社員の役職持ちで仕事をしながらも、家事を怠る事を見せた事がない。
料理なんかは得意分野だそうで、時短テクとか考える必要が無いくらい早く、なおかつ美味しい。
母の手料理で不味いと思った事は人生で一度も無く、私は大学まで外食経験が非常に少なく、身体の資本は母の手料理だった。
また母の作るお弁当には、絶対に冷凍食品は入っておらず、昨晩の残り物も入っていた事もほぼ無かった。


その様子をずっと見ていた父は"母の作る料理くらい自分でも作れる''と軽く思ったのか、料理を勉強しはじめた。私が高校1年の頃だ。

正直、始めはヤバかった。
ヤバいという言葉以外に思い付かない。
昭和の人間だからか、一人暮らしをした事が無いからか、お米すら研いだ事が無い為、そもそも研ぎ方もむちゃくちゃで、水の量のミスでお米がお粥になっていた事もあった。
そんな事も知らないのかと、私は笑った。

''料理は後片付けまでが料理をするという事"という母の言葉も、不慣れながら皿洗いなども時間をかけながらこなしていた。

ただ父は真面目で、一度自分がやると決めた事はやる人で、毎日仕事終わりに母の隣でキッチンに立っていた。
私といえば、ちょっと邪魔とか、もっと丁寧に洗ってとか、いろいろ文句を言われている父の姿を横目で見ていた。




そんなある日の夜、父が言った。

「お昼のお弁当
明日からお父さんがたまに作るから」

それだけ伝えられ、消える様にリビングから逃げた父。
「え?」
私に話しかけてくる事すら驚いたが、内容にはもっと驚いた。
だが、"父が決めた事だから飽きるまで付き合おうか。自分で作らなくていいなら何だって良いわ"そんな事を思っていた。


「え?」
また驚いたタイミングは、昼食時間に友達と机をくっつけて、お弁当を開けた時だった。
一段弁当だった私のお弁当。その一番初めの中身は8割が白ご飯、1割がウインナー、1割が卵焼き。

友達も驚いていた。
「これ、あんたが作ったんか?」
「そんな訳ない。なんか、おとんが最近料理始めててさ、昨日の夜に明日からお弁当作るからって言われてん」
「え。お父さん?え?凄ない?」


その時代の私は、その事実を何となく認めたくなくて、何となく歯向かっていたくて、だからだろうか。
「そんな事ないやろ。やろうと思えば誰でも出来るやろし」
そう可愛くない発言をした記憶がある。

"そうだ。その通りだ。私の父は凄いんだよ"
本当は心から、心からそう思っていた。
たかがお弁当、たかが卵焼き。おまけに焦げていて固い。
だけど泣きたいくらいに美味しかった記憶がある。

父の言った"たまに"は週に2.3回だった。
母のお弁当は色鮮やかで、健康を気にした料理が綺麗に並べられ、美味しいと見た目でも思える。
一方、父のお弁当は茶色で、私の好きなものだけを並べた様な、お子様ランチみたいなお弁当だった。
誰が作ったか、答えを見なくても分かるお弁当だった。


"こんな小ちゃいお弁当すぐお腹減るんじゃないかって言ってたよ、お父さんが"
母が私に話してきた時は、うるさいなぁと思いながらも、けれど嬉しかった。


高校2年生になり、ダイエットを考えた。
今思うと、この時が一番健康的に細かったと思う。でも当時は思春期で、周りと比べていた。

「お弁当、おかずだけでいい。太るしごはん要らへん」 
そう言った時、母は"私もそんな時期があった"と理解していたが、父は納得してくれなかった。
「おにぎり、自分で作ったら良い。好きな具材入れたら食べるでしょ」
数日後、母にそう言われて小さいおにぎりを持っていき始めた。
ただ、お弁当の中身はおかずだけになった。

困ったのは父だと思う。
茶色の具材だけでは、スカスカのお弁当になる。
そこで、父が考えたのは、自分自身の料理の腕を上げる事だった。
明確に言われたわけではないが、明らかに料理の腕がみるみる伸び、お皿洗いも後片付けも母に文句を付けられずに済んでいた。

そして必ず一つ、私の好きな具材が入っていた。



高校3年生になり、その時のお弁当は
「今日って、お父さんとお母さんのどっちが作ったの?」
と友達に尋ねられると「分からない」と答える日々が続いた。

父のお弁当はいつの間にか、茶色から一転、色鮮やかな、健康的な美味しそうと思えるお弁当に変わっていった。
勿論、冷凍食品や昨晩の残りものは無い。

母に尋ねると、
「お母さんは月に1.2回しか作ってないわよ」と言われた。
父のお弁当はいつの間にか、"たまに"から"毎日"に変わっていた。


"私の父親って、やっぱり凄い人なんだな"
そう本気で思える事が出来るお弁当だった。

最近話題になっているキャラ弁でも、海苔で文字が書いていたりも無く、手紙を添えられていたりも無い。
ただ、父が作ったお弁当。それだけ。
別に豪華でも可愛くもない父が作ったお弁当。
それが、どれだけ嬉しかったことか。
どれだけ、あの高校生時代という厳しい時代を乗り切れる力をくれた事か。






正直に言う。
私は料理がほとんど出来ない。あくまで自分用で、誰かに食べて貰えるほどの腕はない。

けれど、父は言わずとも示してくれた。

継続は力なり。 

周りに笑われようが、
出来るまで諦めなければ、いずれ出来る。

あの時、私が言った「やろうと思えば誰でも出来るやろ」と言う言葉の裏には
努力や、慣れるまでやるという継続の難しさや、自分で決めた事は最後までやり遂げるという根性、
そういった簡単に出来る様でなかなか出来ない事があるということを、父として、人として、私に教えてくれた。



私がこのことを書こうかと思ったのには理由がある。

周りの友人や親族の結婚式で必ずある、娘から両親への"今までありがとう手紙"を聞いたからだ。

私は父に"ありがとう"とあまり言ったことはない。
そして、結婚式の時にはこの話はきっとしない。この事よりも一つ、絶対に外せない話があるからだ。
だから、
いつか見られるかも知れない、この記事を残しておきたいと思った。

言葉では素直になれないから。
あの時のお弁当、本当に感謝している。あのお弁当があったから、頑張れた事が数知れずある。
愛のこもった沢山のお弁当、心からありがとう。
これからも私の好きな美味しいごはん作ってください。




チョコレートに牛乳


いつか、もう少ししたら
私が次に作り続けてみるから、もう少し待ってね。



私が所属していた部活動について



2021.2.19
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