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NPO職員のそんなんありなん!可能性は∞インタビュー#加藤伸一さん<前編>

 こんにちは🌞、関西学院大学の活動団体である夢調査プロジェクトのarinanです!
 私たちは、夢を持っていない学生、将来に迷う学生に、「そんなんありなん?」っておもう夢の選択肢を見せることを理念として活動しています。

 前回の記事も面白いので、是非読んでください!!⇩

今回はNPO法人で働く加藤伸一さんのインタビューです!!


加藤さん(イメージ)

加藤伸一さんのプロフィール

神戸生まれ神戸育ちの生粋の関西人。大阪教育大学に進むも、中退し、総合フィットネスクラブの会社で30年間勤務。定年間近で「自分のやりたかったことと違うかもしれない」と感じ、ひとまず離れてみるという意をこめて57歳で退職。その後、「リベルタ学舎」に就職。現在は、「山賊ワイルドラン」などを企画・運営も行う。現在は59歳。

  • リベルタ学舎

  • 山賊ワイルドラン



「漂えど沈まず」な人生

人生にタイトルをつけるなら

漂えど沈まずな人生。流されるけど沈まない人生】
開高健という作家の言葉。漂っているが、沈まない。川で自然に任せていくといつかは凄く綺麗な海へ行くだろうという意味。

「みんながどの位置にいるのかを見ておくと、臨機応変にこっちの方向に行ったらいいな、みたいなのが見えてくる。」

「大学生の頃、僕はそれでもいいのかなと思ってたりした。いろんなことが変化に富んでて、私はこれになるんだっていうのもすごくいいことだし、そうあるべきだと思うし。でも一つの考え方としては逆に、世の中どうやって変化していくのかなって、ちょっと一歩立ち止まって。歩みはそんなには早めなくても、ゆっくり歩いても見えるものってあるから。景色みてから決めてもいいかなって。後出しジャンケンで勝つみたいなことだってあるかなと思ってる。」

感覚的に来た方が結果良かったなって。何よりも自分で納得するよね。なんとなく自分で決めたことを自分がやりたいようにやってきたから。自分の人生って別にまあ百歩譲って俺、明日死んでもあんまり悔いないもんね。」

学校の先生に憧れた幼少期

小さい頃から学校の先生に漠然と憧れていた。
「親が教師とかっていうわけじゃなくて、なんとなく学校の先生になりたいなあと思ってた。だから、アルバイトも学童保育したりとか家庭教師とかしてて、それで教育大学に入ったかな。」

本当の自分に気づいた大学生活

大学生活もあと一年というタイミングで中退。

「大学行って、学校の先生やめとこうって思った。大学って自分に何が合ってて、何に興味を持ててっていうのを判断する場所だから。大学に入っちゃったから、やり通さなきゃいけないとか、親からお金出してもらってるから行かなきゃいけないとかいう美学ね。いろんな縛りが出てくるんだけど、大学って色々と気づけるそういう場であっていいなと思うので。」

「大学時代、自己啓発みたいなのがすごく好きだった。自分がやってることがもう少し広い範囲に少し影響を及ぼすことができないかなみたいなのはあったのかもしれないね。すごく閉鎖的な感覚を受けたのかもしれない。だったらもっと社会に出て、あと一年ぐらい残ってたんだけど、その一年学校教育の勉強するなら、一年社会に出たほうが絶対自分にとって勉強になると思ったんで、そっちに飛び出したっていうのが正解かな。」

「あのまま学校の先生になってたら俺めちゃくちゃ後悔してたんだろうなみたいな。正直、ちゃんと社会に出て勉強させてもらったほうが良かったなーっていうふうに思って。」

「めちゃくちゃ子供好きかっていうとそうでもないんだよね。なんとなく、先生とかって言われるのに憧れただけなのかもしれないんだけど。だから大学の途中で辞めてフィットネスクラブに入った時も別に教育系に行こうっていうのは特になかったですね。」

フィットネスクラブとの出会い

他の教育系に進むことはせず、事務職でフィットネスクラブに就職。

「学校の先生にはなられへんし、なりたくないなみたいな感じだったんで。割とこうのんびりしてるところがあるから、困らへんなと思って、ダンススタジオみたいなところの事務で入ったんだけど。そこで働いてる人が総合フィットネスクラブが新しくできるから加藤もけえへんかって言って、ちょっと引き抜かれてそっちに行ったっていう。そこは教育系にはこだわらず。でも結果的にはインストラクターという何かを教えるっていう職業についた。」

みんなが健康で笑顔になる職場がフィットネスクラブだった。

「30、何年前のことなんだけど、ちょうどフィットネスクラブとかができ始めたブームの時フィットネスクラブに通ってるっていうことがちょっとしたステータス。そんな時代だったんで、フィットネスクラブという横文字の職業にちょっと憧れたし、自分もちょっとフィットネスクラブに通ってたんで、楽しいなって。みんな健康になるような。みんな笑顔でみたいな。そんな世界に憧れたっていうのもあるし。まあ、体を絞って、男性だったらちょっと筋肉つけたらかっこいいなみたいな、ちょっとモテるかなと思って入ったみたいな部分もある。笑」

「入ったらすごく面白くて、仲間もよくていい会社でもあったので、めちゃくちゃ忙しかった。それからもう日が変わるぐらいまで飲んで、でも次の日は朝から働くみたいなこと全然苦じゃなかったかな。まあ若かったっていうのもあるけど。健康産業特有の世界観があって楽しかったですね。」

フィットネスクラブがどんどん乱立していた時代だった

「大学卒もいるけど、割とスポーツ系の専門学校の方もいるし、大学生、大卒の子もいるし、バーっとこう出来てた時代なんで。当時はもうお店開けりゃ、お店の周りにとぐろ巻くぐらい人が入会手続きで待ってたりとかしてた時代でお店を開ければ儲かる時代だったんで、忙しかったけど、楽しかったですね。フィットネスクラブは当時は全然珍しい職業でもなかったし、なる人も割と多かったんじゃないかな。」

30年勤務した仕事を辞めるきっかけ

「57歳の時に後3年で定年って思ったときに、ちょっと違うなみたいな。自分のやりたかったことってこれだったっけ?みたいな。30年やって気づいたみたいな。」

「最初はエアロビクスインストラクターみたいなのから始まって、店舗統括だとか、広報、とかいろんな仕事したんだけど、親会社が変わると色々考え方とか方針とか、それに伴う現場でのやり方みたいなのが若干変わってきたりとかした時に、これって本当にいいのかな?みたいな。 自分が思っている方向ではない逆の方向に進んでいる感じがした。だから、ひとまずその状況から離れてみたいと思った。次の就職を決めてるわけではないけど。」

経営を学ぶことを選択した

一昨年まで30年間、総合フィットネスクラブの会社で勤務。人事と経理以外の部署を転々としたが、経営を学ぶことを選択した。

「フィットネスクラブに入った時は、エアロビクスのインストラクターとして入ってレッスンするのが好きだった。それでも、40、50になって、これはできへんなと思った。エアロビクスのレッスンをしている部分と、店舗経営みたいなのを持ちたいなと思い始めた。」

「自分だけエアロビクスのインストラクターも店のマネジメントもやらしてもらって。そっから東京転勤になって小さなお店からスタートしたんだけど、マネジメントだから、エアロビクスの支配人なんだけど、エアロビクスのレースもやるし、お店の経営の方もやるしみたいな。」

本当に自分のやりたいことを実現

会社を早期退職後。新しいチャレンジをしようと思い、「なりわいカンパニー」が主催する編集講座を受けに行った。その先で、声を掛けられ、入社を決める。

「今の代表が個のやりたいことの延長線上としてビジネスになっていけばいいって思ってるので、まさに山賊マラソンはみんなで協議しながら決めたんだけど、それだったらもう加藤君が主になってって言われて進めていってみたいな。まして自分がずっと色んなレース出てた側なのに、自分が大会を主催するなんてのは夢にも思ってなくて、それすごく楽しかったりすることなんで、さっきも言ったように、狭い範囲でいろんな人たちのへの影響みたいな、あとやっぱり効力感。自分がやってる感はすごくもう200%ぐらいあるもんね。」

後半に続く…!

☆arinan編集あとがき<前編>☆

 今回インタビューをさせていただきました、なぎちゃんです!「漂えど沈まず」な人生。初めて聞いた言葉ですが、今の自分にとても刺さる言葉でした。常に判断を早くして、進む道を定めるのではなく、自分のペースで身を任せながら歩む人生の楽しさを加藤さんのインタビューから学びました。周りの人の凄さに圧倒される日々ですが、自分は遅咲きなんだとこれから思うようにします!また、自分の意志をもって、やりたいことはとことん打ち込み、意見をはっきり言うことで、結果的に自分のやりたいことができる環境になるということを学びました。意志を持つことの大切さ、意見を人に伝えることの大切さを心にとめて大学生活を送っていきたいです。インタビューありがとうございました。

続きは【後編】から!!!

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