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評伝

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記事一覧

【評伝】フジコ・ヘミングさん--様々な困難を乗り越えた「魂のピアニスト」

去る4月21日(日)、ピアノ奏者のフジコ・ヘミングさんが逝去されました。享年92歳でした。

幼少期からピアノ奏者として頭角を現していたものの16歳の時に病気で右耳の聴力を失い、29歳で渡独し、バーンスタインやマデルナの知遇を得て本格的な演奏活動を始めようとしたものの風邪が原因で一時的に左耳の聴力をも失うなど、ヘミングさんは様々な困難に見舞われます。

その後、一時はピアノの教師をする傍らで清掃員

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【評伝】ホワイティ・ハーゾグ氏--1970年代と1980年代の大リーグを象徴する偉大な指導者

現地時間の4月15日(月)、大リーグのセントルイス・カーディナルスなどで監督を務めたホワイティ・ハーゾグ氏が死去しました。享年92歳でした。

イリノイ州ニューアセンズ出身のハーゾグ氏はニューアセンズ高校で左投げ左打ちの選手として一塁手、投手、外野手を務め、バスケットボールでもガードを担当するなど優れた運動能力を示し、イリノイ大学やセントルイス大学が興味を示す逸材でした。

1949年に高校を卒業

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【評伝】市川猿翁さんーー時代の潮流の中に生き新たな時代の潮流を作り出した歌舞伎俳優

去る9月13日(水)、三代目市川猿之助であった二代目市川猿翁さんが逝去しました。享年83歳でした。

復活通し狂言の上演や古典作品の新演出、新作の創造に意欲的に取り組み、いわゆるスーパー歌舞伎と呼ばれるたくらみと仕掛けに満ちた舞台を実現したことは、芸の道を求め、近代の歌舞伎にかつての大衆性と革新性を取り戻す試みに他なりませんでした。

一見すると荒唐無稽とも思われたスーパー歌舞伎は、伝統芸能と考え

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【評伝】青木幹雄氏--個性豊かな「参院のドン」

6月11日(日)、官房長官や自民党参議院議員会長などを歴任した青木幹雄さんが逝去しました。享年89歳でした。

早稲田大学在学中に同郷の先輩である竹下登氏の選挙を手伝ったことが契機となり、竹下氏の秘書となった青木さんは、その後島根県会議員を経て1986年に参議院議員に初当選しました。

1980年代末から1990年代半ばにかけて、政界再編や自民党の派閥内の権力闘争などがある中で、一貫して竹下氏の側

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【評伝】扇千景氏ーー「タレント議員」の可能性を広げた政治的感覚

去る3月9日(木)、元参議院議長の扇千景氏が逝去しました。享年89歳でした。

高等学校卒業時に地元神戸大学の工学部で建築を学びたいと考えていたものの、「女子大でなければ授業料は払わない」という父の一言を受け、「あそこだったら女の子だけ」という友人の助言を受けて受験した宝塚音楽学校に合格し、舞台人としての第一歩を踏み出した扇氏が、花組から映画専科を経て二代目中村扇雀と結婚して「梨園の妻」となったこ

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【評伝】永井路子さん--日本の歴史小説の発展への大きな貢献

去る1月27日(金)、作家の永井路子さんが逝去しました。享年97歳でした。

小学館で雑誌の編集を行いつつ歴史小説を執筆し、雑誌『マドモアゼル』の副編集長を最後に小学館を退職して作家活動に専念した永井さんが1964年に直木賞を受賞したこと、その際に選考委員の一人であった海音寺潮五郎が絶賛したことは広く知られるところです。

永井さんの作風は史料を丹念に読み込み、最新の研究の動向も視野に入れつつ緻密

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【評伝】石原信雄氏ー-優れた行政手腕と豊かな教養を備えた官房副長官

1月29日(日)、元官房副長官の石原信雄氏が逝去しました。享年96歳で逝去しました。

旧制第二高等学校から東京大学を経て1952年に地方自治庁に入庁した石原氏は、サンフランシスコ講和条約の発効に合わせて米国流の地方制度を修正する機運が高まった時期に茨城県庁に赴任し、地方自治の実務に携わりました。

その後、鹿児島県、岡山県から改組後の自治省に戻った石原氏は、市町村税務課長や税務局長として住民税の

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【評伝】武村正義氏--少数で多数を動かした一代の政治家

去る9月28日(水)、新党さきがけの代表や大蔵大臣、滋賀県知事などを歴任した武村正義さんが逝去しました。享年88歳でした。

自治省から滋賀県知事を経て衆議院議員となり、政治改革の実現を標榜して所属していた自民党を離党し、新党さきがけを結成して1993年の細川護熙政権で官房長官に就任し、衆議院の小選挙区比例代表並立制の導入に尽力したことは周知の通りです。

また、細川首相や新生党の小沢一郎代表幹事

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【評伝】エリザベス2世陛下--現代史そのものを生きた英国王

9月8日(木)、英国王エリザベス2世陛下が崩御しました。享年96歳でした。

1952年に25歳で即位したエリザベス2世は、第2次世界大戦後に英国が植民地帝国としての地位を維持できず、植民地の独立が進む1950年代半ばから1960年代に「青年女王」として君臨しました。

「独立を許す」という「植民地との和解」は英国の歴代の政権の役割であり、直接の外交政策に女王が関わることはなかったものの、英国の元

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【評伝】熊崎勝彦氏--役目を果たして務めを終えたコミッショナー

去る5月13日(金)、前日本野球機構コミッショナーの熊崎勝彦さんが逝去しました。享年80歳でした。

検察官として官界に進んだ熊崎さんは、東京地方検察庁特捜部部長時代に金丸事件、ゼネコン汚職事件、大蔵省接待汚職事件などの捜査に関わったことで知られます。

球界との接点は日本野球機構のコミッショナー顧問と年俸調停委員会委員長を務めたのが始まりで、2014年1月1日に第13代コミッショナーに就任しまし

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【評伝】石原慎太郎氏--一時代を画した人物の見果てぬ夢

本日、芥川賞受賞作家で東京都知事や運輸大臣などを歴任した石原慎太郎氏が逝去しました。享年89歳でした。

1956年に小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞するとともに、同年に映画化され、夏の浜辺に放埓で享楽的な行動をとる若者が「太陽族」と称されるなど、石原氏が作家として活躍したことは周知の通りです。

その後、活動の場を文壇から政界に移した石原氏は、1968年に当時の参議院全国区から出馬して史上初めて

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【評伝】海部俊樹氏--清新な印象と脆弱な権力基盤で日本の難局に挑んだ首相

去る1月9日(日)、海部俊樹元首相が逝去しました。享年91歳でした。

いわゆるリクルート疑惑や宇野宗佑首相の醜聞によって世論の批判を受けた自民党が、弁舌が巧みで清新な印象を持たれていた海部氏を首相として擁立したことは周知のとおりです。

それまで閣僚経験は福田内閣と中曽根内閣で2度にわたり文部大臣を務めただけであった海部氏は、犬養毅内閣と斎藤実内閣で文相を歴任したのみで、1954年に首班となった

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【評伝】ジェームズ・レヴァインさん--自らの芸術の大成の機会を失った米国歌劇界の象徴

去る3月9日(火)、指揮者のジェームズ・レヴァインさんが逝去しました。享年77歳でした。

レヴァインさんといえば1971年に初めて指揮をしたメトロポリタン歌劇場との関係が最も広く知られています。

首席指揮者、音楽監督、芸術監督を歴任し、合計2,552回の公演を行ったのが、レヴァインさんでした。

その結果、大都市ニューヨークに拠点を置き、名声は高かったものの実力の点では物足りなさが残ったメトロ

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【評伝】トミー・ラソーダさん--「ドジャー・ブルーの血」の流れたロサンゼルス・ドジャースの象徴

現地時間の1月7日(木)、ロサンゼルス・ドジャースの元監督のトミー・ラソーダさんが逝去しました。享年93歳でした。

1945年にフィラデルフィア・フィリーズと契約してD級コンコード・ウィーバーズに参加した後、1947年までの兵役を終えて1949年からブルックリン・ドジャースに移籍したのが、投手としてのラソーダさんがドジャースの一員となった第一歩でした。

大リーグに昇格したのは1954年であった

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