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繊細な人は自分の"しんどい"にもつい敏感になってしまう。

おはようございます。

今日は一日中雨の予報。
外の景色は昨日のように真っ白です。

さて、今週も始まりますね。
あまり気負わないようにしていますが、
どうしても月曜はちょっとしんどい。

でも、上手いこと自分をいなしながら
過ごしていきたいと思います。

今日は採用試験立ち合いのため、残業確定。
したがって、一日ゆるゆるとやっていきます。

タイトルは昨日、お風呂に入っていて
ふと思い立った言葉です。

ここ4日間ほどで、凪良ゆうさんの
「滅びの前のシャングリラ」を読み終えました。

感想については他の記事で述べるとして、
小説を読みながら、やっぱり自分は
感受性が豊かなのだなあと実感しました。

私自身、小説が好きな理由は

  • 自分で風景や情景を想像できること

  • 自分で読むペース、頭に描くペースを調節できること

  • 自分がやったことがないことを間接経験できること

  • 知らなかった言葉を知ることができること

  • 自分の人生について、深く考えることができること

などなど、たくさんあるのですが
一番は自分で「想像」できることにあります。

風景や情景、人物像など
小説は文字からすべてを想像します。

そこに付随した映像などはなく、
文章から、表現から情景を導き出す。

そこに答えはなくて。
読んだ人がそれぞれ想像するもの。

私が想像した「茜色の空」と
他の人が想像した「茜色の空」の色はきっと違う。
でもみんな違ってそれでいい。

そんな柔らかな肯定をされている気がして、
小説というジャンルがとても好きです。

あとは、小説だとなんでもありじゃん!

なんて言う人もいるかもしれませんが、
設定がなんでもありだからこそ、
普段は考えないようなことも
考えることができると思うのです。

例えば、今回読んだ「滅びの前のシャングリラ」は
一か月後に地球が滅亡するお話。

人間みな平等に訪れる「死」が
一か月後にいっぺんに訪れることになったとき、
人は何を思うのか、どう行動するのか。

人生最期の日は、誰とどう過ごすのか。

そんな情景が人物の感情とともに
ありありと描かれているこの小説。

ジャンルとしてはSFに入るのかな。
確かに地球滅亡は現実ではありえないかもしれない。

少なくとも私が生きているあと70年以内には
まだ観測されないことなのかもしれない。

でも、だからこそ
この小説を通して「死」と向き合う。

自分にまだ訪れない(と思っている)
「死」をまざまざと見せつけられることで
自分の「死」と向き合うきっかけになる。

だから、なんでもありの小説も
私にとっては生きる上で大切な指標です。

かといって、みんな小説読んでよ!
なんでも設定の小説だっていいところあるよ!
なんて強制はしようとは思いませんが。

人の感性はそれぞれですからね。

ただ、私は周りの人と比べると
ちょっと感受性が強いほうみたいで。

だからこそ、人一倍受け取るものも多い。

たまに背負いきれなくなって
しんどくなってしまうけれど、
そんなときはこうしてnoteに書き出す。

受け取るものが多いってことは
それだけ伝えられることも多いのかな、と
最近は思い始めています。

長所と短所は表裏一体。

ただ一つ辛いのは、繊細なゆえに
自分の「しんどい」という気持ちに敏感なこと。

きっと、ほかの人だったら
やり過ごすことができる程度でも、
私にとってはついつい大事(おおごと)になる。

自分の心が「しんどいよ!!」って
叫んでしまうのです。

人の気持ちに敏感だからこそ、
本当は自分の気持ちにも敏感。

でも、逆に、だからこそ
自分の気持ちを一生懸命無視することで
自分を保っている人も多いと思います。

そして、自分の心のコップが限界を迎えると、
どうしようもない辛さが溢れだして動けなくなる。

心が壊れてしまう。

……なんだかなあ。
生きづらい世の中です。(笑)

でも生きていくしかない世の中です。

何の解決にもなっていませんが
とりあえず、自分の心の声を大切に、
今日も生きていこうと思います。

敏感さを、繊細さを、自分の心に使おう。
大切に、ていねいに、拾い上げていく。





今日、私はどんな気持ち?
今、私はどんな気持ち?






みなさまも無理せず、良い一日を。


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