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【空虚/虚無感】人生どうでもよくなった時に聴きたい邦楽3選

京王線にジョーカーが現れた。小田急線の事件といい、物騒な世の中だ。京王線も小田急線もボクがよく使う電車で、どちらの事件現場も自宅からそう遠くはない。

犯人は20代。20代の頃の「死にたい」気持ちはわからなくもないが、「殺したい」気持ちは、不謹慎ではあるがもう少し同情できる相手にせめてぶつけて欲しいものだ。しかし、思っていいことと、やっていいことは全くもって違う。ボクだって20代の頃は、たくさん傷つけられ、たくさん騙され、たくさん利用されてきた。「死ねばいいのに」そう思う相手はいても、殺そうと思ったことはない。ましてや、無差別だなんて、とんでもないことだ。罪のない幸せそうなカップルに殺意を覚えた夜もあるが、そのカップルにやっていいことはせめて後ろからカンチョーする程度だ。(ダメですよ。やってないですよ)

すみません。好きな音楽紹介に、こんな暗い前置きするつもりもなかったが、やっぱりこういった残忍な事件が近所で立て続けに起きたことはショックだったわけで。ジョーカーに憧れたとか、映画に罪をなすり付けるなよ。20代、全てを何かのせいにして生きてしまう気持ちだけは理解できる。犯行後に電車内でイキってタバコを吸う犯人のその震えた手元。それを見て少しだけ複雑な気持ちになった。

※これからタイトル通りの曲紹介をしますが、けしてこの事件に影響された選曲ではありません。選曲は以前にしていたものです。

なんかどうでもいい。思考停止ver.

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syrup16g【汚れたいだけ】

syrup16gを知ったのは確か映画学校時代だったけど、教えてくれたのは中高時代の友人の加賀くんだった。加賀くんとはコンビニのアルバイトも同じだった。歌ってることはめっちゃネガティブだけどかっこいいロックバンドと彼から聞いていた。最初に聴いた曲は「センチメンタル」だった。失恋ソングだった。ボクがそれまでに聴いていた失恋ソングというのは、その悲しみの中にもどこか前を向いていく姿勢が伺えるものが多かったが、その曲は違った。最後の最後までとにかく暗く、最後まで投げやりな気持ちで終わるものだった。

今回紹介する「汚れたいだけ」もだいぶ投げやりで無気力な曲だ。しかし、歌い手の素直な気持ちが伝わってくる。嘘っぽい綺麗事な言葉を並べられた歌よりも、どん底にいる自分に等身大で寄り添ってくれるような、そんな音楽だ。逃げたい時は逃げればいい。戦って辛くなるなら逃げればいいのだ。そんな時の自分に必要なものは、希望の言葉よりも、こんな気持ちでいるのは「自分だけじゃない」という事実だけだ。ボクだけじゃない。それだけで人は救われることもあるのだ。

友好的なのは
心の奥に本当の事を
隠すから
小学5年から
人生なめくさってんだ
汚れたいだけ


誰しにも潜まれた罪悪ver.

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くるり【GUILTY】

くるり【THE WORLD IS MINE】の収録曲であり1曲目がこの【GUILTY】である。

確か、高校時代にくるりを教えてくれたのも加賀くんだったろうか。当時まだ1枚目の「さよならストレンジャー」2枚目の「図鑑」しかまだリリースされていない時代だったと記憶している。ある日の高校の放課後、加賀くんがカラオケでくるりの「虹」を歌って、良い曲だと思いそこからくるりを追いかけ始めた。当時くるりはまだ今より全然有名ではなかった(これって古参アピール?)。ボクは3枚目の「TEAM ROCK」から新譜で買うようになった。「TEAM ROCK」は今でもボクがくるりで一番大好きなアルバムだ。その中に収録されている「ばらの花」あたりからくるりの知名度は一気に上がったはずだ。

4枚目の【THE WORLD IS MINE】は、映画学校時代、当時一人暮らししていた柿生のアパートで聴いていた。今思えば、勝手にボクが殻に閉じこもっていただけなのだが、映画学校時代はボクにとって暗黒期だった。気の合う仲間もなかなか見つけられず、一人アパートで酒に溺れる日々が多かった。【GUILTY】の歌の出だしはくるり史上最も暗いフレーズから始まった。そのフレーズが恐ろしいくらいに自分とリンクした。しかし、この曲のサビとも言える長い間奏を聴いた時、その目の前の霧が凄まじい勢いで晴れていった。今でもこの間奏を聴くと、自然と涙が流れるほどだ。まだ人生何も始まってもねえのに、勝手に一人で終わった気持ちでいたボクを救ってくれたのは「歌詞」でなく「音楽」だった。

いっそ悪いことやって
つかまってしまおうかな
欲しいものは諦めてる
持ってるものにも
飽きてきた どうにもならんし


とにかく金がない!貧乏生活ver

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ECD【LAND OF THE DEAD】

今から約3年前の2018年1月24日にECDは亡くなった。享年57歳。癌だった。

ECDを知ったのはいつだったか覚えていない。一時期、自身のブログに常に「今日の貯金残高」を公開していた。いくらだったかも覚えていないが、当時若者だったボクでもビビるくらいの額だった。ブログを読んでいるとどうやら家も近所っぽくて、当時(今も)貧乏だったボクは、音楽よりもまずはそんなあたりから親近感を湧くようになり、彼の音楽をTSUTAYAで借りて聴いていた。

20代の頃は本当に金がなかった。それでも毎日酒は飲んでいた。庄屋でお通しを断り、安い焼酎を一本頼み、焼き魚を一つ頼んだりしていた。誰かと割り勘して一人千円を超えれば高いと感じていた時代だ。1Kのロフト付きのアパートに4〜5人くらいの仲間と住んでいた。ロフトに二人、部屋に一人、キッチンに一人で寝ていた(一人は高校時代の後輩の編集マンの女の子だった)。もう一人は夜勤だったので、そいつが帰って来る時間には我々は起きていて、入れ替わりでそいつもそこで寝ていた。映像仕事を志す仲間たちだったが、仕事なんてロクになかった。特にボクが一番働いていなかっただろう。

編集マンの彼女は、今はもう結婚して子供もいて、最近ではwowowやHuluのドラマの編集をしている。一人の男は、この業界に嫌気がさして、映画業界からは退いたが、今でも映像仕事はしていて、一番稼ぎも良く、家も持っているある意味一番の成功者だ。夜勤だった彼は、今何しているかわからない。当時住んでいた部屋は色々な人間の出入りが激しく、固定メンバーはボク入れてその4人。もう一人は、映像のメイキング仕事をしていたバイトの後輩や、大学を休学して急に俳優志望になった高校の同級生。その同級生も、今では立派な公務員で、同級生と結婚して今では二人の子供がいる。ボクは、まあ、その頃よりは働いている。ギャラ単価は満足できるものではないが、監督としてそれなりに忙しくさせてもらっている。

メイキング仕事をしていた後輩は何をしてるんだろう。昔、一度、町田駅で発砲事件のニュースがあって、現場近くにいた後輩がインタビューされていたテレビをたまたま見たのが久々の再会だった。そういや、その後輩がいつか「死にたい」と連絡してきたことがあった。今、富士の樹海近くにいると電話してきたので、死ぬ前に挨拶くらいしたらどうだと、そいつを当時住んでいた下高井戸のマンションに呼び出した。一緒に酒を飲み、翌朝そいつは帰っていった。すると、また電話がかかってきた。「忘れ物をしました。一本のミニDVテープです。中身は見ずに返してください」とそいつは言った。見るなと言われたテープを見ずに返す人間をボクは知らない。中身は当時そいつが付き合っていた彼女とのハメ撮りテープだった。そいつはそのテープ一本持って樹海に入るなんて、なんて紳士な自殺志願者なんだ。その後、そのテープを返したかどうかは忘れた。

何度確かめても 何度確かめても 何度確かめても
何度確かめても残高ゼロ 残高ゼロ 残高ゼロ
それでも生きてるリビング・デッド
隣の部屋のゾンビ・イズ・ミー


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