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ビートルズ風雲録

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不世出のロックバンド、ザ・ビートルズの歩みをプロデューサー、ジョージ・マーティンの誕生から時代順に追う。
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ビートルズ風雲録(21) 帰国、そして新たな歩みへ

ビートルズ風雲録(21) 帰国、そして新たな歩みへ

ハンブルクから追い出されるように帰国した、我らがビートルズ一行。
1960年末。リバプールでなにかが起こる?

ポール、あっさり退職さて、ハンブルクから追い出されるように帰国した、我らがビートルズ一行。
金もない、仕事もない。
父親に叱られたポールは、仕方なくコイル巻き工場に就職する始末。
しかし、立ち直りも早いようです。
最後に帰国したジョンが帰国後1週間も経たないタイミングで、ジョージとともに

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ビートルズ風雲録(20) ハンブルクでの激務と強制帰国

ビートルズ風雲録(20) ハンブルクでの激務と強制帰国

若い時の苦労は買ってでも、とはいうものの、ビートルズのそれは大変なものだったようです。

インドラ・クラブでの毎日インドラ・クラブでステージをこなす我らがビートルズ。
8月17日~10月3日まで48日間。平日は4時間半、土日は6時間。一日も休みなし。
これは基本スケジュール。
10時間を超えるのも日常茶飯事だったとか。
相手は酔っ払いの船員と風俗店勤務の女性がほとんど。もちろん演奏を聞くなんてのは

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ビートルズ風雲録(19) バンビ映画館、日給の話

ビートルズ風雲録(19) バンビ映画館、日給の話

ハンブルクでの生活の基盤となる定宿、そしてお給料。ビートルズはどんな生活を送ることになるのか?

トイレの隣が定宿ハンブルクに来るなり、いきなりのステージをこなしたビートルズ。
この出演を宣伝する広告でも、すでに「ビートルズ」という名称で紹介されていました。マネージャーのアランは相変わらずシルバー・ビートルズと認識していたので、どうやらアランにとっては、誤って「ビートルズ」と掲載されたということら

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ビートルズ風雲録(18) インドラ・クラブ

ビートルズ風雲録(18) インドラ・クラブ

1960年8月16日、シルバー・ビートルズ(いや、すでに本人たちはシルバーを取ってビートルズと名乗っていました。マネージャーのアランは相変わらずシルバー・ビートルズと呼んでいましたが)はドイツのハンブルクへの旅に出発します。

オースチンのバンで出発!ジョン、ポール、ジョージ、スチュアート、ピート・ベストの5人のビートルズ。そしてアラン・ウィリアムズ。その妻のベリル、彼女の弟のバリー・チャングと友

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ビートルズ風雲録(17) ハンブルクへ

ビートルズ風雲録(17) ハンブルクへ

1960年5月末、1週間の国内ツアーから戻ったシルバー・ビートルズでしたが、お金も仕事もなく。6月、7月は、マネージャー、アラン・ウィリアムズの手配する小さなライブハウスでの演奏をこなします。しかし、8月はハンブルク行きの予定が待っているのです。

ドラマーを探せアラン・ウィリアムズから8月のハンブルク行きを伝えられていたシルバー・ビートルズ。二つ返事で承諾しましたが、出発までにドラマーを手配しな

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ビートルズ風雲録(16) アラン・ウィリアムズ、シルバー・ビートルズ

ビートルズ風雲録(16) アラン・ウィリアムズ、シルバー・ビートルズ

1960年3月、一人の男がエンタメ業界への進出をもくろんでいました。

アラン・ウィリアムズ天才興行師

1930年、リバプール郊外のブートル生まれ。ビートルズの初代マネージャーとなる男です。
最初は配管工として働いていましたが、20代半ばにクラブの経営に乗り出します。1958年に開店した店の名前は、ジャカランダ・コーヒー・バー。ロイアル・カリビアン・スチール・バンドというグループをレギュラーに、

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ビートルズ風雲録(15) ジョニー&ザ・ムーンドッグス、スチュアート・サトクリフ

ビートルズ風雲録(15) ジョニー&ザ・ムーンドッグス、スチュアート・サトクリフ

1959年、クオリーメンのメンバーは、ジョン、ポール、ジョージの3人だけになっていました。カサバ・コーヒー・クラブでの土曜のレギュラー公演もギャラでもめて終了。次なるステップは?

1959年 ジョニー&ザ・ムーンドッグスに改名1959年も年末に近づきつつある10月、3人はバンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」と改め、新たな飛躍を目指します。
まずは新メンバーの追加です。ギターだけではバンドと

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ビートルズ風雲録(14) カスバ・コーヒー・クラブ

ビートルズ風雲録(14) カスバ・コーヒー・クラブ

母ジュリアの死はジョンの心に大きく暗い影を落としますが、クオリーメンの前進を止めるわけにはいきません。彼らはライブやコンテストに積極的に取り組みます。そして、一つの活動拠点に巡り合います。

1959年 カスバ・コーヒー・クラブ開店1959年8月29日、カスバ・コーヒー・クラブ開店

1959年8月29日、この日、のちにビートルズの最初のドラマーとなるピート・ベストの母モナ・ベストが経営する会員専

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ビートルズ風雲録(13) ジュリア・レノン、死亡

ビートルズ風雲録(13) ジュリア・レノン、死亡

1958年7月12日、クオリーメンは自費でレコードを制作します。ますます音楽活動にのめりこんでゆくジョン・レノン。
そのわずか3日後にジョンを悲劇が襲います。母ジュリアが交通事故で命を落としてしまうのです。

1958年 ジュリア・レノン、死亡1958年7月15日

その日もジュリアは愛する息子ジョンに会うために、姉ミミ(ミミおばさん)の家を訪れていました。
ジョンがジュリアと別居したのは、そもそ

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ビートルズ風雲録(12) ジョージ、クオリーメンに入る、初のレコーディング

ビートルズ風雲録(12) ジョージ、クオリーメンに入る、初のレコーディング

着々と力を蓄えるクオリーメン。メンバー交代を繰り返しながらも、バンドの形が見えてきたのか。

1958年 ジョージ、クオリーメンに入るクオリーメンの1958年は、1月10日、リバプールのノリス・グリーン地区にあるニュー・クラブムーア・ホールでのライブで始まりました。
続いて、1月24日、ポールが初めてクオリーメンのメンバーとしてキャバーン・クラブでのライブに登場します。
そして、2月。ポールの紹介

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ビートルズ風雲録(11) 1957年のクオリーメン、リンゴ、ジョージ

ビートルズ風雲録(11) 1957年のクオリーメン、リンゴ、ジョージ

ポール・マッカートニーをメンバーに迎えたジョン・レノン率いるクオリーメン。
1957年のその後の出来事をご紹介。リンゴ、ジョージは?

1057年 クオリーメン、キャバーン・クラブ・デビュー!1957年8月7日、この日、ジョン・レノン率いるクオリーメンが、のちに世界で最も有名なライブハウスとなるキャバーン・クラブで初めて演奏を披露しました。

・・・ということになっています。

「ということになっ

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ビートルズ風雲録(10) キャバーン・クラブ、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが初めて出会う

ビートルズ風雲録(10) キャバーン・クラブ、ジョン・レノンとポール・マッカートニーが初めて出会う

いよいよクオリーメンとしてバンド活動を始めたジョン・レノン。
その才能が、もうひとつの才能と出会うことで世界が変わってしまいます。
その運命の日。1957年7月6日が近づいています。

1957年 キャバーン・クラブ、誕生!1957年1月16日、キャバーン・クラブが開業します。
オーナーはアラン・シトナー。彼はジャズ好きで、医者の息子でお金持ち。ロックにはまったく興味はありませんでした。
彼は以前

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ビートルズ風雲録(9) クオリーメン

ビートルズ風雲録(9) クオリーメン

さて、物語の主役たちは大方出そろいました。
いよいよジョン・レノンが動き出します。
1956年、スキッフル・バンド「クオリーメン」の結成です。

1956年 クオリーメン、誕生!母ジュリアにバンジョーを教えてもらったジョンですが、おりからのスキッフル・ブーム。
「とにかくギターが弾きたい!」と、まずはミミおばさんをどうにかこうにか説きふせて17ポンドのギターを買ってもらいます。
ジョンは近所では名

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ビートルズ風雲録(8) パティ・ボイド、ジェーン・アッシャー、モーリーン・コックス

ビートルズ風雲録(8) パティ・ボイド、ジェーン・アッシャー、モーリーン・コックス

さて、ビートルズの4人が無事誕生して、いよいよ壮大な物語が始まるわけですが、さらにこの物語に欠かせないヒロインの誕生です。ヨーコ、リンダに続いては。。。

1944年 パティ・ボイド、誕生!パティ・ボイド。本名、パトリシア・アン・ボイド。
ジョージ・ハリソンの最初の妻となるパティは、1944年3月17日、サマセットのトーントンで生まれました。3月17日は「聖パトリックの祝日」で、この守護聖人の名前

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