読書感想 『ここは、おしまいの地』 こだま 「とても静かな視線」
著者は、今も名前も顔も出さずに執筆を続けている。
最初の著書が「夫のちんぽが入らない」で、タイトルがセンセーショナルで、ドラマ化もされたのだけど、その内容は、とても切実だった。
それだけ、話題になったのに、著者が誰であるのか、どこに住んでいるのか、そんなことが一切明らかにならない。
さらには、2022年現在で、声を変えてラジオ出演をしたときにも、まだ家族にもバレていない、と語っていたが、そのことで、その住んでいるところが、隔絶されていて、この著書のタイトルが大げさでない場所であることが際立ったように思えた。
『ここは、おしまいの地』 こだま
「何もない」場所は、長い間、おそらくは今でも、柔らかい表現でいえば「まだ、これから」であり、あまりにも変化がなければ、この著書のタイトルのように「おしまいの地」などと言われてしまう状況が続いている。
そして、その「何もない」ことは、吉幾三の歌になっているように、「笑い話」として描かれ、さらには、出ていく場所としての表現に限られていたように思う。
だけど、基本的には、どうやら著者は、今も「おしまいの地」ともいえそうな場所で住んで、暮らし続けている。そうした視点から、さまざまな出来事が語られている。
それは、実はとても稀有なことなのかもしれない。
生まれ育った場所
自虐でもなく、おとしめるわけでもなく、淡々と、その集落のことが語られていく。
薄い絶望のようなものは確かにあるが、だけど、その視線には、とても明確に、周囲と、自分のことを見続けてきた、確固としていて、静かな気配がある。
いくらでも暗く、もしくは救いようのないようにもとれる話が続いているはずなのに、その著者の視線の距離感のおかげなのか、描かれている様々な出来事や、人の思いは、静かに、心の深めのところにスッと降りてくる気がする。
人が生きていること
何もなくても、たった一人で生きているのでなければ、人と関わることになる。
子ども時代の、残酷だけど、しょうもない悪口でのいじめ。
学生時代の、不可解な男女交際。
薬物中毒で、猟銃を持った男に追いかけられた事件。
夫に、家では料理をしないで欲しい、と言われるほど「くせえ家」に住むしかなくなかった時期。
著者は、「巻き込まれ体質」らしく、さまざまな出来事や人に会っていき、時として笑ってしまうようなことも少なくない。だけど、さらに読み進めていくと、それは、どんな場所でも、立ち止まって、ずっと見続けるから、この人は出会ってしまうのではないか。と感じるほど、特に人については、細やかな視線が注がれているように思える。
特に祖母への視線は、静かでありながら、全てから目をそらさずに、その上で、押し付けがましくないけれど、あたたかさもある。
描かれている出来事が、かなりとんでもないこともありながら、その伝わり方が、全体として、澄んだ印象になるのは、やはり表現の美しさのおかげだと思った。
おすすめしたい人
いつも忙しくしていて、少し、気持ちをゆっくりさせたい人。
なんだか分からないけれど、心が疲れていると感じている人。
もちろん、ここまでの引用部分で、興味を持っていただいた方には、ぜひ、手にとっていただきたいと思っています。
(こちらは、文庫版です↓)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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