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読書感想  『ここは、おしまいの地』 こだま 「とても静かな視線」

 著者は、今も名前も顔も出さずに執筆を続けている。

 最初の著書が「夫のちんぽが入らない」で、タイトルがセンセーショナルで、ドラマ化もされたのだけど、その内容は、とても切実だった。

 それだけ、話題になったのに、著者が誰であるのか、どこに住んでいるのか、そんなことが一切明らかにならない。

 さらには、2022年現在で、声を変えてラジオ出演をしたときにも、まだ家族にもバレていない、と語っていたが、そのことで、その住んでいるところが、隔絶されていて、この著書のタイトルが大げさでない場所であることが際立ったように思えた。

『ここは、おしまいの地』 こだま

 生まれ育った集落のことを長いあいだ人に話せなかった。
 店もない、文化や娯楽もない。ひたすら続く田畑に草原、倒木だらけの森、暗い海。閉鎖的な「おしまいの地」に生まれたことも、人の目を気にして縮こまりながら育った自分自身も恥じていた。
 そんな故郷への思いが変化したのはインターネット上で文章を書くようになってからだ。「何もない」ということをさらけ出していけばいいじゃないか。           (「あとがき」より)

 「何もない」場所は、長い間、おそらくは今でも、柔らかい表現でいえば「まだ、これから」であり、あまりにも変化がなければ、この著書のタイトルのように「おしまいの地」などと言われてしまう状況が続いている。

 そして、その「何もない」ことは、吉幾三の歌になっているように、「笑い話」として描かれ、さらには、出ていく場所としての表現に限られていたように思う。

 だけど、基本的には、どうやら著者は、今も「おしまいの地」ともいえそうな場所で住んで、暮らし続けている。そうした視点から、さまざまな出来事が語られている。

 それは、実はとても稀有なことなのかもしれない。

生まれ育った場所

 私はヤンキーと百姓が九割を占める集落で生まれ育った。
 芸術や文化といった洗練されたものがまるで見当たらない最果ての土地だった。
 コンビニも書店もない。学習塾もない。公民館のロビーの一角に「貸し出しコーナー」と書かれた今にも倒壊しそうな本棚が三つあり、住民はそれを「図書館」と呼ぶ。
 電車が通っていないので、もちろん駅もない。バスは一日二便。朝の便を乗り過ごすと午後まで集落から出ることができない。 

 自虐でもなく、おとしめるわけでもなく、淡々と、その集落のことが語られていく。

 都会へ出かけたこともなく、インターネットもない時代だったけれど、子供ながらに「ここは、おしまいの地」と言う自覚はあった。
 この学校で一番を取っても何の価値もない。この集落は終わっているのだから。そうやって一歩離れたところで諦観を決め込んでいたけれど、実際のところ私は勉強でもスポーツにおいても一番になどなれなかった。おしまいの地の、クラスの五番手くらい。口ほどにもなかった。 

 薄い絶望のようなものは確かにあるが、だけど、その視線には、とても明確に、周囲と、自分のことを見続けてきた、確固としていて、静かな気配がある。

 ヤンキーはトラック運転手やヤクザになり、農家の子は跡を継ぐ。地元に残った女子の多くは野菜選別や魚の解体などのパート従業員を経て、トラック運転手や農家の後継ぎと結婚し、子をもうける。世の中が目まぐるしく変化しても、集落はそのようにしてまわっていた。  

 いくらでも暗く、もしくは救いようのないようにもとれる話が続いているはずなのに、その著者の視線の距離感のおかげなのか、描かれている様々な出来事や、人の思いは、静かに、心の深めのところにスッと降りてくる気がする。

人が生きていること

 何もなくても、たった一人で生きているのでなければ、人と関わることになる。

 子ども時代の、残酷だけど、しょうもない悪口でのいじめ。
 学生時代の、不可解な男女交際。
 薬物中毒で、猟銃を持った男に追いかけられた事件。
 夫に、家では料理をしないで欲しい、と言われるほど「くせえ家」に住むしかなくなかった時期。

 著者は、「巻き込まれ体質」らしく、さまざまな出来事や人に会っていき、時として笑ってしまうようなことも少なくない。だけど、さらに読み進めていくと、それは、どんな場所でも、立ち止まって、ずっと見続けるから、この人は出会ってしまうのではないか。と感じるほど、特に人については、細やかな視線が注がれているように思える。

 特に祖母への視線は、静かでありながら、全てから目をそらさずに、その上で、押し付けがましくないけれど、あたたかさもある。

 祖母がこの世を去って七年経つ。晩年は認知症を患った。
 あまりにも控えめなので、近所の人から「遠慮の鬼」と呼ばれていた。列に並べば知らない人に順番を譲り、くじに当選しても権利をあっさりと渡す。「オレなんかが持っていたってしょうがねえ」と手に持っているすべてを潔くあげてしまう人だった。

 齢八〇を過ぎたころ、物静かなパンチパーマに突如ハチャメチャ期が訪れた。病気によるものだと頭ではわかっていても「控え目なおばあちゃんにこんな一面が眠っていたのか」と、その変貌ぶりに私たち家族は動揺した。
 祖母は長い棒を構えるようになった。

 脱走もしたし、脱糞もした。元気なころの祖母の口癖は「人さまの迷惑になるくらいなら死にたい」だった。現状を冷静に振り返ることができたら、とても正気ではいられないだろう。いまの祖母には忘れてしまえることがせめてもの救いだ。

「おばあちゃんは何でも大事にしすぎて台無しにしちゃう人だから」
「おばあちゃんらしいね」
 そう母に相槌を打ってから、気が付いた。自分の持ち物を何でも人に譲ってしまうあの祖母が、孫からの贈り物だけはちゃんと手元に残していたのだと。

 描かれている出来事が、かなりとんでもないこともありながら、その伝わり方が、全体として、澄んだ印象になるのは、やはり表現の美しさのおかげだと思った。

おすすめしたい人

 いつも忙しくしていて、少し、気持ちをゆっくりさせたい人。

 なんだか分からないけれど、心が疲れていると感じている人。

 もちろん、ここまでの引用部分で、興味を持っていただいた方には、ぜひ、手にとっていただきたいと思っています。


(こちらは、文庫版です↓)。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。






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