見出し画像

「目的のためには手段を選ばない」は、間違っている。と思った出来事。

 選挙になるたびに、投票率は話題になる。

投票率は市議選、町村長選、町村議選で、過去最低を記録した。かつては8~9割もあった投票率の下落傾向が止まらない。

 自分の投票した地区のことも気になった。

東京の特別区の区長選は45・8%(1・6ポイント増)、区議選は44・5%(1・9ポイント増)だった。

 やはり、投票する方が少数派になっている。

「若者よ、選挙に行くな」

 そうすると、SNSなどで、投票を呼びかける人も多くなる。

 それが、どの程度、有効なのか、あまり詳細に検討もされていないのだけど、今回は、自分のような情報に弱めの人間にも、届いてきた動画の話題があった。

 それは、たかまつなな氏が、3年前に公開したyoutubeだった。

「若者よ、選挙に行くな」という動画で、3年経って、再び話題になったことは不思議だったが、動画を初めて見た。

 世代間対立をあおる、という批判もされていたが、その通りだと思った。

 私から見ても、憎たらしく見えるような表情や言葉遣いや喋り方によって、「若者は選挙に行かなくていい」ということを、何人かの高齢者が主張する、という作りだった。

 この動画を見て、挑発されて、怒りをもとにして、ここで名指しされた若者が選挙に行き、投票率が上がるとして、それは「たかまつなな」氏の目的を果たすから、それでいいのだろうか。

 怒りをもとにして投票する有権者が、その後、どうなるのか、想像していないのだろうか。

「目的のために手段を選ばない」は、やはり間違っているのではないか、とこの動画を見て、改めて考えた。

ライブ

 すでに3年前になったけれど、コロナ禍の初期に、たかまつななのライブを見に行ったことがあった。お嬢様芸人として有名になってきたのだけど、どうやら、本人はそれには納得していなくて、自分の目指したい方向を目指す、ということらしかった。

 それは「お笑いジャーナリスト」で、それは、他に目指す人も少なく、「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔は、自身を、あくまでも芸人と考えていそうだから、もしかしたら、たかまつななは、唯一の存在になるかもしれない、などと思い、コロナ感染への怖さがありながらも、やや覚悟をして、初めて笑いのライブに出かけた。

 会場は、ほぼ満員で、私は、ロンドンブーツ田村淳が何を話すのかも聞きたくて、その日に行った。

 たかまつとの対談のパートは、とても面白く、の頭の良さと、周囲がよく見えている感じと、「売れっ子」という、今の自分の状況に飽きているような気配もあったが、2021年に大学院を修了しているから、すでに、また新しいチャレンジをしたのだと想像できる。

 たかまつは、そのライブで、今後、「お笑いジャーナリスト」として、どうしていけばいいのか?といった素朴な悩みを、ロンブー淳に問い、それについて、どんな答えがあったのか。今となっては、記憶が薄れてしまったけれど、たかまつは、「お笑い」で、なおかつ「ジャーナリスト」として生きていこうとしているのだから、かなり真剣に考えているからこそ、やや暗さすら出ていたことは憶えている。

 だけど、すでに、その頃は、この「若者よ、選挙に行くな」の動画は公開されているはずだった。そのライブでのたかまつの姿勢と、この動画の「目的のためには、手段を選ばない」印象とは、つながらなかった。

 それは、観客としての自分の「見る目」がないだけだったのだろうか。

公開取材

 2023年には、この「若者よ、選挙に行くな」の動画に対して、これは「ヘイトスピーチではないか」という批判をする人もいた。

 沖縄タイムス・阿部岳記者だった。

 それから、批判をするのなら取材をしてから批判をしてほしい、とたかまつなな氏からの要請があって、しかも、オンラインでの公開インタビューがあると知って、見ることにした。

 30分の予定が、それよりも伸びて、約50分になった。

 (ここから先は、個人的な印象が強くなると思いますので、さらに詳細に知りたい方は、このインタビューの動画↑を確認することをおすすめします)。


 まず、阿部氏の「旅行支援が高齢者だけに恩恵があるかのように演出された部分」や、「教育費を削って年金に回す」といった、「事実と違う」という指摘に対しては、完全に認めたわけではないけれど、なんとなく反省点があるというように、たかまつ氏が話したように見えた。

 ただ、視聴者として、特に印象に残ったのは、たかまつ氏が、とにかくヘイトスピーチとは思わないと言い続けた姿勢だった。

「若者よ、選挙に行くな」という動画は、ヘイトスピーチとは思わない。私は、高齢者を差別するつもりで、この動画を作成していていない。世代間対立を作りたいとは思っていない。

 私は高齢者を攻撃したことが、一度もない。高齢者に選挙に行くな、といったことがない。

 世代間の格差というものが存在していて、そのギャップを埋めていくかを考えて、そのために風刺、パロディとして、この動画を作成している。そんな主張を、言い方を変えて、たかまつ氏は、繰り返しているように見えた。


 阿部記者が、差別と同様に、その意図がなくても結果としてヘイトスピーチになったら、それは、ヘイトスピーチといった指摘には、正面から答えるのではなく、そのつもりがないし、高齢者に対する直接的な差別するような言葉を使っていないから、これはヘイトスピーチではない、といった反論を繰り返しているように見えた。

 この動画に出演している高齢者の方々に「悪役を買って出てもらって」という言い方も、たかまつ氏はしているから、この動画が挑発的な効果を狙っているのは自覚はしているのだろうけれど、若者の投票率が上がればいい、という気持ちは本気のようだった。

 そして、何度も出てきたシルパー民主主義という言葉は、それを信じ込んでいるような姿にも見えた。

無自覚に憎悪を利用した方法

「若者よ、選挙に行くな」の動画と、このインタビューを見て、大きなお世話かもしれないが、たかまつ氏の思考を推察してみた。

 今の日本の選挙の投票率は低い。特に若い層の投票率が低いことで、投票に行く率の高い高齢者層に有利な政策がとられている傾向がある。だから、若者の投票率を上げる必要がある。そのために主権者教育を各地で続けている。若者の投票率を上げるためには、高齢者が悪役とした動画を作成し、注目を浴びるようなものにする。それは、怒りという行動に繋がりやすい感情を刺激したとしても、結果として若者の投票率が上がり、シルバー民主主義ではなく、健全な民主主義になればいいのではないか。

 そんな思考が、たかまつ氏にはありそうに見えて、だから、もしかしたら、自分の、主権者教育を続けている献身的な行動に対して、批判されるのは不本意だという気持ちは、本気なのかもしれない、と感じた。

 自らの正義のために、憎悪を駆り立てる怖さを知らないまま、無自覚に、憎悪を利用した方法。

 この推察が当たっていたとしたら、それは、とても怖いことだと思う。

ヘイトスピーチの定義

 その後、たかまつなな氏への、インタビューを終えた阿部記者が、こうした振り返りのYouTube↑もアップしていた。

 そこで、チャット欄の言葉を、自身も同意する意を表明しつつ、たかまつ氏の「若者よ、選挙に行くな」の動画に対して、こうした表現をしていた。

 若者が少ないという構造の問題を、ありもしない高齢者との対立に変えている。

 確かにそうなのだろうけど、そうした正しさを伝えて、たかまつ氏は、納得してくれるのだろうか。おそらくは、若い層の投票率を上げるために必要、といった言葉を返してくるだけなのではないだろうか。

 阿部氏への批判というのではなく、その前に見た、どこか頑ななたかまつ氏の姿勢を見て、そんなことを思った。

 特定の国の出身者であること又はその子孫であることのみを理由に、日本社会から追い出そうとしたり危害を加えようとしたりするなどの一方的な内容の言動が、一般に「ヘイトスピーチ」と呼ばれています (内閣府「人権擁護に関する世論調査(平成29年10月)」より)。

例えば、
 (1)特定の民族や国籍の人々を、合理的な理由なく、一律に排除・排斥することをあおり立てるもの
 (「○○人は出て行け」、「祖国へ帰れ」など)
 (2)特定の民族や国籍に属する人々に対して危害を加えるとするもの
 (「○○人は殺せ」、「○○人は海に投げ込め」など)
 (3)特定の国や地域の出身である人を、著しく見下すような内容のもの
 (特定の国の出身者を、差別的な意味合いで昆虫や動物に例えるものなど)
などは、それを見聞きした方々に、悲しみや恐怖、絶望感などを抱かせるものであり、決してあってはならないものです。

 ヘイトスピーチは、法務省のホームページでは、このように定義されている。

 こうした定義を読むと、たかまつ氏が「私は、高齢者は選挙に行くな、といったことは言ったことがない」と繰り返していたように、高齢者に対して、直接、投げかけられる差別的な言動であれば、「ヘイトスピーチ」と納得するのだけど、そうではなく、高齢者を悪役に仕立て上げたとしても、目的が、投票率を上げることや、政治への関心を喚起するから、許容される、と、本気で思っていたように見えてくる。

 だから、阿部記者も、おそらくはわかりやすさと、危険性の高さを鑑みて、「ヘイトスピーチ」という表現を使ったはずなのだけど、この言葉の強さのため、「ヘイトスピーチか、そうでないか」についての話に終始してしまったようにも思う。

 今後も、焦点になっている動画に対して、さまざまな根拠をもとに「ヘイトスピーチだ」と言えば言うほど、たかまつ氏は、「私はそうは思わない」と、全力で否定を続ける図式が浮かんでしまう。

 なぜなら「ヘイトスピーチ」と言われ、それを認めてしまったら、現代の言論の世界では、少なくとも一定期間は、社会的な死を迎えることに等しいからだ。

ヘイトスピーチのようなもの

 ただ、この「若者よ、選挙に行くな」という動画は、「ヘイトスピーチ」という表現は強すぎるかもしれないが、でも、限りなく、そうした気配に近い、と言われても、仕方がない構造をしていると思う。

 まず、阿部記者が指摘していたように、事実と違ったり、もしくは詳細に調べれば違うはずなのに、全国旅行支援や、教育費と年金の関係について、どれも若者と高齢者の対立の構造として表現していること。

 さらに、この動画は、たかまつ氏自身も、「若者の投票率を上げるために、高齢者の方に、悪役を買って出てもらった」という表現をしているのだから、意図的に高齢者への憎悪をかき立てる構造になっていること。

 それも、ここに出演している高齢者自身が、そこで話をしている思考や思想を持っていれば、まだしも、これはセリフであるだろうし、思ってもいないことを、言わされている可能性が高いこと。

 そうした要素を考えると、事実に基づかないことも含めて、憎悪を利用しようとしているのだから、限りなく「ヘイトスピーチのようなもの」と言っていいと思う。

 何より、「ヘイトスピーチのようなもの」だとしても、若者の投票率を高くするために動画を作成したのだから、憎悪を利用して、結果として、投票率が高くなったら、それで成功といえるのだろうか。

 投票の率も大事だけれど、投票の質も、重要ではないだろうか。

「若者よ、選挙に行くな」の効果

 とても単純で粗いかもしれないけれど、少しシミュレーションしてみる。

 今まで、政治にも興味がなく、当然、選挙にも行ったことがない若者が、この「若者よ、選挙に行くな」を視聴する。

 そのことによって、周囲に高齢者がいない、その若者は、その動画の中に、若者をバカにしているようにしか見えない高齢者、という敵を見つける。

 マスコミには出ていない真実があった。この敵にこれ以上、調子に乗らせないためには、選挙に行かなくてはいけない。

 そして、その若者は、生まれて初めて投票をする。

 この動画は、このように大勢の若者に視聴され、そのため、若者の投票率は、ついに右肩上がりの直線を描き始めた。


 これは、正規の場所で政治を学んだ人から見たら、とても未熟なイメージに過ぎないのは自覚しているけれど、もし、この「若者よ、選挙に行くな」を見て、選挙に行くとしたら、その人を突き動かしているのは、敵意であり、怒りであり、憎悪のはずだ。

 この動画は、風刺であり、パロディである、と製作者が意図したとしても、それとはっきりとわかる表現がない以上、やはり、高齢者への敵意を増進させる方法論を使っているとしか思えない。

 想像に過ぎないけれど、このようにして、初めて投票に行った若者は、どうするのだろうか。

ヘイトスピーチにつながりやすいもの

 さらに、根拠は薄くなり、儚い想像だけど、進めてみる。

 この「若者よ、選挙に行くな」の動画視聴をきっかけとして、初めて選挙に行った若者は、若者の話を聞いてくれそうな政党や候補者に投票するはずだ。

 だけど、当たり前だけど、実際には、シルバー民主主義が存在しないのと同様に、若者民主主義になることもあり得ない。

 そうであれば、高齢者への怒りのようなもので、投票行動に駆り立てられたとすれば、(本当は存在しないような)高齢者を敵として認識していて、そうした人たちを倒すために、投票行動をし、さらには、高齢者は引っ込め。もういいだろう。選挙にも行かなくていい。といった「ヘイトスピーチ」を発するようになるかもしれない。

 これは、単なる妄想と批判もされると思うけれど、憎しみや怒りが動機になっている行動は、さらに、憎しみを燃やす「燃料」を探してしまいがちで、そのことで「ヘイトスピーチ」にたどり着くまでは、意外と短いのではないだろうか。

 だから、「若者よ、選挙に行くな」の動画は、製作者が「ヘイトスピーチ」と直接的には言えないと否定したとしても、少なくとも「ヘイトスピーチにつながりやすいもの」であるのは間違いないはずだ。


 例えば、そうやって、投票行動を続ける人間は、その後、事実に基づかなくても、事実と思えることを、敵意を燃やし続けるために、利用するしかなくなる。例えば、仮に一人当たりの支援の額が一緒であっても、人口が多い高齢者の方が、若者よりは、総額は多くなる。そうしたことさえも、高齢者を憎むための材料になるはずだ。

 投票率が上がったとしても、こんな方向への変化を、たかまつ氏は望んでいるのだろうか。まだ起こっていないことにコメントできない、といった答えも返ってきそうだけど、やはり、人の憎しみや怒りがいったん発動したら、もちろん全てではないにしても、制御できないほどのエネルギーを持つこともある。

 人の怒りや憎しみを、見くびりすぎていないだろうか。しかも、事実に基づかない、そうした感情は、暴走しやすいのではないだろうか。

 それとも、いわゆる炎上商法を狙っていて、人の注目を集めれば成功なのだろうか。

目的のために手段も選ぶ

 今回、動画の公開だけではなく、批判に対して、取材に応じ、それもオープンにしてもらったおかげで、たかまつなな氏の発言について、考えて、結果的に批判にもなったと思うのだけど、こうしたことは、おそらくはたかまつ氏だけではないとは思っている。

 政治的な運動や活動に関して、参加したこともない人間が言う資格はないのかもしれないけれど、こうした運動や活動で気になることがある。

 大義のために小さな犠牲を厭わない。

 目的のためには手段を選ばない。

 そんな言葉や思想が優先される機会が少なくないような気がする。実際に犠牲が出ているかどうかは別としても、正しいことをするためには、小さな不正は許される、といったことは、思ったよりも、許容されていないだろうか。

 目的のためには手段を選ばない。という方法をとっていると、結局は、目的を果たせない。というよりも、いつの間にか、本当の目的を見失ってしまうような気がする。

 例えば、投票率を上げることを目的としてしまうと、とにかく怒りを利用しても、選挙に行ってもらおうとするのは、その目的だけを考えたら、正しいかもしれない。だけど、そうした動機で投票行動をする人間が増えた時に、よりよい選択ができるのだろうか。

 だから、本当は、投票率は上がった方がいいし、今のように50%を切るのは危機的な状況かもしれないけれど、だからと言って、とにかく投票する人が多くなる、というだけでは、世の中が良くなる可能性も低そうだ。

 問題は、投票の質だろうし、ということは、主権者教育が目指すべきは、当たり前だけど、一人一人が、よりまともになることだろう。だけど、それは地道で、成果も目に見えにくく、ただ徒労感だけが募りやすい。だから、シルバー民主主義という「存在しない敵」を作り出し、その打倒のために「若者の投票率を上げる」という具体的な数値目標を掲げ、その達成のために、本来ならば、とってはいけない「手段」である「ヘイトスピーチにつながるかもしれない」方法をとってしまった。

 それが具体的に形になったものの一つが「若者よ、選挙に行くな」という動画だと思うのだけど、元々は、おそらくは、日本社会を少しでも良くするために、主権者教育を充実させるという目標だったはずだから、それを見失ってはいないのだろうか。


 だけど、似たことは、あらゆる場所で行われている気がする。

 もし正しい目標を達成するのならば、地道であっても手段も正しいものにするように細心の注意を払うべきだと思う。

 目的のために、それに、ふさわしい手段を選ぶ。

 それが、遠回りのようだし、実際にとんでもなく時間はかかりそうだけど、より幸せな社会に近づくには確実な方法だと思う。

 こうしたことを、もっと洗練された表現で語ってくれているのが、政治学者の中島岳志氏なのかもしれない。

理想とする「民主主義像」は、過去にリスペクトをしながら「永遠の微調整」を続けること。そのために集まり、異なる人の意見を尊重しながら合意形成していく場が無数に作られていることだと考える。

「尊重」よりも「敵意」や「怒り」を利用した方が、展開は早いだろう。だけど、それは「正しい目的」を達成する場合は、使ってはいけない方法だろう。

 やはり、「目的のために手段を選ばない」のは、間違っていると思う。

たかまつなな氏への要望

 これだけ批判のようなことを書いて、勝手なことなのは分かっているのだが、せっかく主権者教育という、大変だけど、とても重要なことを継続しているのだから、「ヘイトスピーチ」のような方法を取らずに、これからも続けてほしい。

 今も「お笑いジャーナリスト」という意識を持っているのかは、定かではないのだけど、笑いを生むことができるというのは、過大評価されすぎ、という見方もあるものの、今でもバラエティを見る時間が長い私にとっては、すごい能力だと思う。

 そして、選挙に行く人と、行かない人で、分断が起きているのは「学歴」だというデータもある。「大卒」と「高卒」では差があるという。

 そうであれば、主権者教育が必要なのは、義務教育の段階で、できたら、小学生の時から、現実の政治をもとにした、興味が持てて、将来の投票行動に結びつくような教育が必要なはずだ。

 学校という公教育だけでは、おそらく、いつになるか分からない。
 その主権者教育をするのであれば、「笑い」という武器を持っているのだから、小学生でも見たくなるような動画を作成し、それを、より多くの子どもが見るようにするのが、手数もかかって大変で、遠回りのようだけど、そうした方法しか、投票の質も高く、投票する人も多い、という健全な民主主義にならないのではないか、と思う。

 そう考えると、ほとんど不可能なことのように感じるから、それに取り組んでいる人は、わかったようなことを言うのは失礼だけど、すごく大変なのは、想像はできる。

シルバー民主主義について

 蛇足になるかもしれないが、シルバー民主主義について、少し補足したい。

 まだ、その存在自体の実態を検討する段階なのに、シルバー民主主義という言葉の使用頻度が高くなるほど、本当にあることかのようになってしまう。

 だから、基本的には、使うべき言葉ではないと思うし、個人的にはシルバー民主主義などは、存在しないと思っている。

 20世紀の終わり頃から、家族の介護をする生活に入り、19年間、生活のほとんどを介護に注いできた。そんな中で、2000年から運営が始まった介護保険は利用しないと、介護を続けられなかったから、そのシステムに対しては、あってよかったと思っている。

 同時に、5年ごとに、その介護保険が「改正」の名前のもとに、「サービス抑制」としか考えられないような変化をしてきた。

 本当に、シルバー民主主義だったら、こんなことが起こるはずがない。「改正」の名前にふさわしく、5年ごとに、より必要な支援が受けられたはずだ。

 社会保障費も、削減されていく。それも削減が目標になっている削減に見えている。必要なことと必要でないことを注意深く検討しながら、結果としてかかる費用を減らしていく。といった納得のいく方法ではなく、苦情を言わないところから削っているように思える。

 介護保険を利用する人たちは、自分もそうだったけれど、介護をしていたら、声を上げられない。そんな余裕はかけらもなかった。それに、介護が必要になった高齢者自身も、抗議をするのは難しい。

 そういう声が上げられないところから、削減をされている、というのが実感だったし、それは今も続いていると思う。


リッチシルバー民主主義

 こうしたことは、個人的な狭い経験にすぎないけれど、高齢者層で、生活保護受給者が多いということは、冒頭の公開取材の中で、阿部記者も、たかまつ氏でも、意見が一致していた。

· 平成25(2013)年における65歳以上の生活保護受給者は88万人で、前年より増加(図1-2-9)。
· 平成25(2013)年では65歳以上人口に占める65歳以上の生活保護受給者の割合は2.76%であり、全人口に占める生活保護受給者の割合(1.67%)より高くなっている。

 これは、自己責任では、どうしようもなく、社会的な構造の問題といってもいいのではないだろうか。

 同時に、高齢者で高額の貯蓄をしている人もいる。

世帯主が60~69歳の世帯及び70歳以上の世帯では他の年齢階級に比べて大きな純貯蓄を有していることが分かる

世帯主が65歳以上の世帯の平均貯蓄額2,377万円で、全世帯平均1,739万円の約1.4倍となっている

 このデータだけを見ると、シルバー民主主義、といった言葉も出てきそうだけど、生活保護世帯が高齢者で多い、という事実と並べれば、この大きな貯蓄額は、あくまで平均値であるから、高齢者ほど、格差が大きい、ということにすぎないはずだ。

 ということは、シルバー民主主義は存在しなくても、権力や財産なども含めて「リッチな高齢者」が力を持ってしまっている「リッチシルバー民主主義」の方が、実際に存在する確率は、はるかに高いと思われる。

 シルバーにはなっていくとしても、リッチになる確率は、とても低いので、自分自身は、社会から押し出されないように必死で生きていくしかないのだろう、と思うと、ただ不安になる。

 こんなネガティブな結論になって申し訳ないけれど、それが2023年の今だと思う。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




#多様性を考える   #最近の学び   #投票率   #SNS    #動画
#若者よ 、選挙に行くな   #たかまつなな   #阿部岳
#沖縄タイムス   #公開取材   #インタビュー #主権者教育
#ヘイトスピーチ #対立   #世代間対立   #シルバー民主主義
#新聞記者   #記者   #ジャーナリスト #YouTube
#毎日投稿

この記事が参加している募集

最近の学び

多様性を考える

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。