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かわいい娘の話をします

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娘のかわいい日常をお届けします。日めくりカレンダーの絵柄のように、くるくる変わる子どもの世界を、少しでも書き留めておけたら。
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#子育て

とろける愛のようなものを3つ【書きかけのような日記】

週末、カフェでおひるごはんを食べていると、まぶたが勝手におりてきた。 ミルクの泡に粗さが残るフラットホワイトは苦みが際立つ。なのに、私の頭をぼやかす眠気は一向に去ろうとしない。コーンチップスを、真っ白なサワークリームの塊につける。湯気がたつチリビーンズものせる。みょーんとのびるチーズと一緒に口に運ぶけれど、あからさまに安っぽいプラスチックを食べてるみたい。 あきらめて目をつぶると、唇に固いモノがふれる。反射的にかみ砕くと、隣の娘がニコニコとコーンチップスを私に差し出してい

ジブリ映画を観ている娘を見るのが楽しい

先月から、Netflixでジブリ作品が順次公開されている。ニュージーランドに住む私は、娘とジブリを堪能する絶好のチャンスだ。 「となりのトトロ」からはじまり、「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」。この辺りは6歳の娘でも楽しめる定番で、とてもよい反応を見せてくれた。 「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」は13歳以上の年齢指定になっている。ためしに、「千と千尋の神隠し」を一緒に観てみたけれど、千が湯屋で働いてカオナシが出てくるあたりで娘は明らかに飽きていた。ストーリーの複雑さ

1.3ドルのあこがれ

子どもの頃、絵本の世界にあこがれていた。 記憶にあるのは、ムーミン谷シリーズに登場する「こけもものジャム」。こけももの実がなんたるか、見たこともない小学生の私は、赤いつやつやした、甘酸っぱいゼリーのようなジャムをうっとりと想像した。 畳にちゃぶ台の昭和スタイルだった実家では、イチゴジャムを食パンに塗るのが精いっぱいのおしゃれだ。パンケーキは存在せず、ホットケーキミックスが3時のおやつだったあの頃。 遠い場所ほど、いつか近づきたいと夢見る。たぶんそれは、子どもが抱くファン

6歳の目線からみる詩の世界

子どもは、いつも私の知らないところから学んでくる。 娘は、6歳。日本でいえばこの春から小学校1年生だ。いま住んでいるニュージーランドでは5歳の誕生日から小学校に入る関係で、娘はすでにYear2(小学校2年生)である。 南半球では、12月から1月が夏休み。新年度は、2月からスタートする。進級した娘は、あたらしい環境を楽しんでいる。 朝、教室に向かい、お弁当箱と水筒しか入っていない大きなリュックサックをフックにかけると、わらわらと娘の友達が集まってくる。 彼女たちは、身に

もう泣かないんだろうか

節目でもない、ふつうの日常のなかに、子どもの成長をみつけたりする。今日はそんな記録。 * 娘が通う小学校は、親の送り迎えが一般的だ。我が家からは車で移動する距離のため、朝と夕方、小学校へとむかう。 在宅仕事をお迎え時間ギリギリの14時53分までしがみついて、車のキーをつかんでエンジンをかける。自宅から学校までは、5分ちょっと。ただ向かうだけなら、余裕で間に合う時間だ。 けれども、車で学校に乗り付ける親は、私一人ではない(普通のこと)。学校周りの駐車場はすべて埋まってる

想像力と子育ての枠のそと

夕方、ご飯の片付けも終わり、のんびりとする時間。もくもくと静かに隣のリビングで何やら手を動かしていた娘が、「みてみて〜」と寄ってきた。 腕に、キラキラ光る可愛らしいブレスレットがついている。もちろん本物ではない。本体は折り紙、装飾はマスキングテープ。 それでも、6歳の娘の手にあるピンクのブレスレットは、本物の宝石よりうつくしいんじゃないか。一瞬だけ、馬鹿みたいなことを思ってしまった。 * 親が黙っているほうが、子どもの想像力は育つ。そんな風に感じるときがある。 例え

誕生日を心待ちにしている子がいる

8月だ。 娘がうまれてからというもの、8月はちょっとソワソワする月になった。日本でいえば、夏の終わりが娘の誕生日だから。誕生日会はどうしようと、頭を悩ませる。それから、「生まれてから、もうこんなに経ったのかあ」としみじみする。 6年、はそれなりの長い年月だ。赤ちゃんの頃の娘は、確実に遠い。もういない。でも、「6年も経った」なんて、ほんとに?と聞き返したくなるんだよなあ。 はじめての誕生日は、ヨーグルトのデコレーションケーキに指を突っ込んでいた娘が、「今年の誕生日プレゼン

子どもが正しく間違えている

娘が、マジックに興味を持ちはじめた。 きっかけは、学童で見たマジックショー。それからというもの、鉛筆を手にくっつけて浮かせようとしたり、手のひらのコインを動かそうとしたり忙しそう。 夫が片方の手で見えないように鉛筆を押さえ、手を開いても落ちないマジックの種明かしをしたら、娘は「インチキだ!これはリアルマジックじゃない!」と怒っていた。 それをみて、ああ、娘は「正しく間違えている」のだなと思った。 * あたかも自分の言葉のように書いたけれど、「子どもは正しく間違える」

それは、朝のさりげない会話で

子どもというのは、なんでも遊びに結びつける。生活があり遊びが付属しているのではなく、遊ぶために生きているといっても過言ではない。 パジャマを着ながら「頭がでません~」と遊び、道をあるけば落ち葉を拾い「うちわでーす」と遊ぶ。 食事は、娘にとって遊びのチャンスだ。もとより小食な娘。だまってもくもく食べ物を口に運ぶという習慣がない。大人からみれば「遊び食べ」を連発する。 だからこそ、子どもと違う世界で生きている大人は、だいたいは疲れて、ときには愛おしく思うのだけど。 *

夫に、娘のお尻をぽんぽんするのをやめようと言った話

うちのかわいい娘は、天使のように自由で陽気なので、ときおり「おしりふりふり」とうたいながら踊っている。もちろん、振り付けはサザエさんの歌に登場するタマの踊り方とおんなじだ。 5歳。日本であれば、幼稚園の年長さん。 ニコニコ笑いながら、謎の尻文字を書きだす。それを、「なにやってるの」と夫がポンポンと娘のお尻を軽くたたいて通り過ぎる。 娘は、お父さんに反応してもらえたことがうれしくて、「きゃー!」と笑顔で奇声をあげる。お父さんのお尻を、叩き返すこともある(子どもは手加減しな

風邪にふかれて

「子ども 風邪」 その二文字だけで、世の中の親御さんならぶるっときちゃう。 先週、いやそのもっと前から、noterのハネサエ.さんちでインフルエンザが猛威を振るっている。 ドミノ倒しのように被弾するインフルの脅威と、病人を抱えたワンオペの恐怖、発酵臭をはなつ配偶者、一息ついたころに後ろから殴りかかってくるインフル再来に、画面の向こうから(大変だ…ハネサエ.さん……!)と応援のかわりにスキといいねを連打して念を送っていた。 風邪は怖い。インフルはさらに怖い。なんせ、治っ

女の子の色も男の子の色もないよね

そのむかし、ランドセルは赤と黒しかなかった。 私が産まれた時代は、女の子は赤を背負い、男の子の色は黒だった。 それから30年ばかり過ぎて、ランドセルもカラフルになった。ネットで流れてくる写真を見ると、デザインや機能性にこだわったものもあり、ずいぶんと楽しそうだ。 うちの娘なら、何色を選ぶだろう。 まあ、何色であろうと、好きな色を選ぶのがいいと思う。 親として、子どもの意見を尊重し、旧来のジェンダー感を押し付けるのは避けたい、みたいなことを考えている。 私自身、移民

英語を話すきみと、日本語を話すきみ

外国語は小さいころから学ぶほうが習得が早い、という説がある。海外移住するにしても、年齢が幼いほうが言語を身に着けるのが楽と考える人は少なくない。 我が家の娘は、5歳で英語と日本語の両方を話す。日本人親を持ち、ニュージーランドで生まれ育っているバイリンガルだ。 家庭内はすべて日本語。外では英語。環境的にはバイリンガル育児の理想に近いといえる。それでも、2つの言語を使いこなすのは、楽じゃないんだなあというのが、正直なところ。 * なんでそんな風に思うのか。それは、娘の情緒

子どもの1歳の誕生日に、どうしようもないツラさを抱えていた君へ

スクロールした画面に遠方の友人があらわれる。いや、友人自身は写っていない。そこにいるのは配偶者や子どもの姿。 30歳を迎えた彼女のタイムラインでは、結婚、出産、子育ての話題がピークを迎えている。とりわけ、子どものお食い初めや誕生日のイベントの投稿が多い。 子どもの誕生日というのは、とても幸せな出来事だ。 けれども彼女は、心の底にたまったオリのようなみじめさを感じずにはいられなかった。 膝の上で、もうすぐ1歳になる子どもが笑顔でスマホに手を伸ばそうとしている。 幸せな