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絵のこと

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絵について学びや思うこと
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添い遂げる事

添い遂げる事

自分で描いた絵が愛せない。
でも描くのがやめられない。
描くのをやめると不安になるのだ。

描いた絵は大体は幾重にも塗り重ねられ
放棄と似た手放し方をする。
または破り捨てられる。
完成するのはごくわずか。

ストイックに描いていたのが限界に来た時、
(色々重なりはしたが)
わたしは精神病院に入院することになる。

退院した頃から生活が見直され、
医者の指針が全く理解できないわたしは
ほとんど寝て

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昔の絵に着色

昔の絵に着色

昔の絵を引っ張り出してきた。

白のジェッソ(下地メディウム)を筆で飛ばして凹凸をつけ、その凹凸のキワをペンでなぞっていくと言う技法でした。

途中までペンでなぞった絵に着色してみる
と言う試み。

いい具合に下書きに着色がセーブされて
良いのではないでしょうか

輪郭、
わたしは輪郭が欲しいのかもしれない。
少しの手応え感じています。

歩み出す

歩み出す

自分の世界がある人が羨ましい。
わたしにも揺るぎない秩序が欲しい。
バラバラになってからは
新しい自分に慣れている処。

他人の内面の宝石を眺めるSNS
人と違うことを喜ぶことが大きな秘訣。

そしてわたしは自分を理解するために
歩み出す、一歩一歩、伝い歩きから自立へ

ありがとう、たくさんの宝石たちを
今日も見せてくれて

いつかかならず
いつか必ず
お遊戯じゃない絵を描いてみせる

′23 良い年でした

′23 良い年でした

今年もご付き合いありがとうございました。

なぜ絵を描くのか、ここ3年ほど
描く理由を失っていました。

でも、2年ほど前に絵が売れて
購入者さんからギャラリーさんの紹介を経て
今年の9月は個展を開くことができました。

何でこんな絵がいいのか
自分ではわからないまま
ニーズあるままに描いた絵でした。

「川井さんよく笑うようになった」

確実に元気になっていきました。
やはり、絵が描きたい。

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灯台

灯台

日曜日に学芸員さんとお茶会をした。
はじめてのお茶会で緊張したけど、それぞれの苦労話を聞いて話して、もつれていたことが一気に解けていったお茶会だった。

お茶会のひとつに調査の協力があり、「美術館に通いやすくするために何か要望はありますか」
と言った質問に答えていく、Mさんの一例をレポートするもののようだ。

「川井さんにとって美術館ってどういうところですか?」
の質問に
「灯台みたいな感じ、真夜

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見るということ

見るということ

わたしは作品を見るとき

バレエでも
絵でも
彫刻でも
小説でも

自分と他者の境界が曖昧なのだ。

最近、バレエを見ていて
「わたしではない、このバレリーナという存在」
という見方が少しできた。

ひとつの存在の確認
何処までがわたしで何処からが他人か

今まではわかりすぎることで
憧れの表現者のなぞらえが起きたり
それを何処までも追いかけたり
別人になりたかったりした。

ひとつの存在であるわ

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あなたはゴーギャン

あなたはゴーギャン

いつもありがとう、
あなたはゴーギャンです。

わたしはくるくる夜空の
ゴッホです。

心ある言葉とアクションに
導かれています。

努力の果ての

努力の果ての

すごい絵を描く子が
高校の時にいた。

その子はもう絵を描かない。

どうやったらあんな絵が描けるのか
わたしはその子の絵を追い続けた。

いつの間にか不誠実になって
絵を描くのがどうにも辛くなり
だんだん壊れていく

なぜこんな事が起こるのか?

そして今になって
ハッと気づいたこと。

その子は絵を描く事が好きではなく
別にどうでもよかった事らしい。

ちゃんちゃん

ちょうどいい幸せ

ちょうどいい幸せ

絵を描くことしかあまり考えて
いなかったのだけど

美術館へボランティアに行くようになって
学芸員さんによる
「作品と見手との間にあるもの」
にフォーカスしている事に
深く感銘を受けた。
それこそがアートだと。

作り手と作品の関係
わたしはここにはすごく暴力的だった。
今となっては心が痛むが
良い作品じゃなければ
容赦なくボツにしていた。
描いては捨て、描いては捨て、
何が描きたいのか全くわから

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美しさの追い方

美しさの追い方

日々の生活の営みの中で
美しいものに出会い触れて
それを絵に描こうとしたのではないことに
やっと気づいた

わたしが今まで追ってたのは
芸術の美しさを狼煙とし
その美しさを追い求めることで
その芸術の追体験を日常で試みただけだった

わたしは、わたしを生きてなかった、
わたしは、誰でもなく、わたしの、
営みを手に入れなければならなかった

ずっとずっと大好きな絵の憧れを追い求めて
ただただ感動的な

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おにぎりぎゅっぎゅっ

おにぎりぎゅっぎゅっ

ギャラリーさんに
今描いている絵を持って行って
「何を描いているの?」
と尋ねられて
「人と対面した時の自分を、
おにぎりぎゅっぎゅっと握るみたいに
抑制しているところ」

抽象画の描き過ぎだろうか、
はたまた人と話してないからか
こんな話し方をしていた。

「あっ、わたしおにぎり握ればいいんだ」
「わははは」

後でメールで
「その場面場面で起きる自分の内の情景」
と説明し直しました。

爆発し

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たましいで触れ合うこと

たましいで触れ合うこと

アートイベントサポーターで勉強中です。

学芸員さんに、
「作品と見手の間に起こる出来事がアートで、作品の意向を知ることや作家が何が言いたいのかを知る事がアートではないし、作品だけでアートが成り立つわけではない」
と教わり、鳥肌がたった。

たましいで触れ合うことを恐れるな!
と言われているようだった。

いつしかバラバラになって
視野が狭くなり
自分がわからなくなったこと。

それでも絵を描き続

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下手なりの楽しさ

下手なりの楽しさ

思え、感じろ、そして描け!

下手さを内包していても
うまく描く
そういうスタンスだったが
どうも最近の絵はうまくいかない。

うまく描こうなんて無駄!
下手なりの根性見せろ!

みたいな、何がなんでも
描くんだ!という
ただの根性を描いてます。

楽しいのか悩ましいのか...

そのうちに楽しくなってくると
思っています。
今はこの調子で描ければ
それはそれで嬉しいです。

最近は産むのに辛さを

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