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ヘルプマークの発祥の地の石川県で、参考にした基になった『HELPカード』を追ったー。

こんにちは、翼祈(たすき)です。

ヘルプマークは目で理解できる身体障害以外にも、見た目では分からない聴覚障害などの内部障害といった、様々な障害を抱えている方が、援助をして欲しい時に求めやすい、一般的にも馴染み深い社会福祉のマークです。

ヘルプマークは東京都が作ったのではないか?と思われるかもしれませんが、実は石川県が元々の発祥地ということをご存知ですか?

見た目では分からない病気や障害があることを表す「ヘルプマーク」。2021年の東京オリンピック・パラリンピックにきっかけに普及が進みましたが、ヘルプマークと一緒に身に着け、援助をする時に必要な情報を伝えるヘルプカードがあります。

このヘルプカードが誕生した場所は、実は東京から300km離れた石川県でした。

今回はヘルプマークに置き換わり今はない、石川県の『HELPカード』についてお伝えします。

ひっそりと役目を終えた、ヘルプマークの前身、『HELPカード』が生まれた理由とは?


赤地に白のハートと十字が描かれたヘルプマークは、言語を使用せずに周囲の人たちに知らせる案内用図記号「ピクトグラム」の1つを活かして東京都が作成し、東京オリンピックに併せて普及を進めました。

周りの人たちから見えるヘルプマークを身に着けることで、人工関節や義足、難聴、内部障害を抱えている人、妊娠初期の女性などが災害が発生した時などに周りの人たちに配慮や援助を必要とすることを表します。

その上で、ヘルプカードには個人情報を書き込み、バッグなどに入れて持ち歩きます。緊急時に、そのヘルプカードに書かれている情報が治療や援助に役立てます。

このヘルプカードが初めて作成されたのは東京ではありません。17年前、石川県の小松市、金沢市にある特別支援学校のPTAの役員が発案した『HELPカード』がベースになっています。

「親が近くいない場所で被災したら、周りの人たちに助けを求めるしかありません」。2004年の新潟県中越地震をきっかけに、知的障害などで自分の置かれている状況が上手に伝えられない子ども達の親御さん達が緊急時を想定して2006年に作成しました。名前や緊急時の連絡先、障害の種別を書き込み、『HELPカード』を周囲の人たちに見せたり、観て貰ったりして何らかのサポートを得られる様にしました。

2008年に入ると石川県肢体不自由児協会が、石川県の小松市、金沢市にある特別支援学校のPTAから『HELPカード』の作成を引き継いで、何かあった時に身を守るカードとして、障害を抱えている人たちに常時携帯を発信しました。そして、金沢市などの県内各市町に『HELPカード』の導入が浸透しました。

『HELPカード』に目を付けたのが東京都でした。2012年、石川県肢体不自由児協会に東京都の担当者から『HELPカード』の作成方法などを質問する1本の電話が入りました。東京都は石川県で使用されていた『HELPカード』と同じ役割のカードを「ヘルプカード」と命名し、ヘルプマークと併せて普及へと進めました。

参考:東京五輪パラを機に広まったヘルプマーク 付帯するヘルプカードの発祥は石川県! きっかけは新潟県中越地震 東京新聞(2023年)

石川発祥の『HELPカード』は存在価値が薄れてきました。石川県肢体不自由児協会が作成する『HELPカード』は2019年を最後に作成を中止し、石川県内のほとんどの市町で東京都のヘルプマークが表面にデザインされたヘルプカードの作成を希望者に渡しています。

石川県肢体不自由児協会の事務局長の男性は、ヘルプカードの普及で、「石川県が始まり後だと胸を張るつもりはありません。日本各地どこでもヘルプカードが分かる様になれば、それが1番ですから」と笑顔を見せました。

私とヘルプマーク。

私がヘルプマークを知ったのは、TANOSHIKAに入社してからでした。他の方がバッグに着けているのを観て、「私も欲しいな」と思ったからでした。

私が手に入れようとしていた時、市役所に在庫がなく、住んでいる県の県庁に、なぜ必要か理由を書いて、送付代の切手を入れて自宅まで送って貰わないといけない位、ヘルプマークの在庫がありませんでした。

時々市役所には、受給者証や自立支援の更新などで行くことがありますが、去年位からヘルプマークのカードタイプが置かれる様になりました。

この記事ではヘルプマークの歴史を紹介しました。こんな歴史があったんですね!『HELPカード』は役目は終えても、ヘルプマークはこれからも皆さんの役に立ち、寄り添ってくれることでしょうね。


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