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蝶々の採餌 第四話

あらすじ/銀座の会員制クラブを舞台にしたSF小説。「知っている?蝶々には、甘い蜜が隠れている場所がとても美しい色で見えるのよ。」私は銀座の会員制クラブで働くことになった。採用が決まったその日、お店の艶子ママから『白蝶貝のピアス』を貸してもらう。私はまだ気づいていなかったけれど、そのピアスは――。

「こんにちは!エミリといいます!よろしくお願いしまーす!」
 初対面の人にこんなに心を開いてしまっていいの?


 テーブルの先には3人のスーツ姿の男性が座っていた。三人とも、5、60代。それぞれグレーとネイビーのスーツを着て、白いワイシャツに特徴のないネクタイをしていた。年の割にくたびれた印象もなく、清潔感のある方だと思う。しかし、困ったことに私には3人の外見から区別がつかなかった。


「お酒飲まずに待っててくれたんですか?ありがとうございます!さっそくお作りしますね。・・・その前に!今日glossデビューのあおいちゃんです!もうね、超初々しいの!お手柔らかにね。」


 エミリさんの視線に促されて私は笑顔を作る。

「へえ、いくつ?」


「はたちです。」


 私の年齢を聞いた途端、あきらかに男の人たちの私への興味と場の温度ががぐっと上がったのがわかった。うわー鈴木さんのお嬢さんよりお若いじゃないですか。やめてくださいよ田中さんここで娘の話はいろいろ忘れたくて来てるんだから、とテーブル上を言葉が流れていく。


「じゃあ、あおいちゃん、お酒作るのも初めて?」


「はい。初めてです。」


「いいじゃない!ほら、ここの席でせっかくだから練習していきな。」


「え、お客さん超優しい!!よかったじゃんあおいちゃん!こんないいお客様いないよー。めっちゃ幸先いいね。あ、お客様お名前お伺いしていいですか?」


 スーツの男の人たちはそれぞれ鈴木、田中、佐藤と名乗った。私は左からそれぞれの名前を頭の中で反芻して覚えようと必死だった。一人ずつ顔の特徴を細かに探したけれど、緊張のせいか、5、60代の男性に接する機会がないせいかやっぱり彼ら3人の区別がつかない。


「暑かったからとりあえずビールでいいよ。アサヒの瓶をもらおうか。グラスは5個な。」


「うれしい!ありがとうございます!!」


「あ、ありがとうございます!」


 あゆみさんに必死に続いてお礼を言ったのが面白かったのか、席についた三人が声を上げて笑った。あゆみさんも彼らに合わせて笑う。私は4人にいっせいに笑われたのが恥ずかしくて、何か立ち回りが変だったのではないかと思った。


 あゆみさんの指示でボーイさんが瓶ビールを3本、グラスを5つ運んでくる。テーブルに置き、目にも止まらない速さで胸ポケットから栓抜きを出し、瓶の王冠を外していく。あゆみさんはそれが決まりのようにボーイさんの存在に目もくれない。ボーイさんは一礼して音も無くいなくなる。それはどこか歌舞伎の黒子を思わせた。


「ビールの注ぎ方なら俺が教えてやるよ!これでも新入社員のときに先輩に連れていかれたキャバレーで、ホステスやってた元ミス千代田区に教えられたんだ。」


「佐藤さんが新入社員のときの元ミスって、今70歳くらいじゃないですか?」


「すごい!鈴木さん計算はやーい!!」


「しかもキャバレーなんて、あおいちゃん知らないだろ。」


「たしかにキャバクラと違いがわからないかも、です。」


「いーからはやくビール!エミリお姉さん、お手本見せてやって。」


「はーい!」


 エミリさんは丁寧にビール瓶のしずくをふきんで拭いた。思いのほかゆっくり、そっと。ビール瓶のラベルを上に向け、ビールを心待ちにし、当たり前のようにぐいと突きだされたグラスの中にゆっくりと注ぐ。添えられた左手は銀色のラベルを隠さない。斜めに傾けられていたグラスが、ビールが注がれるにつれまっすぐに向き直る。

 注がれたビールと泡、金色と白の割合はきれいに7対3。ビールのCMで見たのと同じ。ビールがグラスに注がれる一連の流れを、美しいと思ってしまった、そのことがなんだか恥ずかしかった。こんな些細なことで、私が知らない夜の世界に暗黙のルールがあることに驚いてしまった。


 私も見様見真似で他の男の人たちののグラスにビールを注ぐ。上手くできているかどうか気になって仕方がなかったけれど、誰も何も言ってはくれず、乾杯が始まってしまう。乾杯の瞬間、エミリさんが自分のグラスが男の人たちのグラスよりも上に来ることがないよう意識しているのに気付き、なおかつ右手で持ったグラスにそっと左手を添えていることに気付いて真似をする。グラスを口に運ぶ時も左手は添えたまま。たったそれだけのしぐさがとても女性らしく、私はエミリさんの一挙一動から目が離せなかった。

 グラスとグラスを合わせる乾杯の瞬間、鈴木と名乗った男の人と目があった。他の男の人とも合ったかもしれない。ただ、鈴木さんの眼鏡の奥の目が青かったのに驚いて、それが印象に残っていた。


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