政治や社会活動って

先日のある日の出来事。
そこで感じたことは次の記事にすることにします。
そこに行くまでの前置きが長すぎてしまったから。
その前置きというのが、政治活動や社会活動への考え方です。
政治については私個人としては右も左もないし、どちらも良いところと悪いところがあり、政治は究極不要だけど、現実ではそんなことはまかり通らないから、まぁ自分が生きるのに少しでもマシな方法だといいなという感じです。どの世になっても生きていくだけなのですから。関心はあって、ただ単にアホになれってことでもないわけです。
人が全員違う中でにんげんはバカだから本当の共生ができないから、最低限は設けておきましょうというか。そういうもの。本当の意味で多様性があり、受容できる人間性だらけであれば、こんなに監視カメラと法律だらけの世の中ではなく、程よい政治があったくらいでしょうね。みたいな。
縄文の時のほうがよっぽど多様性という文化があったとか。今の世の中は多様性と言いながらの単一化が進んでますね。
人のせい、自分が正しい、そんな被害者意識と承認欲求まみれの現代だからこそ、多様性も受容もなくて、管理社会になる。そのくせ自由とか言い出して、もうどうしようもないな、なんて感じもします。
ちょっと話はずれましたが、まぁそんなようなイメージを持っています。
従わなくてよいし、究極戦争だって言われても、ふ~んそうですかって無視すればよいんだけどみたいな。関わりながら関わらない。
そういうと『じゃあ目の前で自分の子供がぶち殺されたらどうするんですか?』みたいに言われたり、そういう類の話になりますが、やり返すか、どうするかは個人が決めますということ。国に『やり返さなくて悔しくないのか?』『仇を討とうではないか』などと言われたからどうこうするではなく、あくまでも個人の生き方、やり方でよいと思っています。
人間の感情としては殺し返すかもしれないし、動物としたら、何かにおいて死が訪れることは当たり前のため、受け入れるのか。まぁ感情があるから、そんなきれいごとは通用しないけれど、それは人それぞれだと思います。
そして歴史的に現代の政治というもの、左翼も右翼も腐りきっていて、プロレスそのものだという認識でよいと思っています。
自分の見ている世界は自分が創っているという観点では、そんな外的なものも自分が創造しているわけだし、そんな認識もいらない。そう思っているというだけ。究極は自由なのです。不自由さや良いもの悪いものがあるということも自分が創っているだけのものだから。
 こんなことを実感しながら虚無の先みたいなところを生きようとすると、『そんなの(政治や社会をよくしようという活動や、政治や社会に関わる活動)に熱をあげてることは、自分を生きてないことだ』という人もいると思います。『選挙に行ったら変わるとか、社会活動したら変わるとか、自分が政治や社会を変えたいなんてばかばかしい』みたいな。
一部そうなんだけれども、一部違うかなと思っています。
そんなのもあっていいんじゃない?って感じですかね。
ばかばかしいし、自分の望みを生きていないという感覚は、そう言う人の感覚であるし、その人の役割であって、社会で活動する配役の人もいるわけで。じゃなきゃ面白くないよね。みんな役割やってるから、ドラマティックだよね、地球は。。
まぁ本当に望みをかなえようとする人たちはドラマを求めず、点のところに行きたいのかな。。。でもドラマが不要ってわけでもないよね。まぁいいや、すみません。脱線しすぎてどんどん飛んでいきます。私の頭の中。。

いや、たしかに現代人は自分の望みを生きようとするためではなく、社会を良くしたいと鼻息荒くしていながら結局誰かを悪者にして、叩き合っている被害者意識まるだし、依存だらけ、承認欲求満載なだけでやっている人ばかりだから、それもそうなんだけど。
たしかに自分の本当の望み、行き着く先のものとは現地点が違うかもしれないけれど、社会(地球)での役割を行いながら自分の望みに達する行動をしていると考えると、その過程として政治活動などを行っている人もいるし、必要だとも思っています。
そういう人の場合、政治に参加してるなんてばからしいなんて単純に否定することはまた違うなと思うのです。
自分自身はこの状況の中で政治家を目指したり、そのようなことに熱くなりすぎることはできないのですが(自らやりたいことではないから)、自分が応援したい人は応援するし、伝えたいことはこんな感じで伝えたり。それはある意味政治活動かもしれないし、ある意味無関心ではなく関わっていて関わらないという私のやり方です。
ある方は絶対政治家にはならないと言っていましたが、現在政治に積極的に参加しています。虚無主義だからこそ虚無の中に価値があるという思想のもとに行っていると言っていました。その方にとっては地球で現時点でそういう役割なんだろうなと思いました。だから鼻息荒くしている人たちのように、絶対変えて見せる!!○○のために!!というのでもない感覚を感じました。政治は先に書いたように、プロレスだし、絶対的なものではないですが、そうはいってもこんな(ばかな)人間たちが生きているうえでは、そんな究極なことがまかり通らないから、現実的には存在し、その上で最悪を避けるというイメージの人だと思います。
ここまでが前置きです。
長くなりました~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?