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【共感覚と向き合う】エモーショナルを恐れない

彩りに注目され美しい才能と思われる共感覚は、時に可能性を狭める脅威となることがある。

それが「感覚酔い」だ。

ひとつの感覚刺激でいいところを共感覚では、他の感覚からも同時に入ってくるため情報が多く脳に入る。それは心が揺れ動けば動くほどに疲れやすい。

例えば1枚の写真を見る。犬の写真としよう。

写真は視覚情報だけのはずだが共感覚者は同時に犬の

音が聞こえる
匂いがする
手触りがわかる
色が見える
など、他の感覚も同時に押し寄せてくる。

※「写真が視覚情報だけのはず」と曖昧に書いているのは、私が共感覚者でものを視覚情報だけで見たことがないからだ。共感覚を持たない人にこの世界がなかなか想像つかない一方で、共感覚がない世界もまた当事者は想像が困難なことが多い。

感覚を使う、という活動は脳を刺激するのか多く入ってくるととても疲れる。写真くらいならばそこまで大きな刺激になることはよっぽど衝撃的な写真でない限り起こらないと思うが。

先に述べた可能性を狭める脅威とは、この感覚酔いを避けるため新たなものを取り込むことに疲弊し、避けてしまうことだ。

私は同じ映画を何度も何度も繰り返し観る。観ると脳内に録画されるので、観ずに脳内で再生するだけに変える。

サウンドトラックがあれば聴覚情報に視覚情報がこびりついているので、そこから何度も映像を脳の中で再生できるから、それをたくさん聴いて聴覚だけで映画を楽しむ。

新しい映画を観るのは、最近は少し怖い。感覚酔いをするので、あまり観たくない、それなら既に知っているものを…と思ってしまうのだ。

この世にある名作の数々を、全く知らないままでいることも多い。

新しい土地に行ったり旅行をするのも、感覚酔いを避けなるべく静かに過ごしたいという想いからあまりしない。

これは大変勿体ないことをしているのだろうと自覚がある。共感覚の自覚がないうちから無意識に避け続けてきた。

小説に関しては未だによく読まれる以下の記事通りで、こちらも一度聴覚情報だけに変換して読むという方法を行うが、それもまた疲れるため進んでは行っていない。

文字には、エモーショナルが詰まっている。私は特にそう感じるのかもしれないが、文字からの情報が何よりも強いため、小説は私にとって怖い存在だ。

しかし、ひとつの感覚に集中する訓練を行えばこれらは軽減されることがわかってきた。

朗読すれば読めるとわかった時は、一生読めないと思っていた小説の世界を知ることができた。映画も観る時になるべく視覚情報だけに集中し、あとは音楽を聴いて脳の中で再生すれば感覚を分散できる。

旅行なども写真を撮ること(視覚情報)に集中してみると、わりと楽しく過ごすことができる。コロナが落ち着いたらいつか、海外に写真を撮りに行きたい。

試行錯誤しながら、そして感情の揺れ動きによる感覚酔いを未だに避ける傾向がある私だが、確かに回避方法は存在している。先日書いた安全基地の確保も共感覚者のチャージ方法だ。

少しずつ脳に入れることを恐れない自分になれるように特訓中だ。

noteで「共感覚」を検索すると、高確率で私に辿り着く。書き溜めてきたものを読んでもらえれば、当事者がそのような悩みを回避できる方法があると知れるのではないだろうか。

文章が読むことが困難な人には絵本や、講義などでアプローチしたい。

必要な人に伝えられるようエモーショナルを恐れず飛び込み、新たな世界を観続けるよう実践し模索を続けたい。

山口葵


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