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大人になるというのは、簡単な感情を複雑化してばかりだ。

なにやら頭がぼうっとする。心理学の勉強を進めたが頭に入らないので今日は途中でやめた。脳の構造についての勉強をしながら、脳が溶けていくようだった。

無理せず、自分のペースでゆっくりと。そう自分に定期的に呼びかけているが、なんせ「あれがしたい」と思うと猛スピードで色々なことが舞い込んできたり足早に決まっていったりとするため、「ゆっくりと」するのがなかなか難しい。

しかし来月は焦らず、ある程度形づいた毎日のスケジュールをこなすことを目標に、あることにも集中する毎日を送れたらいいなと思う。

色々と走ったり躓いたが、今はおかげさまで幸せだと、生きている実感を感じることも少しずつだが増えてきた。

あの「死にたがりの私」がそんなことをつぶやくとは、と思うが、環境の変化もとても大きい。大きく何かが変わったわけではないが、周りの人が変わった。色々な問題がひとつずつ解決していった。それだけでもとても私にとって生きやすさとなっていっているようだ。

突然何もかも嫌になることもあるが、要らない感情を捨てることを時々私は忘れるようで、一番忘れないといけない「怒り」を、烈火のごとく沸き起こることがある。だいたいの原因は一定で、それに対して許すことができたなら、きっと今よりもっと生きやすく充実した毎日となるだろうことは容易に推測できる。

しかし「許す」という行為はとても苦しさや痛みを伴う。傷つけられたうえに、さらにそれを寛大に許すという行為でチャラにしないといけない、その行為を私はとても難しく思うし、苦しく思う。時には涙が流れる時もある。

それでも「許し」を出来たら私はきっと、前に進むことができるのだろう。

許しには怒りが伴う、しかし怒りは二次感情で、そこに隠れるのは悲しさだった。これらを乗り越えていかなければいけない行為は、非常に険しい。

子供は許す天才だ、とどこかで読んだことがある。
親にどれだけ怒られても、子供は許すことがとても上手で、そんな親を受け入れる。無条件の愛は親じゃなく、子からなのだと。

私も昔はそんな子供だったのだろうか。大人になるというのは、普段簡単な感情を複雑化してばかりだなぁ。

これだけ文章を書けたならあともう少し脳の勉強ができたんじゃないだろうか、まあ、いいか。焦らずゆっくりと、だ。

山口葵

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