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「産む」と「死ぬ」をめぐる”わたし”の物語から、社会の再想像をー『むぬフェス』開催によせて(川地真史|Deep Care Lab)

展示・トークセッション・ワークショップを通じて、「産む」から「死ぬ」まで、生きるをめぐる10日間のイベント『むぬフェス』を5/17-26日、大阪の應典院というお寺で開催します。

むぬフェスの開催に寄せて、企画運営を担うDeep Care Labの川地がみる現代という時代性、個人的経験からくる想いなど、その経緯をすこしばかり、言葉にしておきたいと思います。


社会課題の解決以前に、”わたし”なりの「生きる物語」を。


昨年公開された「君たちはどう生きるか」は、多くの反響を呼びました。それは、みんなが生き方に悩むからだと思います。より具体的に言えば、生きることの不安と不確かさを強く感じている。

社会的にみたら、日本はいま、多くの生きづらさが蔓延しています。将来に希望をもつ若者はたった18%であり、自殺者も多数いる。高齢化社会の中で親しいひとも、そうでない人も多くが独りで亡くなっています。

こうした状況は「社会課題」だとラベルづけられ、上で示されるような統計で、大変さが表されている。しかし、その背後にあるのは、生身の感情であり、暮らしであり、人と人との関係であり、一人ひとりの物語です。

「社会課題」を解決しよう、といった潮流は、その物語が分かちあわれないときに、”わたし”と関係ないものだ、となってしまいがちではないでしょうか。でも、上記の統計の背後には、実際に生きることにモヤモヤしたり、子育ての苦悩を抱えたりするひとが存在する。自分もきっと、そんなひとたちと無関係ではない。どこか近しいもやもやを抱えている。

そうしたことから、考えはじめることをぼくは大切にしたい。そんなことが、この場の背景にあります。

死や喪失は誰にでもやってくるが、ただ終わりでもないかもしれない。

昨年、17年生きた実家の犬が亡くなりました。最近、具合が悪いと聞いていたので週末の朝、京都の家から、名古屋の実家にもどったけれど、家に着く間に亡くなり、死に目には立ち会えませんでした。その日の夕方、火葬することになりました。それまでの半日ほどはせめてもに、と昔よく遊んでいたおもちゃや、好きだった骨のお菓子をお供えして、手をあわせました。

それまで、気にも留めていなかった、「取っておいてもしょうがないね」と言っていたフリスビーやコングといったおもちゃが、愛犬と過ごした昔の想い出をつれてきました。リビングには今も、小さな仏壇を作って、そのおもちゃがお供えしてあります。

・・・
これはぼくにとって個人的な経験でありながら、死についてより深く考える契機になりました。そして、喪失の痛みへの向き合い方も気になるようになりました。

ただ、死や喪失はつらいけれど、ただ「終わり」だけでもない、そう感じることもありました。二度と触れえやしないが、ともに生きた過去がこれまで以上に大切に思えてくる。愛犬を思い返すことも増えました。決して悲しみだけではなく慈しみも感じられました。死は新たな関係のはじまりでもあるかもしれない、と感じるようになった。

もちろん、時間がたった今だからそう言えるだけで、死や喪失を美化したいわけでもありません。

「産む」を問い直す展示を経て。産めない苦しみも出産への重圧も、みんなもやもやしている?


2022年には兄弟法人の公共とデザインにて、「産む」をテーマにしたプロジェクトに取り組んでいました。同僚もみな、こどもを産むことへの、各々のもやもやを抱えていたから始めたプロジェクトです。

活動をはじめ、多くの出逢いがありました。「産めない」と苦しむ不妊治療の当事者も、「産みたくないの」と悶々する方。親ならではの重圧や、養子を取るかに悩む同性カップルもいました。その数だけ、さまざまな葛藤がありました。

そのプロセスと作品を、東京で展示したとき、予想以上の方が足を運んでくれ、自身の葛藤や悩みを直接語りかけてくれることもありました。みな、もやもやを分かちあえる場を欲しているんだ、そう強く感じる場でした。

「産む」から「死ぬ」まで。ままならないから、わかちあうしかない。

産むことひとつとっても、ままならなさに直面します。仏教では生老病死という四苦が語られます。生きることも産まれることも老いることも病に臥すことも死ぬことも、みんな苦しい。

もちろんゼロにはできないけど、少し話せたり、話さなくても表現することで、だれかとつながれたし、ひとりじゃないって感じられる瞬間が、ぼくにとっては救いになったりする。

そして、この大変さをわかちあえばこそ「もっとこうなったらいいかも」「こんな社会もありえるのかも」「自分はこんなことに縛られていたのかも」なんて、さまざまな気づきや可能性があっちこっちで産まれ出てくるようになるんじゃあないか。

とはいえ、むぬフェスは「産む」から「死ぬ」まで、真剣に悩んでいる人だけでなく、ちょっと気になる、なんかおもろそうといったひとにも来てもらいたい。みんなで考えたいテーマだからです。

だから、なるべくカジュアルな場も設けています。「漫画や小説」といったカルチャーからゆるく話せる場もあれば、日常の中にあふれる生と死をみつけるフィールドワークもある。即興演劇ワークショップを通じて、いつもとちょっぴりちがう自分になってみる場もある。子育てや看取りをコミュニティに置き直すことを考える時もあれば、産まないと決めた方の語りをきく場もある。

もやもやから、新たな希望へつなぎ、社会を再想像する。

多様な切り口から、一人ひとりが、いのちのはじまりであり終わりにつながる「産む」から「死ぬ」まで、想いを馳せていけるように。あわよくば、一人の内省で終わらず、その人が別の誰かや周りの小さな社会に働きかけられるような可能性を願っています。ラベル化された「社会課題」からはじめるのではなく、”わたし”の物語から社会を再想像していく。

また、この場には人類学者も哲学者もお医者さんも仏教者もデザイナーも、起業家もアーティストも作家も、生きることに真摯に向き合う方が多く集います。そこから、次の何かが生まれるきっかけになればうれしいと思う。

長々とかきましたが、みなさんぜひ足を運んでください。 生のはじまりもおわりも、ぐるぐるめぐる。生きるをめぐる。 もやもやや葛藤が分かち合われる。 自身の囚われや、価値観に向き直る。 こんなふうになったらいいねって願いも出てくる。

この場自体が、これまでの”わたし”がおわり、 新たな”わたし”の生がはじまる。 そんな場になりますよう。

むぬフェスについて

むぬフェスは、展示・トークセッション・ワークショップを通じて、「産む」から「死ぬ」まで、生きるをめぐる10日間のイベント。

「産む」にまつわる5組のアーティストの作品や当事者との協働デザインプロセスの展示に加え、葬儀体験、生きづらさ、祖先、生老病死など「死ぬ」ことへの想像力をひろげる対話やトーク、ワークショップをひらきます。

一人ひとりの生き方を問い、仏教者や人類学者に医師にデザイナー…多様な専門家や実践者が集い、これからの社会を想像するきっかけの場を目指します。

■日時
2024年5月17日(金)〜26日(日)
平日:12:00-20:00
休日:10:00-17:30 (最終日のみ10:00-15:00)
■場所:
應典院 (大阪府大阪市天王寺区下寺町1丁目1−27) google map
■体制:
主催:應典院
共催/企画運営:一般社団法人 Deep Care Lab
展示協力:一般社団法人公共とデザイン
協力:大蓮寺、パドマ幼稚園、創教出版
■料金:
無料 (トークセッション、ワークショップは有料)
■申し込みリンク(トークセッション・ワークショップのみ):
https://munufes.peatix.com/  
※『産まみ(む)めも』展示鑑賞のみの場合はチケット不要です。
■ホームページ:
https://munufes.outenin.com/
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