最小限の美学

(動画を拝借します。)

ダンスの中で

「手足を動かすことなく踊ることが出来るダンス」というのがある。

【最小限の美学】

この世界の住人もまた

すべてのダンサーがそうではなかったけれど

どういうわけか

不思議と自分の擁護者?が多かった。






自分の専門分野 と 最小限の美学の世界は

パッと見では  ”対極” にあるように見える。

自分の専門分野というのは

あらゆる身体の部位を比較的早いスピードで連続して使うことが多いので、

立ち踊りと言われる広義の括りの中で

最も体力消費量が激しい分野である。

一見スムースでかろやかに、オシャレに見えるのとは裏腹に

一回の練習で体重1キロ減は当たり前

ダンス作品一作品やりきるためには

10キロを30分ペースで楽勝で走りきれるぐらいの体力を要する。

なので見た目以上のハードさに断念するダンサーも珍しくない。

一方、最小限の美学の世界は

極論「静止状態でもダンス出来る」ので手足を動かさなくても出来る。

なので、体力消費量は一見さほどないように”見える”

ただ、ダンスの性質上

「身体の軸を常にキープすることが必須」なので

体幹の弱いダンサーにこの踊りは不可能である。

痩せている、太っている、という話ではなく

体幹が強いか、弱いか、そこが問われる。

また、「局所的に筋肉負荷がとてつもなくかかる」ので

手足をまったく動かしていないのにすぐ汗だくになる。

自分の専門分野が「全身運動の連続」であるとするならば

最小限の美学の世界は「局所運動の連続」である。

だからすぐに汗だくになる。

なので、一見”対極”のようには見えるけれども

実は体力消費量に関してはさほど変わらないことが多く

どちらも「見た目からは想像も出来ないぐらいハードなダンス」である。






自分自身は最小限の美学の世界に傾倒はしていなかった。

だけど、最小限の美学は美しいので

観るのは大好きだった。

特別親しいダンサーがいるわけでもないのによく観ていて

本当に美しく素晴らしいモノを観た時は

自分の筋肉もそれにつられて

ほぼオンタイムで無意識的にhitしていたりした。

他人のダンスを観てつられて自分の身体の部位が動くのは

最小限の美学の世界だけだった。

そういうのをずっと昔から繰り返していたので

自分の踊りには少なからず

最小限の美学の要素が含まれている。

これは、ダンスとして習ったものではなく

100%ダンスを観ることで勝手に染みついたものである。






何事もシンプルなものほど難しく、そして一切誤魔化しがきかない。

最小限の美学の世界のダンスは

一発でいいかよくないか ”分かってしまう”

なのでこの世界の住人は結構ストイックなダンサーが多い。

一切誤魔化しがきかないからである。

他の分野とはケタ違いにシンプルだからである。

「一人の人間」としてはユーモラスな人間も多いけれど

「ダンサー」としては本格派で硬派であることも多い。

ダンスの世界には、こういう分野もある。





一見”対極”に見える最小限の美学の世界の住人が

なぜ自分を擁護したのか

これもまた、自分には一切理由がわからない。

ただ、自分だけの感触としては

「表現としては対極だけど、精神としては共鳴する部分が多々あったから」

なのではないかとは思っている。

もしも理由があるとするならば

自分にはそこしか、見当たらない。

理由はさっぱり分からないとはいえ

少なからずも遠からずも擁護してくれた

最小限の美学の住人にも

感謝したいと思う。

coolな援護射撃だと、自分は思った。





拙い文章お読みいただきありがとうございました。






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