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ハードボイルド書店員日記【135】

「この本が欲しいんだけど」

連休が終わった翌週の土曜日。週末とはいえ客足は疎らだ。カウンターでカバーを折り、パソコンで週明けに入荷する本をチェックする。担当する棚の荷物が少なくても、雑誌とコミックの量が多ければ同じことだ。

年配の男性に声を掛けられた。くたびれた透明なビニール袋から単行本を取り出す。ダイヤモンド社が刊行した池井戸潤「ロスジェネの逆襲」だ。背表紙にラベルが貼られている。図書館から借りたのだろう。国民的な人気を誇った「半沢直樹」シリーズの第3弾である。

「文庫でよろしければ」「いまある?」「少々お待ちくださいませ」レジを無人にしないためにベルを鳴らし、代わりが来てから抜ける。

「お待たせいたしました」「二冊なの?」「文春文庫と講談社文庫、両方から出ていまして」ちなみに講談社文庫の方は「半沢直樹」に改題されている。刊行順にナンバリングが施され、従来のタイトルは副題扱いだ。「内容は一緒?」「のはずです」

両者をパラパラ捲って顔を上げる。「決めたよ」「どちらになさいますか?」「やっぱりこっちがいいな」単行本が再び取り出された。「愛着が湧いていて手離せないんだ」「ドラマはご覧に?」「いや見てない。だから原作とは知らずに借りたんだ。ページを開いたら、もうかっぱえびせんだよ」私の世代なら理解できる。「これだけ面白かったら世間が騒いだのも納得だね」それもわかる。「ロスジェネ~」は予備知識ゼロで単体として読んでも十分楽しめる最高傑作だ。「でもまさか図書館から買い取るわけにもいかないし」同意を求めるように目尻に皺を寄せる。たしかに図書館でしかお目に掛かれぬ名著が世の中にはいくらでもある。

「さすがにこれは置いてないでしょ?」「申し訳ございません」「取り寄せはできる?」「月曜に出版社に注文します。出たのが2012年なので、まだ残ってるといいのですが」「ご迷惑だろうけど頼めるかな?」「迷惑ではありません。喜んで承ります」本心だ。私も村上春樹の本は、文庫になっていても単行本で買いがちだから。両方所有している作品も少なくない。無駄でけっこう。無駄を楽しめることが人生の豊かさに繋がる。

サービスカウンターに移動して座ってもらい、伝票を作成する。「ひとつ訊いていい?」「どうぞ」「どうしてこれが2012年に出たって知ってたの?」「発売された年に購入して読んだので」「ブームになる前?」「ドラマ化は翌年でした」「じゃあその本は大事にしないとね。先見の明があった証だから」その発想はなかった。嬉しいことを言ってくれる。「重要な意味を持つ一冊なので大事にしています。私もロスジェネのひとりですし」「そうなんだ」「特に忘れられないフレーズがあります。365ページを開いてみてください」こんなことが書かれていたはずだ。

「あと十年もすれば、お前たちは社会の真の担い手になる」
「世の中を変えていけるとすれば、お前たちの世代なんだよ。失われた十年に世の中に出た者だけが、あるいは、さらにその下の世代が、これからの十年で世の中を変える資格が得られるのかもしれない」

「なるほどね。いまがまさにその十年後ってわけだ」頻りに頷く。「世の中は変えられそう?」「いえ」素直に首を振る。「この十年で自分が世の中を変える資格を得られたとは思いません。しかし少し前から心掛けていることがあります」続けて367ページへ移り、あるセリフを指し示す。

「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる」
「そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る」

このことを忘れずに十年間書店で働いてきた、なんて収まりのいいキレイごとは口が裂けても言えない。腐っていた時期、忘れていた期間もかなりある。もうこんな仕事したくないと何度も考えた。だが十年経って、ようやく半沢の言わんとすることを皮膚感覚で納得できるようになった。そして気づいた。あるいは、この納得が「世の中を変える資格」を得るためのスタートラインではないのかと。

「頑張ってね。いろいろ厳しいと思うけど、昔は本屋さんが文化の最先端だったんだから。応援してるよ」「ありがとうございます。注文できたかどうかを週明けにご連絡いたします」椅子から立ち上がり、頭を下げながら考えた。この人も半沢みたいに世の中や組織を変えようとして戦ったひとりなのかもしれない。戦った経験のある大人は、いま戦おうとしている未熟者を笑ったり見下したりはしないものだ。

温かいお言葉、ずっと覚えておきます。

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