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ハードボイルド書店員日記【59】

「今日から新しい試みを始めます!」

朝礼で店長が声を張る。長身で眉が濃く、両手を後ろで組んでいる。先月赴任したばかりでやる気を全身に漲らせている。確かめたわけではないがおそらく私と同世代だ。

「名札を変えます。いまから配るこの紙に記入してください。後で紐の付いた透明なケースを渡すので、それに入れて首から提げてください。今日中にお願いします。従来のプレートはこちらで回収します」

名刺サイズの紙を数枚受け取り、一枚もらって隣へ回す。「名前・担当・人生を変えた一冊」という項目が等間隔で縦に並んでいる。横のスペースに我々が書くのだろう。都心のファーストフード店や量販店でたまに見掛ける。別段新しい試みでもない。

「ちなみに私はもう書いています!」
店長が胸を張って示す。「ビジネス書・文芸書・アート書」の下に「司馬遼太郎『竜馬がゆく』」とある。一昔前の役員面接なら模範解答だ。いまも同じかもしれない。

昼休み。休憩室に行くと雑誌担当の契約社員がいた。彼も同世代だ。例の名札に何やら書いている。横から覗き込んで噴き出しそうになった。「一冊」の「冊」が黒ペンで修正されて「曲」に変わっている。その横には「OASIS "Live Forever"」とある。無駄に達筆だ。

「おい何だよそれ」「え、嫌いですか?」「そういう問題じゃない。ウチは本屋だぞ」「だって人生を変えた一冊なんてないですもん。いくら仕事でもないものは書けませんよ」彼は数年前まで学生時代の仲間とバンドを組み、全国のライブハウスを回っていた。CDも何枚か自主制作したが結婚を機に足を洗ったらしい。

「まあそれっぽい嘘で誤魔化すよりは誠実か」「でしょ? っていうか先輩もオアシス好きでしょ?」なぜかドヤ顔を浮かべている。「そんなでもない。アルバムは一枚目と二枚目、あと”The Masterplan”ぐらいか」「満点ですよ。名曲揃いだけどぼくはやっぱりこれかな。先輩は哲学的だから”Don’t Look Back in Anger”とか好きそう」「いいな。でも一曲選べと言われたら”Whatever"だ」「え、意外と王道。でもさっき言った中に入ってないですよ」「だからシングルで持ってる」「一緒です!」嬉しそうにモジャモジャの髪を掻き上げ、右の親指を突き立てた。

「店長のあれ、どう思いました?」「読む継がれるべき名作。商売人なら一度は触れておいて損はない」「そうなんですね。ぼくはあまり興味を惹かれないけど」「もちろん本の好みは個人の自由だ」口笛で”Whatever"の最初のメロディを吹いた。”何であろうと自分が選んだものに俺はなれる”と。「ですよね! だからぼくも自分が選んだものを堂々と掲げますよ。名作が永遠に生き続けるのは本も音楽も一緒だから」

午後。彼の名札を見た店長のリアクションが伝説を生んだ。いきなりレジのど真ん中で”Live Forever"のサビを歌い出したのだ。リアム・ギャラガーさながらに両手を後ろに組んで。

”たぶん君も俺に似ているのかもしれない。俺たちには連中には見えないものが見える” 最後は私も加わった。文春文庫が誇るかの名作を手に携えて。”君と俺は永遠に生き続ける…”

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