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ハードボイルド書店員日記【163】

「これ、ブックサンタで」

レジで申し出を受けるケースが増えてきた。大概は絵本や児童書だ。代金を受け取り「オリジナルステッカー」と「サンクスレター」をお渡しする。お預かりした本は、全国の大変な境遇に置かれた子どもたちへ贈られる。素晴らしい試みだ。

私自身、家や学校で嫌なことがあったときは本に救いを求めた。小学生の頃は図書室にあった江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ。高校1年の夏休みには部活の練習と合宿をサボり、ひたすら「スレイヤーズ」と「ロードス島戦記」を読んだ。空想世界に没頭すれば苦しい人生を忘れられた。

現実逃避? それの何が悪い。酒を飲んで愚痴を吐き、友人や家族に当たり散らし、SNSで見知らぬ他人を中傷する方が立派とでも? 

ただどんな書籍でも寄付できるわけではない。

年配の男性がカゴをカウンターの上に置く。某少年コミックが全巻入っている。「全部ブックサンタね」「申し訳ございません。学習マンガ以外のコミックは対象外でございます」「なんで? 18歳までの子どもへのプレゼントって聞いたけど」「そういう規則になっていまして。申し訳ございません」頭を下げるしかない。なお雑誌や学習参考書、古本やアウトレットブック、そして本以外の玩具や雑貨、文具なども対象外である。

たまに買いに来る痩せた中年男性が、河出文庫の中村文則「掏摸」をブックサンタでと言ってきた。判断に迷ったアルバイトの女性がベルを鳴らし、責任者を呼ぶ。横で見ていて「厳しいかな」と思った。たぶん店長は「掏摸」を読んでいない。タイトルと裏表紙のあらすじを見て、子どもにはふさわしくないと結論付ける可能性が高い。

案の定表情が渋い。しばらく迷ってからカウンター脇のPCの前へ移動した。「ブックサンタオンライン書店」に掲載されたタイトル一覧をチェックしている。冊子のリストもあるのだが存在を失念していたのだろう。「掏摸」が入っていないのは知っている。

「お待たせ致しました。申し訳ございません、ちょっとこういう内容だと」「そうですか」「伊坂幸太郎『逆ソクラテス』や宮下奈都『羊と鋼の森』などでしたら」「わかりました。お忙しいところすいません」気分を害した様子もなく淡々と本を引っ込めた。

店長の判断に逆らう気はない。しかしもし私がこの企画の責任者であれば喜んで受け取る。遠ざかっていく丸い背中へ声を掛けた。

「つまらん人間になるな。もし惨めになっても、いつか見返せ」

165ページで主人公の天才スリ師が、自分を慕う少年に贈る一言。この子は間違いなく「全国の大変な境遇に置かれた子どもたち」に含まれる。歩みを止めてこちらへ振り向く。ニヤリと笑い、軽く頷いてくれた。

「これ、ブックサンタで」
数十分後、同じ男性が私のレジへ来た。今度は文春文庫から出ているトルーマン・カポーティの短編集「誕生日の子どもたち」だ。やはり一覧には入っていない。いささか刺激の強い描写もある。でも私は大丈夫だと考える。ぜひ「全国の大変な境遇に置かれた子どもたち」に紹介したい一冊だ。他の国の他の時代に生きた異なる年齢層の人が発する、自分たちにどこか身近と感じられる声に触れてほしい。

たとえば「感謝祭の客」の75ページ。

「ぎりぎりに必要なものすら手に入れることのできない人がいるのを目にすると、私は申しわけなくなるんだ」
「いや、自分が申しわけなくなるんじゃないよ。だって私といえば、文なしの無力な年寄りだものね」
「私が申しわけなく思ったのは、世の中に何ひとつ持っていない人たちがいる一方で、余分なものまで抱え込んでいる私たち全員についてだよ」

あるいは「クリスマスの思い出」の129ページ。

「もし私にそれが買えたならね、バディー」
「欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったくつらいことだよ。でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ」

この本に救われる子どもはきっといる。しかし私は一介の非正規書店員。馬鹿げていると感じつつ、ベルを鳴らして上司に判断を乞う。それが仕事なのだ。

男性の目を見る。「今度はきっと大丈夫ですよ」の期待を込めて。

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