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先生と茨木のり子【エッセイ】

私の一番好きな詩人は茨木のり子さんです。
あまりにも有名で、改めて紹介する必要はないかもしれないのですが、
『自分の感受性くらい』という詩を皆さんにもよんでほしいのです。

私がこの詩と出会ったのは、
高校一年生の頃。
大好きだった現代文の先生がいました。
若くて、真面目で、清潔な文字を書く先生。
派手さのない口調でありながら
抜きんでて授業がうまかった。
そんな先生だったからこそなのかもしれません。
先生は学校をお辞めになりました。

勉強をやり直すために
一度現場を離れ大学院へ進学する。
そう言って、
先生は生徒と生徒の机の間を廻りながら
最後に、この詩をよんだのです。
先生の声は少し震えていました。


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


最後の言葉をよみあげたあと
先生がわたしの机にコツン、と触れました。
そのあと教壇に戻るまで
こちらを振り返ることはありませんでした。
私の机を鳴らした拳は深く握りしめられたまま。

逃げた。
先生がたった今、私たちから逃げていった。

そう思いました。
「私たち」というのは
教育現場の現実からかもしれませんし
あるいはもっと個人的な事かもしれません。
先生は今、逃げ切ろうとしている。

それに気づいたのはあの教室で
私だけだったでしょう。
そういう自負があります。
細い拳のコツン。
先生の「ゆるしてね」を聴いたのは
あの瞬間、唯一私だけだったのですから。
そして私は先生の共犯者になったのでした。
邪魔をしてはいけない。
私は先生をゆるすほか仕様がありません、よね。

『自分の感受性くらい』という詩は
厳しい、たくましい詩です。
とても正直で弱い詩です。
茨木のり子さんを知った日は、
人間は弱いということを知った日です。
人は人を、そして自分を、どうしたらゆるすことができるのか、
はじめて真剣に考えた日です。

しかしながら答えがでないのです。
何度よみかえしてもこの詩は難しい。
だって私は今、
環境のせいにしながら
時代のせいにしながら生きています。
ずっとゆるせない人がいます。
でも心臓が止まらないのです。
だから私はいつも生きています。
15年間考え続けても答えが出ないので
私はきっと、ばかものです。

あ、そうか……。
私、ばかものだったのか。
ようやく最近、これがしっくりくるのです。
私、少しだけ大人になったのかもしれないと思うのです。
私、少しだけ生きることが楽しいのです。

あの頃
きっと今の私よりも若かったであろう
聡明で美しい先生へ
大切なものを残してくれました。
いつまでもありがとう。


『自分の感受性くらい』茨木のり子 1977年 一部引用




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