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自己肯定感に世代は関係あるのか? ①

自己肯定感ってすごいな。と改めて生徒を見て思わされたというお話を今日はします。

昨日生徒が数人事務所に遊びに来まして、彼らの就活用のポートフォリオの相談から恋愛相談までしてきました。学外なので無料です。笑

私は授業の放課後によく補講を希望者だけ募ってやってきたのですが、生徒の中でも、単位や成績に結びつかなくても学びたいと手を上げる人たちは一定数います。そんな彼ら彼女らに対して、週1で行う授業の後に数時間デザインやブランディングの実践を教えてきました。たまに、生徒数十名とライングループを作りブランディングデザインの宿題をライン上で採点、たまに展覧会情報や有益なデザイン関連の情報を提供してきています。アカデミック
な教授陣から学ぶ授業と違い、デザインの現場に身を送く私のリアルで生きたノウハウや経験は、いわゆる生徒にとって「違う」らしく面白いらしいです。

「学びたい」

こう思う人に対しては、彼ら彼女らの熱量以上で教える。
そして私自身もそれを楽しむ。
そんな思いでやってきています。


さて今日のテーマ「自己肯定感」ですが、こうした向上心のある生徒の中で飛び抜けて自己肯定感が高い人と、そうでない人がいます。高い人は刺激を与えるだけで、勝手に伸びていきます。もう背中を押せばスクスク水を吸い上げて茎を上へ上への伸ばして花をつけますが、低いやつはなかなか時間がかかる。ではなぜか。

ベースにあるのが「自己否定感」だからです。
自分じゃ、無理。
自分には合わない。
潜在的であっても顕在的であっても。
基本自己否定があれば、そりゃ伸びにくいでしょと。サイドブレーキを上げながら高速で走るようなものです。


そして昨日の生徒は呆れるくらい自己肯定感が高い。その子の会話を例にご紹介します。ちなみに彼女は就職が決まっていません。親からの仕送りもない。独り身で東京に出てくる予定ですがお金がなさすぎて、昼は本屋、夜は焼肉屋のダブルワークで好きなデザインの勉強や就職準備もろくに時間が取れていない。

「就職が決まってませんが、まあなんとかなるでしょう」
「将来は日本で有名になるので見ててください」
「親から仕送りもなく、今は働かなきゃいけませんが私ならなんとかします」

彼女は高校生までは引きこもりで人の顔を見て話すことができなかったらしいです。それがある人との出会いがきっかけで変わったと言ってました。


基本的に「人は褒めて伸ばす」ということを言われますし、今のミレニアル、Z世代は確かにその上の世代に比べて「打たれ弱さ」があるとも言われてきています。これ、本当ですか?と問いたいですね。アンケートでもとったのかな。まあただの「傾向」ですね。個人レベルでそれを持ち出すのはものじゃないわけです。

個人による」の一言に尽きると感じます。

どんどん叱って欲しいとわざわざ言ってくる人もいますし、褒めてもさして響かない人もいます。人が求めているものはそれぞれ世代の問題を超えてます。

では「環境」が自己肯定感に及ぼす影響を考えたらどうでしょうか。
確かに小学生が手に電話を握る時代ですから、私たち中高年層が生きてきた時代とは環境が全く違います。私たちを囲んでいる物は以前とは全く異なります。ですが「人格形成」においては環境は関係がないと考えます。環境がどれだけ人に影響を及ぼしたとしても、環境は自分が選びとる条件の中では全ての世代間でギャップはないですよね。

環境が人が作る

だと思いませんか?
ではそうなのだろうか。量子力学を語るわけじゃないのですが、人は細胞もミクロの世界では電子です。電子という情報の集合体としての肉体は、人の外側の世界との隔たりはありませんし、これにおいて人間と環境を切って語る意味はないわけですが、環境が人を作るわけでなく

人が環境を作る

のだと考えたとき、自己肯定感の「高低感」を決めるのも自分なわけです。高低感は環境の理由にしていいのですが、その環境は人が作ります。例えば今置かれている状況がどんなに自分が望むものでなかったとしても、それは自分の責任において引き寄せたものだと私は考えます。これにより以下の結論が言えると思います。

自己肯定感は選べる

つまり、自分次第ですし、ヘアの色や眼球の色、肌の色のように自由意志で(一見)選べないものと違い「選べる」わけです。
じゃあ、選べばいいわけですが、そうも簡単に行かない。なぜか。

自分で「選ばないからです

選んだものがすぐに選ぶことができない。つまり具現化しない。当たり前ですが私たちはハリーポッターの世界に生きていないので思い描いたらすぐに現れません。ですが、強力で継続的で集中的な強い思想は自分を変えて、人を感化して、世界にインパクトを残す可能性があります。ある一人の強い肯定感が作り出したApplePCでこの記事は書いてます。その人は今亡くなっていますが、世界を変えた人です。

強い肯定感はどんな外野の否定も跳ね除けて、望む環境を作り出していきます。

今は焼肉屋の煙の中で揉まれているかもしれない。ただ将来世界を動かすクリエイティブディレクターになればそれでいいんじゃない?と。
見る視点をかえる。今の現状を望まないものとしてただ否定して見るのか、進化のプロセスとして見て、さらに先を見据えるのか。



選ぶのは人それぞれですし、これに世代も何もないんですよ。


理屈はわかった。でもできないんだよ! それでも自分を肯定できないんだ。焼肉屋のバイトで挫けてしまうんだよ。親に反対されて、生徒に、友達に否定され続けて、どうしても自信が持てないだよ。

そんな人に向けて何かを書いてみようと思います。

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