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「傷口は開いたまま」…IS侵攻から5年、ヤジーディの終わらない苦しみ

ISが、イラク北東部シンジャール地区に侵攻を始めたのは2014年8月3日の未明のことだった。シンジャール地方に暮らす宗教的少数派のヤジード教徒(ヤジーディ)たちが標的になった。ISはヤジーディを、イスラム教が批判する多神教で偶像崇拝者であると決めつけて敵視していた。

シンジャール侵攻でISは、イスラム教への改宗を拒んだヤジーディなど数千人を殺害。約6000人を拉致して隣国シリアなどに連れ去り、性奴隷にしたり少年兵士にするなどした。ISは今年2月に実効支配地をすべて失ったが、拉致された3000人の行方はわかっていない。侵攻から5年、ヤジーディにとって、問題は今も現在進行形だ。

対IS作戦を行うクルド人部隊は、2015年11月にシンジャール地区を奪還した。だが、その後もヤジーディたちの故郷への帰還は進んでいない。米紙「ザ・ナショナル・ヘラルド」によると、IS侵攻以前には、シンジャールには20万人以上のヤジーディが暮らしていたが、現在は9万人にすぎない。ヤジーディ以外の住民も含め、29万6000人が国内避難民キャンプなどでの生活を強いられている。

シンジャールへの帰還が進まない最大の理由は、治安が回復していないことだ。ISはイラク、シリア両国ですでに消滅したということになっているが、いわゆる「スリーパー・セル」といわれる潜伏者の活動が続いている。AP通信によると7月下旬、シンジャール地区北東部で、2人のヤジーディがIS戦闘員とみられる犯人に誘拐され、殺害された。5月ごろからイラクやシリアの北部の各地で起きている農地火災も、IS残党の仕業とみられている。

医療、電気、水道などの生活基盤の再建・整備が進んでいないことも大きな要因だ。

例えば、メンタルヘルスをめぐる環境をとっても、「ザ・ナショナル・ヘラルド」によれば、シンジャール地区には公式な常設のメンタルヘルス医療機関は一つもない状況だ。6つの国際NGOがメンタルヘルスのサービスを実施しているが、診察のための人員が不足している。6組織の中で最大の「国境なき医師団」でも、外国人の精神科医と心理学者が1人づつしかおらず、基本的な訓練を受けただけのローカルスタッフに大きな負担がかかっている状態だという。

「ジェノサイドに直面した住民たちは、半数がトラウマを抱え、3割が診療が必要だと言われている。すべての人々を診察するのは、不可能だ」。イラク北部ドホークの心理療法・心的外傷研究所のイルハム・キジルハーン所長は語る。

ISが消滅して、すべて終わってしまったことになったわけではない。「それは、(過去の)記憶といったものではない。我々は今にいたるまでジェノサイド(大量殺りく)の中で暮らしている。我々の傷口は開いたままだ」。イラク国会議員のヤジーディ、サイーブ・ヒデル氏はAP通信に語った。

ヤジーディなどイラクの少数派を脅かすのはISだけでない。イラクでは多数派を占めるイスラム教シーア派の民兵組織の勢力も拡大している。イラク北部にいるシャバックと呼ばれるシーア派系の少数派とも連携して、キリスト教徒などを追い出そうとする動きがあると、現地を視察したカトリックの司祭でコラムニストのベネディクト・キーリー氏が米カトリック系新聞「ナショナル・カトリック・レジスター」に語っている。

こうしたイラクの少数派の状況を救うために必要なことは何か。2018年のノーベル平和賞受賞者で、ヤジーディのナディア・ムラードさんは7月16日に米ワシントンで開かれた会議で、ヤジーディの状況改善のためなすべきこととして、以下の5点を挙げた。

①シンジャールをめぐるイラク中央政府とクルド地域政府の対立解消

②長期的な地域の安定化

③イラクの各少数派を、中央政府やクルド地域政府の治安部隊へ取り込む

④ISによるジェノサイドを法廷で裁く

⑤少数派コミュニティーの支援

この5点、非常に適確に、課題・問題点を指摘している。

①は、イラクの中でのヤジーディの微妙な立ち位置のため、中央政府とクルド地域政府のシンジャールをめぐる主導権争いが発生しているという非常にこみいった問題だ。ヤジーディはクルド語(クルマンジー方言)を話し、クルドと文化・社会をかなり共有しているが、シンジャール地区は中央政府の管轄内のニナワ県に位置しているため、両者の勢力争いの場所になってしまっている側面がある。さらにいえば、ISの攻撃にさらされてヤジーディの支援を続けるトルコやシリアが勢力圏のクルド労働者党(PKK)系の民兵組織もシンジャールをめぐる対立構図の中にある。非常にやっかいな問題である。

②でナディアさんは、長期的な視点でシンジャール地区の復興・発展を目指す必要性を強調する。住宅や社会基盤の整備のため国際的な資金を投入する必要がある、と指摘している。

③は、ISによる迫害を再び招かないように、少数派自身が自衛する術を持つ必要性を訴えるものだ。少数派の人々を中央政府やクルド地域政府の治安部隊に参加させることで、両者の融合を促進し、対立を防ぐ狙いもあるとみられる。

④は、ISの犯罪を国際法廷で裁くことの重要性を強調したものだ。ISを罰するという正義を実現しなければ、今後も同様の犯罪行為が続けられる危険性がある。

⑤では、国際社会やイラク当局が「少数派コミュニティーの支援に成功しなければ、少数派の根絶というISの究極目標に手を貸している、ということになってしまう」と、イラクの少数派だけの問題ではない、とアピールした上で、世界的に少数派の保護を進める必要があるとする。

いずれも簡単に解決するのは難しい問題だ。だからといって、座視していれば、少数派を「異端断罪」の名目で迫害したISに、「やったもの勝ち」の地位を与えてしまうことになる。今や世界中に支持者が存在しているISが、今後も同様の犯罪を繰り返すことにもなりかねない。イラクの一地方の一少数派だけの問題ではないことをはっきり認識しておきたい。

noteマガジン「中東の少数派ヤジーディ」では、ヤジーディを中心としたイラクや中東の少数派に関する記事を掲載しています。参考資料になれば幸いです。

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