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死にたいという書き込み

まえからのおもひ
SNSで死にたいと言ったその後のこと


つたない記事を読んでくださるかた、スキボタンを押してくださるかた、フォローをしてくださるかた、さまざまなかたに感謝申し上げます.

少しセンシティブな内容になります.
センシティブってなんでしたか、イメージは、「相手を傷つける可能性がある」みたいな感じなんですが.

自分の今の気持ちと重ねてしまったり、感じやすかったりするかたはお気を付けてください.
本当に、おちているときにお読みになると、苦しくなるやもしれません.

記事の話題は、まえからのおもひについて.


もうひとつ.
2018年に自分のメンタルサイトで提示した規約を編集したものです.
この何日かで、ばーっと書いたものではありません.


◆死にたいという書き込み

メンタルサイトの吐き出し掲示板を管理していると、「死にたい、消えたい」という書き込みを目にすることがあります.
2017年、SNSの在り方を問われる事件を受けて、メンタルサイトの管理人として、線引きをしておく必要があると思い、書いた文章です.

まず、この4つを禁止いたしました.

・自分を消すために他人に依頼すること
・他人を殺すこと
・自殺の予告
・それらの勧誘

りんの運営するメンタルサイトは居場所です.
「死にたい」という書き込みを消さない理由はひとつです.
それを閉ざしてしまったら、その気持ちはどこへいくのでしょう.


今の日本で「自殺の手伝いをすること全般」は認められていません.
殺人はいけません.
いくら死にたくても殺されるほうが簡単でも殺してほしいと依頼するのはいけません.
これは日本に住まう以上、法律であり、絶対の禁止です.

先述の事件では、死ぬ直前に抵抗したかたもいらっしゃったそうです.
「殺して楽にしてもらえる」どころか、むりやり性のはけぐちにされて殺されることすらありうるのです.


りんは、運営するHP提供会社にも問い合わせをしました.
下のような内容です.
・「死にたい」という書き込みは会社として禁止されているのか※
・「死にたい」という吐き出しの書き込みに対して、警察に通報されるなど法的措置をとられるのか

(※自傷等誘発するおそれのある書き込みはしてはいけないと提供会社の利用規約の禁止事項にはありますが確認のため)

これに対して、
「文言単体としての書き込みであれば、特に禁止はしておりません」
「実際にどのような記述が違反に該当するかということに関しましては都度対応とさせていただいております」
というお返事を頂いています.


以上が、規約を編集した文章です.
ここからが、ずっと持っている思い、となります.

自分のメンタルサイトで「死にたい」という書き込みを目にすると、どの段階での死にたいなのか、かなり心配します.
「どうしたの? 大丈夫ですか?」と、どれだけ言いたいかしれませんが、介入は、していません.
それが当初からの自分の取り決めであり、この取り決めをわたしが守ることは管理人として訪問者さんを守ることにもつながると考えています.
そんな覚悟をもって努めて(務めて)います.

また、あわせて言い続けていることがありまして.
「書き込みは(管理人が生きている限り)ちゃんと気付いてちゃんと見ています」.
これもまた、わたしが決めた「思い」です.


以降は、話がずれます.
自殺の報道を見ると、正直に言って、わたしは、自殺を成功させたひとがうらやましいと思う.
おそらく真っ先に思うこと.
それからたくさんの気持ちが脳と心に出てくる.

そんなに苦しかったんだね.
今は楽になれた?
死ぬという手段を取る前になにかもっと周囲・環境ができることなかったのかな.
どんな気持ちで亡くなったんだろう.
のこされたひとはいるんだろうか、いるなら、どんなひとなんだろうか、どんなふうに思うんだろうか.

でもね、そう思うのは自分が死にたい側のひとだからです.

わたしの大切な家族や友人が自死を選んだら、別のこと考える.
どうして? どうして?
なにもできなくてごめんね、ごめんね、ってすごく思う.
まだ、言いたいこともしたいこともいっぱいあったのに.
ごめんね、ってずっと思うと思う.


わたしが持つテーマ、「生きづらい」.
本当に、生きづらい世の中だとわたしは思う.
とはいえ、どの世の中もきっとそうだった、平安時代だって戦国時代だって、金融恐慌のときだって、未来も希望もなくって、息苦しくて、いろんなこと苦しい世の中があった.
そうして今という時代ももれなく.

じゃあ、どうなったら、生きづらいという気持ちが減るんでしょうね.

死にたいひとの気持ちはわかります.
理由や状況や環境はわかりません.
死にたいのになかなか死ねない気持ちはわかります.
他人に依頼したくなる気持ちもわかります.

わたしがわからないのは、なにがどうなれば、ひとりひとりの「死にたい」がやわらぐのかという方策.

生まれてきて生きているひとが、できるだけしあわせでいられる方法.

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