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考えたことをつらつらと書きます。
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日記|20240501〜0521

日記|20240501〜0521

5月14日
久しぶりの更新。
私生活が充実しているとスマホの中の世界と疎遠になりますね。
が、キラキラとした生活を送っていたわけではなく、免許合宿に行っていました。
もう一生車になんか乗らないぞ。ノーカーボンニュートラル!と思ってたのですが、いい加減車がないと生活が不自由になってきたのでやむを得ず。
乗ってみると、あれ案外楽しいぞ。
食わず嫌い、ならぬ乗らず嫌いでしたが、無事卒検も受かり本免へ。

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日記|20240401〜0408

日記|20240401〜0408

4月1日
私でもわかる。春が来た!

4月2日〜5日
やってしまった。日記の存在を忘れていた。相変わらず、頭の中の独り言はうるさくて、音楽を聴いたり、読書をして無理やり黙らせている。
散歩しながら考えていることは、だいたいネガティブなことである。ときたま、訪れる自然の美しさによって余儀なく思案は中断され、「あぁ、自分は今自分の頭の中に生きていたな。」と反省する。
世界は広いようでいて狭いのではない

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日記|20240308〜0315

日記|20240308〜0315

3月8日

元パートナーの夢を見て目が覚めた。
面白いことに、夢の中の彼もきちんと歳を重ねている。別れてからしばらく経つので、彼が今どんな姿をしているのか知らない。
あまりいい別れ方ではなかった。
別れた直後の夢に出て来た彼は最悪で、恨みつらみをたくさん告げて、満足そうに去っていった。そんな夢を見て、泣きながら目を覚ます。そんな日々が一年くらい続いた。
嫌いで別れたわけではないし、間違いなく人生で

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堂々と手を抜く

堂々と手を抜く

年が明けた。
正確には年が明けてから二ヶ月弱経とうとしている。毎年、年が明けて抱く感想は、「新年側も毎年、新年を繰り返していてすごいな」である。一年くらい、新年さぼりたくならないんだろうか。こと私に関しては、何もかも中途半端、継続していることは呼吸と毎朝の歯磨きくらいの人間である。新年の爪の垢を煎じて飲ませていただきたいくらいだ。
今年は辰年の2024年らしい。自宅リビングのカレンダーは2023年

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頑張ることをやめた

頑張ることをやめた

こんにちは。頑張っていますか?
突然ですが、私は最近頑張ることをやめました。理由はシンプルで、疲れたからです。血気盛んな6年前の私は、「何者かになりたいぞ」という粗野な志をもって、「何者」かになるため齷齪頑張っていたのですが、最近は、「何者でもないこと」に安心感を覚えるようになりました。あえて、自分を何者化するのであれば「何者でもないことを受け入れた者」です。社会にはたくさんの何者かがいます。彼ら

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4回やって気づいた、やっぱりサラリーマン向いてない。

4回やって気づいた、やっぱりサラリーマン向いてない。

表題の通りです。もう、ようやくですか。と自分に声をかけたくなる。「あれほど向いていないって言ったじゃん!」と、過去の自分の声が聞こえてくるようだ。通算4回目のサラリーマン生活を謳歌していた私ですが、やっと不向きであることに気づきました。4回もやっているなら、2回目くらいで気付きそうじゃないですか?普通は。でも、実は始める前からわかってはいたんですよね。サラリーマン向いていなさそうだな、って。頭では

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脳内転職のすゝめ

脳内転職のすゝめ

こんにちは。
いきなりですが、「仕事したくないなあ。」と思ったことはありませんか?
私はあります。

サラリーマンのお仕事というものは、
・技術を身につけられる。
・生活の学びになる。
・毎月お給料をいただける。
上記のように、非常に素晴らしい恩恵を享受できる一方で、
・少しめんどくさい。
・他にやりたいことがある。
・マンネリ化してくる。
時間の経過と共に、こういったネガティブ面も目立ってくるわ

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虫眼鏡で言葉を見る

虫眼鏡で言葉を見る

葉に「こと」を乗せて、言葉にする前に、いっそ、その「こと」を食べてしまいたい。
最近はそんなことを考えている。
大切なことは、自分の一部として身のもとに携えておきたい。空気のように軽いことほど、いとも容易く口元から抜け漏れ、泡沫の如く消えてゆく。私たちは(というか私は)言葉というものを、あくまでも意思疎通の媒体、道具として軽率に扱いすぎてはいないだろうか。
まるで、体の一部のように自由気ままに自動

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小さな地殻変動

小さな地殻変動

旅へ出た。それはあてのない旅ではなく、「芸術と建築を体感する」というテーマを携えた、計画的かつ少しのリフレッシュを目的とした旅だった。無粋にも結論からいってしまうと、自分という小さな惑星に地殻変動が起きたかのようで、これを書き認めている今も、その動きは収まることを知らない。

まず、本当に美しいものを目にすると、それらを表現するありとあらゆる言葉が儚くも砕け散る。その破片を集めて、どうにか言語化を

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桜井和寿という哲学者について

桜井和寿という哲学者について

哲学というものは、生活が忙しくなると、その重要性を増す。
忙しなさと閑かさ、理性と本能の間、両方でもないどちらかを行き来しているとき、私は哲学をしている。
たとえば、「今日の夜ご飯何食べよう」から「どの順番でタスクを片付けよう」など、生活に根ざしたものから、仕事に関するものまで、絶えず考えが働くと思うんだけど、そのどちらにも属さない「なぜ生きているんだろう」という、即効性と答えのない問いかけの思考

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京都が好きだ

京都が好きだ

京都が好きだ。私が今、自信を持って言えるのはこの六文字だけかもしれない。大袈裟かもしれないが、それほどまでに京都に魅了されてしまった。
好き、という想いの前に、まず「感謝」を伝えたくって筆を走らせている。(正確にはキーボードを叩いている。)
ひとまず、京都ありがとう!
とびきり美味しいご飯屋さんに、親切に迎え入れてくださった地元の皆さん。暖かいお部屋を提供してくださったお宿。毎日のように通った銭湯

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余白

余白

最近の私は、余白について考えている。それはなぜかと言うと、自分の余白がなくなっているような気がしていたから、である。随分とコンパクトにまとめてしまったが、情報過多な現代を生きている私たちにとっては、しっくりとくる言い回しなのではないだろうか。
ちなみに、この問いに対する明確な答えは見つかっておらず、低解像度のぼんやりとした写真のようなものしか浮かび上がってきていない。
大体、思考遊びするときってG

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当たり前のことをする

当たり前のことをする

日常は、当たり前の積み重ねである。たとえば、レストルームの手拭き用タオルを変えたり、洗濯機に柔軟剤を入れたり、庭の植物に水をやっているとき、「自分はなんて人間らしいんだ」と思う。当たり前に行っている活動を客観視してみると、人として生きている実感を得る。

人として当たり前に行っている活動は、時に不自然な活動にも思える。柔軟剤を入れなくても洗濯は済むし、庭に水をやらなくてもいつかは雨が降って植物を潤

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