記事一覧
なぜ読解力が必要なのか? 池上 彰
場違いな発言。
なかなか周りと上手くやれない。
何を信じてよいかわからない。
社会に出ると、問題も用意されず、解答を教えてくれる人もいません。
筆者は、読解力育成の大切さを説いています。
情報が溢れた世の中において、情報に流されず、自分をしっかり持ち、自分で考え自ら選択し、夢を叶えていく。
後悔のない人生はありませんが、自分で決めたことならば、いつでも軌道修正ができますね。
未来を担う子ど
異人たちとの夏 山田太一
壮年のライターが、12歳の時に事故死した両親に出会うひと夏。浅草を舞台に、主人公は生気を失いつつも両親のもとに通う。
もちろん、その他サスペンスチックな流れはあるものの、亡き両親との邂逅に明け暮れていく主人公に、読み手が同一化していく。
ひと夏の出会いと別れ。
異次元の出会いと別れは、夕暮れの草いきれの香りとともに脳にしみてくる。
サッカー強豪クラブに合格するための本 ゴールアシスト
息子を小3の終わりにJ下部に入れた時に読み込んだ、言わば私のバイブル。
目立つために「白色のシャカシャカ」を探すが、イマイチ。しかし、買う!と言った具合に。
1次セレクションの前日にインフルエンザにかかり、絶望感と脱力感の中、なんとその夜に大雪🌨️。
セレクションが1週間延期され、何とかなった奇跡的な話。だからなのか、私にとってこの本は「白いシャカシャカ」と「大雪」を思い出させるのです。もちろん
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? フィリップ・K・ディック
ご存知、映画『ブレードランナー』の原作。自然が壊滅的打撃を受けた世界で、生物が昆虫1匹とは言えども法律で厳重に保護されている近未来世紀の物語。
科学技術の発展は、本物と見分けがつかない生物、感情や記憶を与えられたアンドロイドを生み出し、共存している。
主人公は、他者への共感の度合いを判定するテストによってアンドロイドを判別し、破棄する賞金稼ぎである。
人間とは何か?
人間とアンドロイドの違い
中原中也詩集 大岡昇平編
亡き息子への思いを込めた「在りし日のうた」など、
中原中也の作品を編集した詩集。ノスタルジックな
洗練された表現が、詩という形式の中で婉曲的に拡がっていく。音や様子を匠に言葉に落としこむ技法は、
この時代にして今なお新しい。
雨の日や曇りの日に読むと、言葉から香りがしてくる。夭折の天才詩人。
13歳のハローワーク 村上龍
何がやりたいのかわからない、、、。
何になりたいのかわからない、、、。
やりたいことがない、、、。
将来に対して漠然としている。
そんな時に一度読んで見てみてください。
自分に何ができるか?
やりたくないことは何か?
その仕事はどんな意味を持っているか?
勉強とどうしても向き合わねばならない
中学生にとっての、生きるヒントの一つ
になると思います。
「こころの話」 中村憲剛
個人的生活、人生、集団でのチームプレイにおいて、今までどんな気づきがあったのか、そこから何を学んだのか。読みやすく読者も共感できるところが多々見つかるはずである。重要ポイントには、黄色いマーカーが引いてあるのも嬉しい。スポーツ選手の書いた本では、圧倒的に読みやすい本。
種田山東頭火 句集
芭蕉にも一茶にもならなかった極めて人間的な俳人。様々なものを失う過程において、彼自身はブレることなく句作を続け、病み、傷つき、絶望し、今という瞬間の狭間にいた。そして、全ての負の感情を横に忘れ、聖なる感性の赴くままに言葉を紡いだ。孤独な作業の中に、山頭火は何を掴みえたであろうか。重いはずなのに重くない。感性を芸術的領域に昇華させた価値ある句集である。
頭の良さは国語力で決まる 齋藤 孝
勉強という狭い範囲ではなく、人生という広い範囲で国語を語っている。学校でも社会でも上手くやっていくには、脱個性ではなく、逆に語彙力、読解力、表現力が大切であると述べている。
大人になって振り返り、学生の時にしっかりとやっておけば良かったと考える教科第二位は国語らしい。
整った環境とプロの徹底指導を受けて、
読解力の伸長
自学自習力の定着
小論文の上達
しっかり伸ばしてみませんか?
授業報告の毎回の
100万回生きたねこ 佐野洋子
誰からも愛され大切にされる猫。
しかし、彼は自分だけを愛している。
不運な事故で繰り返される死、そして生まれ変わり。
ある時、自分に全く興味を示さない美しい白猫と出会い、恋に落ち、家族を持つ。
先に逝く白猫の死に直面した時、猫はこれ以上泣けないくらいの涙を流す。以後、猫は生まれ変わることはなかった。
誰かを愛することの尊さや唯一無二の存在に出会うことの貴重さを、実存的なタッチで描いていく。誰しもに
蜘蛛の糸・地獄変 芥川龍之介
中国の故事を日本語に翻訳したもの。
人によっては実に訳すだけの簡単な仕事と考えるかもしれないが、実は逆に非常に難しいものである。
自分の考えや文体を持っていないと、活字に翻弄されるからだ。文にならないのだ。そこに皆苦労する。
原千代海先生の、『人形の家』の後書きを読んでみるとよい。訳文の文体と全く異なる。硬質でしまった文だ。その使い分けが自然とできるのが、天才所以なのであるだろう。