みんな違ってみんないい
金子みすゞの有名な詩を理解したのは、20歳を過ぎてからだった。
初めて日本を飛び出して、やっと掴んだ感覚。
僕が人生を自分のものとして意識しだしたのは、ニュージーランドに短期留学した大学2年の夏休みから。
語学学校に通ったのは2週間ぽっち。
もう1週間は観光をして帰国したから、現地にいたのは3週間くらい。
たった3週間。
それだけでも結構、人間変わるときは変わる。
知人が先に留学していて、それに誘発された形だった。
一人では決断しきれなかったと思う。
言い訳を作るのは簡単。
だから僕は運がよかった。
今の僕は、海外経験はすごく価値のあるものだと思う。
例え1週間の短期留学でも、チャンスがあるなら”絶対に”行きなさいと後輩には言いたい。
やらないための言い訳をしない。
チャンスを逃すなと。
「経験することで本懐を理解する」
経験はいとも容易く”知識や想像”を上回ってくる。
経験が人を象ると理解した僕は、可能な限り”飛び込んでいく”人生を送るようになった。
いろんなところを旅したし、いろんな仕事をした。自衛官もやった。
こうやって僕の人生は続いていく。
破壊された偏見
20歳になったばかりの僕は、まだ高校生の延長線上にいた。
物心ついてない子供だった。
NZで語学学校に行って、日本人が自分一人しかいない教室に通って、初めて自分が抱えていた”重苦しさ”に気づいた。
帰国後の東京、電車の中で項垂れる人々にも同じものを感じた。
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僕たちは義務教育で、徹底的に均質化の波に晒されてきた。
出る杭は打たれる
目立つことは避ける
理不尽でも従う
減点方式
同調すること
(悪く言うつもりはないけど)かなり独特な価値観の中で僕たちは育てられる。
最初は選択の余地がない。
いつしか、与えられた社会の偏見が染み付いている。
一方的な見方で人を評価し、優劣をつけてしまう。
単一民族の島国という性質上、余計に偏ってしまいやすい。
広い視野で物事を見つめることが難しい。
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教室は楽しかった。
多文化の中にいると、纏っていた”殻”を脱ぎ捨てることができた。
サウジアラビア人のサイードは、いつも遅刻して教室にやってきた。
コリアンのトニーは、いつも青りんごを齧りながら話を聞いていた。
先生はラッパー風のおじさんで、宿題のプリントを縦折りにして投げてくる所作が見たことのない動きだった。
コロンビアの青年に中国の女子高生、それに僕と、運よく国籍に偏りのない教室だった。
学習内容は中学1年生の文法だった。
みんな、喋るときの瞬発力はものすごく高いけど、問題を正確に解くのは僕だった。
サイード「me no like grammar」
文法は壊滅的でも、サイードはよく喋る。
喋るのが苦手な僕が脳内でセンテンスを構築しているうちに、話題がドンドン移り変わっていくのが常だった。
日本人が自分一人という人生初の状況は、原始意識や反射で生きる虫になったような快感があった。
素面の自分でいる
なにも演じていない
そんな感覚が新鮮でたまらなかった。
同調圧力とか、減点方式とか、分からないけど、いろんなものに支配されてた意識が解放される感じだった。
「みんな違ってみんないいのだ」
自分なりに本懐を得る。
自由でまとまりのないメンバーのことが愛おしい。
この空間、この瞬間が愛おしい。
ああ、自分はこのためにNZへ来たんだ。
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たくさん旅をしてきた人は格好いい
いろんなところへ行って、いろんな人と交流して、自然と経験値が増えて、「寛容さ」とか「人を導く力」とか、いろいろ持っているから。
だからもっと旅したいし、みんなに旅するよう嗾けていきたい。
これを読んでくれた誰かの人生にも、少しばかりの影響をもたらしたい。
”ツーリスト”ではない。
”バックパッカー”の感覚で、国内外問わず、知らないところを旅して、知らない人と話して欲しい。
「コロナが落ち着いたら」
「今はそういう状況じゃない」
と思った貴方にこそ、今すぐ出発するための理由を探して欲しい。
旅が呼んでいるから、今これを読んでいる。
得体の知れない大きなものが、想像もしなかったものが、貴方を待っている。
いつでも叶うものではない。
ずっと続けるものでもない。
でも行くべき時は、素直に旅に出るのがいい。
たくさん経験する。
たくさん知恵をつける。
みんな違ってみんないい。
だからこそみんなすばらしい。
皆さまの施しによって生かされています。 一期一会を大切にしてまいります。 受けた御恩は一生忘れないようにいたします。