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瞿曇悉達多

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上座仏教から禅まで。思う所を自由に書いています。文章は短い記事が多いです。余白に何を思うかは、皆さん次第。
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記事一覧

貪瞋痴

貪瞋痴

煩悩という言葉は広く知られていますが、どんなことを指すのでしょう?それは、私たちの心を悩ませ、かき乱し、煩わせる心の動き全てを指します。

その煩悩に支配された状態を無明と言います。それは貪欲(むさぼること)、腹を立てること、愚痴をいうことに代表されます。これらを順に貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)と言います。心身を毒するところから三毒とも言います。

一つ一つ解説が必要でしょう。まず貪について。

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頑は張らずに頑張り末世

頑は張らずに頑張り末世

私は宗派仏教には拘っていません。成る程、そんな考え方(境地)があるのか、と感心するばかりです。

従って仏陀の教えの解釈を巡って論争をすることなどありません。またそんな幅広い知識もありません。

ただし仏陀の教えを全く曲解しているもの、在りもしない「我」を喜ばせる道具にしている人は一定数います。それに関しては疑問を呈さざるを得ません。

在りもしない我を喜ばせている人、私自身もその一人に違いありま

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正信偈

正信偈

正信偈は浄土真宗の教えです。正しくは「正信念仏偈」と言います。

朝夕の勤行で読誦しますが、これは経典ではありません。親鸞聖人が心の裡を吐露したものです。親鸞聖人は僧籍にあって妻帯した初めての人物です。

非常に長い「偈」ですが、私が気にかかるのは、「凡聖逆謗斉廻入(凡・聖・逆・謗ひとしく廻入すれば)如衆水入海一味(衆水の海に入りて一味なるが如し)」です。

これは一般的には凡夫も聖人も逆賊、謗(

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十牛図

十牛図

偽りの自分、そんなものは「犬に喰わせてしまえ!」というのが師の教えです。(「師」とはキネシオロジーを教えてくださる「師匠」とは別の存在です)。

「偽りの自分」とはペルソナのことです。自分が自分であると思っている「我」のことです。「我」には反応しかありません。インプットに対するアウトプットだけです。

「十牛図」というものがあります。悟りの階梯を十段階に表現したものです。(イエス•キリストのシンボ

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禅の精神

禅の精神

禅問答というものがあります。
答えの分からない、掴み所のない
やり取りのいいです。

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捨身飼虎

捨身飼虎

「捨身飼虎」という例えがあります。

仏陀が前世で飢えた虎と7匹の子虎に餌を
与えるため、断崖から身を投げ、慈悲の心で自分の肉体を与えたというものです。

私は単純にこの説話と解説に違和感を持ちました。
「死んでしまってどうするのだろう」
「虎は一時的に飢えは凌げるが、また食べていかなくてはならないだろう」
と率直な感想を持ちました。

仏陀が投げ捨てたのは、肉体を含む「我」です。すべての執着、囚

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禅問答

禅問答

禅問答の公題には正解はありません。

模範解答のようなものをよく見かけますが、
あれはこじつけで、さして意味はないで
しょう。

問答の主旨は正解のない問いにどう答えるかを師匠が聞き、弟子の悟りを見極めると同時に「頓悟」に導くことにあります。

しかし頓悟は入り口に過ぎません。何かの
きっかけで突然悟ることは出来てもそれを
保持し続けるのは難しいからです。

悟り続けるためには人生そのものが悟りの

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梵我一如

梵我一如

煩悩は滅するべきか否か。

煩悩は、「こうあって欲しい」という「我」から生まれ出るものです。

それは自然に湧き出て来るものなので、蓋をしても次々に涌いて来ます。

切りがありません。

また、煩悩を滅しようと拘り続ければ、その
こと自体が執着となり、新たな煩悩を形成
してしまいます。

元となっている「我」を「梵」と一体化し、
梵我一如とすることで自然に消えてなくなる
ものだと思います。

これ

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上座仏教

上座仏教

※写真はタイの「ワット•パク•ナム」

私は原始仏教にこだわっています。

仏教の教えには色々な宗派があります。
百家争鳴状態です。
納得できるものもあり、解釈が理解できない難解なものもあります。

全ては実体験に照らし合わせ、その境地に至らない限り、真の理解とはなりません。

仏教と一括りに言いますが、そもそもの意味を簡単に考えると「仏の教え」ということになります。

では仏は何を教えたのでしょ

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諸行無常

諸行無常

比丘たちよ、今こそおまえたちに告げよう。
諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。  
『マハーパリニッバーナ経』『南伝大蔵経』

これは釈尊の入滅に際しての最後の言葉で
あるといいます。

これ以降、弟子達は釈尊の遺した言葉と戒律を拠り所とすることになりました。

仏門を叩く人は正にアーナンダやマハーカッサパのようであるべきでしょう。

頓智

頓智

「頓智」とは何か調べてみました。
意味はその場に応じて咄嗟にでる知恵、機知とあります。

一休さんは頓智でよく知られています。

足利将軍が「屏風に書かれた虎を退治して見せよ」と言った時に「それではまず虎を屏風から追い出して下さい」と言ったエピソードが有名です。

これは一つの禅問答です。

この虎は心にある「我」のことです。

ともすると人間は「我」という虎に食い殺されて本当の自分を見失います。

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喫茶去(きっさこ)

喫茶去(きっさこ)

そんなに気負う必要はありません。

ここにいるよと言わなくても

あなたは、そこにいます。

そんなに気負う必要はありません。

私は特別な存在だと訴えなくても

あなたは、特別です。

そんなに焦る必要はありません。

なにかを伝えなくてはと必死になっても

たいていのことは皆が知っています。

そんなに焦る必要はありません。

なにかを知りたいと必死になっても

知るだけでは役に立ちません。

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