見出し画像

爆裂愛物語 第七話 悪魔の使徒

 大日本翼賛会事務所に帰った我路たち。そこでは、普段は静かな事務所が、波のようにざわついている。
「なるほど……大東亜戦争の業か」
 並さんが深く頷く。
「しかしお前ら、こっからナチス相手に闘うってエラいもんにオレら巻き込んでくれたなー笑」
 宮さんは笑いながら言った。
「まぁ、その通りですけど……でもこれしかなかったんですよ」
 そう我路が答えると、隣の園さんも笑いを浮かべる。
「これでオレら死んだら我路責任とって凪ちゃんか静香ちゃんかアイちゃんか夏凛ちゃんと結婚な。あーアイちゃんとはもう婚約してたっけー笑。マジでハーレムじゃんかよー!」
「ちょ、園さん……」
 我路は慌てて振り返る。
「で、その封筒は?」
「はい?」
 並さんは鋭い瞳を浮かべ我路に問うてきた。
「あ、はい、こちらに」
「とりあえず読んでみろ」
「はい」
 我路は社長に手渡された、殺志とハンスのデータを収めた封筒を開封し、読み始めた。
「……これは」
 その書類は、
「すごい……」
 我路たちを圧倒した。
「……ハンスは軍隊教育を生後より受けてきたという性質上、身体能力は通常の人間のソレと変わらないらしいです。ただ……生後すぐより受けた軍隊教育により、その思考は冷酷そのもの、根底にあるのは人の死も苦痛も厭わない感情……いや、そもそも人の命も感情も目的遂行の過程としか捕らえていない。また、あらゆる戦略、戦術、人心掌握の知識を熟知しており、その豊富な知識は、それ自体が一種の武器と言えるほど。その一例として……南米のとある村を七歳で殺し合わせて絶滅させた……その手口は恐怖を煽り支配すること……わずか七歳で何万人という人間を殺し合わせた……」
「なるほど……まさにナチズムの理想」
「ハンスの成果はそれだけでなく、12歳で南米にいるマフィアグループの裏金の動きをまるで子供がアリをもてあそぶようにコントロールし、ファミリーを支配したうえ鉄砲玉のように扱い潰した。さらに組織の裏金でイタリアへ旅行中に反政府運動を行い、反政府運動家たちを煽動してテロ活動させた。それだけでなく数々の娼婦の人心を掌握し、売春婦たちの仲介役として金持ちの男から金を巻き上げたり。ドラッグや銃器も提供し反政府運動を手伝わせて武器を売りさばいたりしていたという……やがてハンスが18になる頃には南米の政府や裏社会を支配できるほどにまで強大になるも、まるで遊びに飽きた子供のように組織も金も捨て、ナチス残党と大神島に渡る……ハンスが抜けたその後の南米の治安と経済はまるで生き地獄、地獄の春のようなことになった。まさに神さえひれ伏す人外の影響力、しかも当人はそれを子供の遊び程度にしか認識していない……それがハンス……」
「狂気……これがナチスの求めた完全なる兵士」
「対して殺志は、優れた身体能力と人間離れした頭脳を持ち、常人とはかけ離れた感性と理性を持っている。その筋力は戦闘車両の馬力を遥かに凌駕しており、反射神経は通常の人間のソレを遥かに凌ぐ。神経伝達物質が通常の人間のソレの何十倍も出ているため、未来予知と言っても過言ではないほどに洞察力が高い。また、その優れた頭脳は機械の処理能力をも遥かに凌ぐ。戦闘においては神懸かり的な敏捷性と判断力を発揮する。戦術、戦略ともに、他の追随を赦さないほどに完成されており、神をも殺すと思えるほどの完全なる兵士。さらに特筆すべきは……再生能力を有してる!? しかも……痛みを感じない……!?」
「……」
「痛覚が不必要と判断された殺志は、痛覚を排除され、また、恐怖も無駄と判断され、取り除かれた。しかし再生能力を有しており、心臓を壊されない限りは痛みも恐怖も感じず寸分の躊躇もなく戦闘活動ができる」
「なるほど……神をも殺すと思えるほどの完全なる兵士……鬼……邪神(マズムヌ)か……」
 ここまで読み終えると我路はため息をついた。
「……これが、敵」
 同時に沈黙が部屋を支配する。
「……」
 そんな沈黙の中、凪は一人動悸を抑えられないまま表情を変えていた。
「我路……その、殺志ってヤツ、私を、レイプした男って、言ったじゃん?」
「……ああ」
「そいつ、私をレイプしたあげく、胸に傷痕を残した」
「……」
「そのときなんて言ったと思う?」
「?」
「“女を弄ぶのは愉しい、かよわいからだ”」
「!?」
 完全なる兵士として産まれた殺志の、邪悪なる内面。その一角に触れたとき、誰もが凍てついた。ただ……直に触れた凪だけが、現実的な、あまりにも現実的な表情をしている。
「我路、あいつほんとにヤバいよ! 生きてる命なんてモノにしか見てない! 我路たちと違う。ほんとにヤバいヤツだよ!! 生きてはいけないヤツだよ!!!!」
「……」
 我路は思った。これからこの敵を相手に闘えるのか、みんなを……護れるのかと。
「では、アレの出番だな」
「?」
 並さんの突然の言葉に、我路たちは、顔を見合わせる。
「アレ……と言いますと?」
「着いてこい」
 並さんはそれだけ言って、歩き出す。我路たちは黙って彼の背中を追い歩き出した。宮さんと園さんは神妙そうな面で静かに後ろから歩いてくる。しばらくしてたどり着いたのは……応接室だった。
「……」
 並さんは誰にも止まることを許さないようにずんずんと突き進む。それは、一見するとただの壁にしか見えないが、どうやらその奥に扉があるらしく、並さんは迷いなく一冊の本を取り出した。本のタイトルは『神に追われて』。GHQにより禁書指定された大神島の秘密を記した本だ。彼はその本をスラスラと開き、まるで暗号を解読するかのように壁に指をなぞると……機械仕掛けの隠し扉が開く。地下鉄か地下街で開きそうな扉だ。扉の向こうは……真っ暗である。否、暗闇に満ちていた。外界から完全に遮断された空間。なんだか息苦しくなって来た。息が詰まる緊張感が伝わってくるようだ。
「ここから地下道になっている。みんな手を繋いだ方がいい」
 そう言うと並さんは階段を降る。所々で螺旋階段になっていて、下を見たら気が狂いそうだった。地下から生暖かい風が頬をなでてくる。なんだか呼吸に困難を感じてきたが……我路は並さんの背をまるで信じるように迷いなく着いてくる。
(え、手を繋ぐの……?)
 と、凪は顔を赤らめるが、それより我路を見失うことの方が恐かったから、急いで手を繋いだ。すると……
「!?」
 続けて静香が凪の手を繋ぐ。
「静香ちゃん……」
「うふ、特等席は凪ちゃんの早いもの勝ちですね♪」
「し、静香ちゃん!」
 凪は静香の言葉の意味が分かって、一気に耳まで赤くなりなった。静香に続いてアイが、アイに続けて夏凛が手を繋ぐ。アイはいつもの無表情だが、夏凛はなんだかムスッとしている。続けて、咲夜、ダン、宮さん、園さんと手を繋いでいく。
 並さんを先頭に闇に無数の行進の足音が鳴り響く。その先には……
「!?」
 巨大な武器庫だ!! 100はある。巨大なその鉄の庫は、拳銃やマグナムなどの小さな銃や弾丸だけでなく、手榴弾やサブマシンガン、スナイパーライフル、対空ロケット、対戦車ライフル、ガトリング砲まで常備されている。
「こ、これは……何ですか? 並さん」
「驚いたか?」
「すごいです……」
 我路は頷いた。
「……ところで、ここは?」
「いつかこの国に有事が起きた時のために、我々右翼、大日本翼賛会が密かに用意してきた代物だ」
 並さんは淡々と言った。
「……話し合ってんけど、いまがそん時やってことになってん」
 宮さんも後ろから話しかけてきた。
「これらの武器を、我路たちにたくす」
 並さんはなおも淡々と話す。
「こう見えてオレも宮も園も自衛隊出身だからな。残った時間で訓練してやる。アイにも筋力を使わない闘い方を教えてやる。我路たちなら少ない時間でモノになるだろう。凪と静香は……無理かな」
「「初めからついていけてません!!」」
 息ピッタリにツッコむ、凪と静香であった。
「……」
 数ある武器の中から……我路は日本刀をジッと見ていた。直刃の刀は、漆黒の鞘に収められたまま、微動もしそうにない。鞘越しにも研ぎ澄まされた鋭い気を感じる。その刀から放たれる気配・存在感は、他の無数の凶器の幾百倍に匹敵し、他を圧倒するどころか平伏させてしまうほどであった。我路は日本刀の魔性に魅入られているかのよに、ジッと見つめている。

 その日から並さんたちによる厳しい訓練が始まった。基礎体力をつけるための走り込みにはじまり、もう動くことなど考えられない体で様々な武器を使っての戦闘訓練。銃での銃撃によって放たれる音の速さや質に慣れるため、連続銃撃を全身で味わい、叩き込まれる。ナイフ・拳銃・斧を使った対人訓練もある。ナイフを持った標的を一瞬で何十体も斬り伏せ、鋼鉄の爪付き警棒で空を飛んで突進してくる強化ガラスに覆われた金属球を蹴散らす。これを毎日行われる。地獄のような訓練の中を我路たちは喰らいついてきた。肉体と心を鍛えるための戦いの中で得た自信は心を強くする……

 夜……訓練に疲れた我路たちが眠りについている。そっ……と寝ていたはずのアイは起き上がり、夜な夜な寮から抜け出す。深夜の眠らない街の闇に、アイは溶け込みながら街を歩く。目的もなく散歩しているように見えてその足取りに迷いはなく、そして目当ての人物を見つけた瞬間ぴたりと止まり……息をひそめるのだ……
「……」
 そんなアイの動向に気がついた凪は、こっそり後をつけてみた。

「くっ……あっ! うあああっ!」
 誰もいない夜の廃工場、苦しげな悲鳴だけが響き渡る。
「Vとはどういう意味ですか?」
「知らねぇっつってんだろ!!」
 縛りつけられた数人の青年に、冷たい無表情をしたアイが問いかけた。しかし、その問いは無視されたのか答えはなかった。
「では質問を変えます。人間が一番痛みを感じる場所が何処かわかりますか?」
「……」
「指です」
「!?」
 アイは棒読みで淡々とそう答えると、一人の青年の顔に黒いビニール袋を被せた。
「次に同じことをあなた方にします。よく見てください」
 冷たい眼でアイは彼等を見下ろした。すると……キュイイイイイイ!!!!!! 機械音のような、耳障りな音がした。
「ひいいっ! やめろ!! やめてくれ!」 
 返り血を無表情な顔に浴びるアイに恐怖を感じながら、一人がアイに言った。するとアイは冷淡な棒読みで答える。
「早くしてください。死んでしまいます」
 だが黒いビニール袋を被せられた男は、もう喋らなくなった。
「死にましたね。では死体を処分します」
 手慣れた手つきで淡々と素早くアイは男の死体を処理する。ビニール手袋越しに出刃包丁で、腹を裂き内蔵を引きずり出し、細かく切り刻んでミキサーにかけ、液状化し捨てる。
「……」
「ひぃ!」
 アイは処分した男の隣の青年を見下ろす、返り血を浴びた冷たい横顔で。
「やめろ! やめてくれ!!!!」
「次はあなたの番です」
「ひぃぃ!!」
「どこからがいいですか?」
「あ……あ、やめっ……」
「では人差し指から。片方ずついきます」
 ゆっくりと、まるで人形のように、縛りつけられている男の元へやってくる。返り血を浴びた無表情で、男を淡々と見下ろしながら。
「あ、悪魔め!! お前は……心も慈悲もないんだ!! まるで氷だ!! 人形だ!!」
「はい。私は心も慈悲もありません。感情がないからです。しかし私は人形ではありません。アイです」
「ひっ、ひいいいい!」
「では、始めましょう」
「や、やめ……あぎぃいいいいい!!」
 アイは無表情に淡々と作業のように男を拷問する。その作業があまりにも機械的で無慈悲、無感情、無表情なので、まるで家畜を解体しているようにすら見えた。そしてその作業をする本人はまるで人形のような美しい顔をしているのがまた恐ろしかった……。
「……」
 全員を解体し終えたアイは、冷たい血を浴びたまま廃工場を出る。凍てつく月に照らされたアイの横顔は綺麗だった。冷たさと美しさが紙一重であるように、地獄に舞い降りた天使のように。
「あ……アイさん!」
「……?」
 廃工場を出たところで背後から声をかけられたので振り返ると、そこには凪がいた。
「……なにしてるんですか?」
「ナチス残党の人間を探し出して拷問にかけています。情報を聞き出すために」
「!?」
「彼等と本気で闘うには情報が不可欠。しかし彼等はPCなどを用いていないため、ハッキングなどはできませんでした。なのでこうするよりほかありません。合理的です」
「合理的ってアイさん!」
「……我路や他の人達には、させたくなかったんです。できればこういうことは」
「え……?」
「我路や他の人達には、感情がありますから」
「……」
 そう答えたアイの表情は、いつもの無表情だが、どこかさみしく見えていた。そのとき! 
「!?」
 凍てつく月に照らされて、それは舞い降りた。
「あなた方ですか? ボク等の情報を探ろうとしているのは?」
 それは冷たいシルエットのままこちらを見下ろしている。
「この世界は穢れています。この世界はとても美しいです。この世界は醜く愚かです。この世界で……」
「!?」
 青年はワルサーP38拳銃を手に握った
「存在に耐えられない透明な僕を、よく見つけようとしましたね」
「!?」
 アイは警戒する。が……凪は怖がっている。アイは凪をそっと自分の背に連れた。
「恐いですか? 死ぬのは恐いですか? 泣いているのですか?」
「……」
「あなたは一人ですか? これから一人になるのですか? 友達はいますか? 親は?」
 優しい声だった。あまりにも……安心してしまうほどに。
「あなたには判らないでしょう?  平等なのは、死だけだということを」
 ハンスは冷たく引き金を引いた。
「!?」
 アイは凪の手を引いてとっさに避け、同時に拳銃を握り臨戦態勢をとるが、
「!!」
 背後に邪悪な気配を感じた。
「そのふたりを生け捕りにしなさい、殺志」
 感情のない声でハンスが命じた。
「第三帝国の反逆分子に総統の裁きを」
 すると邪悪な気配は、さらに強い邪気を放つ。影が舞い上がると、その黒いナニカがはっきりしてきた。闇に赤く光る眼光は、その邪悪さを象徴していた。まるで幽鬼だ。生者が近寄れば最後、一瞬にして魂を喰われる。それは途方もない、自殺行為みたいなものだ。
「!?」
 刹那! 闘いが始まった! 感情のないアイは、恐るべきスピードと無駄のない動きで殺志との距離を詰めると、ナイフを向けた。
「!」
 しかし、殺志はそれをかわし、アイのナイフを持つ手を掴むと、そのまま力ずくで投げ飛ばした。そして、その隙に、今度は殺志が日本刀を逆手に構える!
「!?」
 だが、それはフェイントだった! アイはその一瞬をついて日本刀を握った手を正確に撃ち抜き、殺志の日本刀をかわすと逆にナイフを刺した!
 だが、殺志も腕から流れ出す鮮血には構わず、その腕をそのままアイの顔面にぶつけようとした。しかし、それを予測していたかのように、アイはひらりとかわして距離を取った。そのアイの華麗な身のこなしは、まるで機械のように繊細かつ正確だった。そこから目にも止まらぬ速さで銃を発砲する。
「!」
 しかし、それは殺志の驚異的な反射神経によってかわされてしまった。彼はニヤリと嗤っている。
「!?」
 アイは殺志のスピードについていくことができない。まるで今までの彼は遊ぶように手加減していたかのように……刹那!
「がはっ!」
 と血を吐くような音。
「ぐふっ!」
 という声とともに、鮮血が飛び散る音が響き渡る。そして一瞬の沈黙の後……
「……」
 ドサッという鈍い音がした。それは……倒れたのはアイだった……。そう、あの刹那の間に……殺志はアイを圧倒していたのだ。
「……くっ」
 と苦しそうな声を上げるアイ。だが、そんな時でも彼女は冷静だった。すぐに体勢を立て直すと、今度は自分からナイフを仕掛けた、正確に殺志の心臓に。
 しかしその瞬間、再び銃声が鳴り響く。次の瞬間、またも彼女の体は吹き飛ばされ、大地に叩きつけられたのだ。
「……」
 薄れていく意識の中で、手首を捕まれる凪の姿が見えた。トラウマを思い出すように泣き叫び嗚咽する凪。嘲嗤うかのように愉し気な殺志が、彼女の意識を奪っていく。邪悪な黒い影が白い少女を呑み込み、塗りつぶしていく。その光景が、目の前で再び繰り返されたのだった。そんな悪夢の再来を横目に、アイは気を失っていく……意識が、遠退いていく……
(……)
「……」
 そして意識を失った。

「!?」
 アイが眼を覚ますと、そこは、鉄格子のような密室だった。アイは手足を縛られていた。
「……っ」
 ふと隣を見ると……そこには凪も同じように手足を拘束され、磔にされていた。
「……っ……」
 目を覚ました凪は、自分が今置かれている状況を理解し、恐怖に震えている。
「あ、あの……私……」
 凪はアイと顔を見合わせながら言う。
「落ち着け! 怖がるな!」
「!?」
 アイがこんな大きな声を出すを見るのは、初めてだし意外だった。
「大丈夫。あなたは私に巻き込まれただけだから」
「……」
(ああ、アイさんは私を落ち着かせようとしてるんだ……)
 そう、それは合理という名の彼女の正義からなのかもしれない。しかし凪にはとても安心できた。だから少し微笑んでみせたが、彼女はいつもの無表情のまま、密室をキョロキョロと観察する。四方をコンクリート打ちっぱなしの壁で覆われた四畳半ほどの密室、窓はひとつもなく、湿っぽさから地下室だと思われる。そしてどうやら、この部屋にはひとつしかない扉があり、その向こう側があるようだ。扉は冷たく厚い。まさに鉄の扉である。
「……」
 あれからどれぐらいの時間が過ぎただろう? 一時間? 一日? いや、実をいうと二秒も経っていないのかもしれない。二人がうつむき、うなだれ、ただ、じっとしていた。
「ねぇ、アイさん……。これからどうなるの?」
 凪が不安げな顔で言う。
「……わからない」
 アイもそう答えるしかない。そんなとき!
「!?」
 鉄の扉のノブが回る。ゆっくりと……恐怖を駆り立てるようにゆっくり鉄の扉が開いていく。そして現れたのは……
「いいな。その表情。 恐怖と絶望にまみれた瞳」
 殺志がゆっくりと近づいてくる。
「でも、足りないな。その絶望も痛みで癒やされれば……また希望が見えてくるかもしれない」
 殺志はそう言うと、懐からナイフを取り出し凪に近づいていく。そして……
「まずはその恐怖を和らげよう」
「持ちなさい」
「?」
 アイが二人の間に声をはさむ。
「彼女は巻き込まれただけで何も知りません。やるなら私をやりなさい。私だけが情報を知ってる」
 アイの棒読みの言葉が、凪には凛とした声に感じた。
「ククク……判ってないな、感情のない人形は」
「!?」
「かつて抱かれた男の胸の中で、血まみれになりながら死んでいく女。それが愉しみなんだよ。合理だけの貴様には判らない、感情、というヤツだ」
「……」
 アイは無表情だが、磔の手枷が、少しもがいた。
「憶えて……るの?」
「ククク……」
「!?」
 怯える凪を前に、殺志は自分の黒いワイシャツのボタンを外し、胸元を晒した。
「ハッ」
「!?」
 するとナイフで深く自分の胸を切り裂く。血が噴き出し、凪の顔が真っ赤に染まり、殺志のニタニタと嗤う表情も赤く塗れる。やがて……

 胸の傷が再生を始めた。傷口がまるで蛆のようにシャクシャクと集まり、肉の塊になる。それが徐々に人の型になっていく。やがて完全に再生し、傷が消えた。
「ハハハハハ!!!! ハハハハハ!!!!!!!!」
 凪を冷笑するように顔を歪め、耳に憑く甲高い声で嗤う殺志。
「朝になったら殺す。朝になったら殺す! それまで悪夢を見ておけ、ガキども!」

 殺志が部屋を出て長い夜……密室を沈黙が狂った。
「……」
 アイは無力に磔られたままうなだれている。凪はまだ状況が把握できないようだった。自分がこれから何をされるかを想像し恐怖した。
「……我路」
 ボソリと呟いた言葉はそれだった。その言葉を聞いてアイは、チラリと凪を見た。磔られた凪は何もできないままただただ怯えたうつむく姿をアイに見せるだけで、ますます沈黙が深まった。
 長い夜だ。一秒一秒を深く刻まれているように。時間の流れがひどく遅く感じた。どれだけ経っただろうか。ピチャ……と凪の首筋を何かの液体が伝い、身体が勝手にびくんっ! っと大きく反応した。見るとそれは汗だった。ますます沈黙が深まる。沈黙に狂う密室にやがて、
「!?」
 鉄の扉のノブが回る。そしてゆっくりと扉が開かれていく。もう朝!? 凪はぎゅっと眼をつぶり、アイは警戒した。しかし、中から出てきたのは殺志でなく……一人の青年だった。
「?」
 鉄の扉から差し込む光に照らされて、シルエットとなった青年は、白いスーツのポケットに手をいれた美形の青年だ。
「……だれ?」
 凪が恐る恐る声をかけると、彼は一歩ずつ歩み寄る。彼は凪の方へと視線を向けた。その視線は美しく、どこか安心してしまう優しい視線だ。だけどその瞳が意味する感情や意図は一切読み取ることができない。今まで経験したことの無い視線をしていた。
「…………」
 そして彼は、磔られる凪のすぐそばまで来る。
「!?」
 近くで見ると、青年は金髪に青い瞳をした美少年で、まるで王子様のようだった。だが……その優しい表情の裏にある名前を、凪は知っている。彼は……
「ハ、ンス?」
 ハンスは優しく微笑み、凪の両手に手を伸ばす。
「!!」
 凪がギュッと眼をとざす。怖い……。思わず瞳を閉じた。しかし……
「?」
 ゆっくりと眼をひらくと、凪の……手の自由がもどっていた。
「大丈夫、逃がしてあげる」
 ニコリとハンスは微笑んだ。
「どういうこと?」
 アイが質問すると、ハンスは優しい声で淡々と答えた。
「ボクは理念達成のために弱者を利用することはある。しかし殺志と違って、弱者を弄ぶ趣味はない。千年王国再生の理念が濁るからだ」
「……それが貴方の正義?」
「そう、ボクの正義は千年王国の再生。それ以外にない」
 そう言ってハンスは凪とアイの手枷と足枷を外した。
「こっちに来なさい」
 彼に連れられて、二人は密室の外にでる。ジメジメとした地下から地上へ出た。そこは夜の山奥にある廃墟だ。
「一時的に利用しているだけの施設なんだけれどもね」
「……」
「さぁ、これに乗りなさい」
「!」
 ハンスが案内した先には、黒い車、フォルクスワーゲンVW38があった。
「アイならすぐに乗れるだろう」
「……」
 するとハンスの部下と思われる黒いSSの制服を着けた男が車のドアを開き、アイを促した。アイが運転席に乗ると、男が運転のやり方と地図と行き方を説明し始める。
「あの……ありがとうござまいます」
 凪はハンスにペコリと会釈をした。
「やっぱりキミは良い娘だね。従順なところがとても素敵だ」
 ハンスはニヤリと嗤い、そう言った。
「キミはほんとうに我路が好き? キミが本当に好きなら、その傷を我路に見せるといい。そしてこう言うんだ」
 ハンスは凪の耳元に口を近づけ、そっと囁いた。
「『私はこの傷で、あなたへの想いの深さを思い知った』とね」
「……っ!」
「だけど我路はどう思っているんだろう? 今どう感じているんだろう? 君の胸がえぐられた時のことを思い出そう。ね?」
「え?」
「君はどうしたらいいんだろう? 自分の中の真実は?」
「え、えっと……」
「キミの胸の傷は、殺志にやられた傷だ」
「!!」
「殺志の存在と記憶の証が、その胸の傷だよ。そんなキミの胸の傷を、我路が見たらどう思うだろう? キミの傷の背景にある醜さを。それをあの密室で思い出したんじゃない?」
「っ……」
「でもキミは我路が好きだ。我路がほしい? 自分だけのものにしたい? 自分だけを見てほしい?」
「……っ」
「キミが我路を殺して、一緒に死ねば……キミは永遠に、我路のものになる。永遠に、ね。」
「あ……ああ」
「もう一度聞きます」
 ハンスはワルサーP38拳銃の握り手を凪に差し出した。
「キミはほんとうに我路が好き?」

つづく


この記事が参加している募集

恋愛小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?