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私の町の図書館と詩人のMK氏

月に一度,図書館へ行く。入口のすぐ左の壁には地元の偉大な先人(詩人MK氏)の写真があり,来訪者を静かに迎える。

二階の書架に上がると,一番手前にMK氏自身の全集やMK氏に関する他者の著作など千冊ほどが書架に収容されている。一週間に一冊として,それらを読破するのに20年かかる!

私の場合,パラパラと立ち読みして気に入ったところだけ味わう「つまみ食い」スタイル。たとえば,先日借りてきた本の中で見つけた一文はこんな感じ。

「春」

陽が照って鳥が啼(な)き
あちこちの楢(なら)の林も,
けむるとき
ぎちぎちと鳴る 汚い掌(てのひら)を,
おれはこれからもつことになる

『春と修羅』第三集より引用(カッコは筆者の補足)

MK氏が教員として勤務していた農学校を辞職し,農業(コンサルタント?)を始めた時の詩である。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という理想を掲げ,地元社会(主に農民)に貢献したいという純粋な思いで行動を起こす。

しかし,それは金持ちの息子の道楽と冷笑され,いいように利用された挙句,無残な結末を迎えることになる。

思春期・青春期()の独りよがりの情熱や未熟さがもたらす修羅場(修羅)を自覚しながらも臆することなく短い人生を駆け抜けたMK氏。

誰かに理解してもらうことなど全く気にもせず,その独特な思想や表現の創作に熱中していたようにみえる。

自分と比べるのはバカげているが,そのような人間がいたということだけは忘れずにいたい,,

P.S. 図書館の正門から100mほど坂を下りると,右側にMK氏の墓がある寺が見える(案内板あり)。近くに行く機会があれば両方を訪ねてみては?

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