恋についての物語が私の心を掴んで離さない


あなたはラブストーリーが好きだろうか。

ドラマでも映画でも小説でも、表現というものが始まったはるか昔から、恋についての物語というのは尽きることがない。

かく言う私も、ラブストーリーが好きだ。観客・読者としてもこれまでそういうものをたくさん享受してきたし、自分が表現することを始めてみてからも、改めて自分の「物語」についての欲求は「恋」と深く結びついているなと感じた。

どうしてこんなに「恋」にまつわる物語に惹かれるのだろう。
どうしてそれについて書きたいと思うのだろう。
というようなことをつらつらとよく考えている。

例えばビー玉の美しさに目を奪われた女の子が、丁寧に優しくそれを磨き続けるみたいに。
そんなものがいいの?もっといいの他にもあるよ、なんて言われても、これがいいの、と来る日も来る日もただそれだけを見つめている。いつも見ていたいから、どこへでも持ち歩く。

皮肉なもので、大事だからと離さずに傍に置けば置くほど、失くすリスクは高くなる。永遠に続くものなんてない。形あるものはいつか壊れる。

落として割れたビー玉の欠片を、彼女は涙を流して拾い集める。破片で指を切って鮮やかな血が流れても。そうして形を失うけれど、失って初めて完結する、いやむしろ、そこから始まるものもある。

きっとこの先ずっと、彼女はどこかでビー玉を目にするたびに胸が少し痛むだろう。ほとんど跡の見えなくなった指先の傷も、ぐるぐると漂うビー玉の光のグラデーションも、もうここにはないけれど、ないけれどあり続ける。

おかしなことを言っていると思うかもしれない。
誰にもわかってもらえないかもしれない。

矛盾だらけで、理屈じゃなくて、正解なんてなくて
頭で考える前に体が勝手に動いてしまうような。

馬鹿みたいだとか、とんだ陳腐なこと言ってるとか
あとから真っ赤な顔を覆って穴に入りたくなるような。

誰にもわかってもらえないかもしれない、なんて言ったけれど、たぶんそんなことは、全然ない。

ドラマでも映画でも小説でも、あらゆる物語を観たり読んだりして思うのは、どこかの誰かの物語は私の物語でもあった、ということ。それはつまり、私の物語はどこかの誰かの物語かもしれない、ということだ。

私にとって恋の原風景は、 誰かのことを想って始終ドキドキしたり一喜一憂したりする溢れんばかりの好きの気持ちだ。

けれど歳を重ねるほどに思う。恋というものは、失ってなお無くならないものであると。むしろ終わってからが本番とすら言えるかもしれない。
望むと望まないとに関わらず、消えてくれない恋の記憶を持つ人は多いだろう。恋が終わってからの人生の方が長い。なのに、それはいつまでも恋であり続けるのだ。

大切なビー玉を慈しむように磨き続けていた遠い記憶のなかの日々。そしてそれを失ったことなど忘れて大人になったようでいて、実は少しも忘れてなんかいない、その想いをいつかの場所に置いてきてしまったと喪失感を抱いている現在の自分。
そんな、かけがえのないたったひとつの恋を描いた大好きなふたつの物語から、何度読んでもグッとくる、忘れられない箇所を引用する。

■坂元裕二『初恋と不倫』
「不帰の初恋、海老名SA」より

きっと絶望って、ありえたかもしれない希望のことを言うのだと思います。
君がいてもいなくても、日常の中でいつも君が好きでした。

これは往復書簡という形の作品なので、台詞や地の文はなく、手紙やメールのやりとりのみで書かれている。
それゆえ、その言葉を発した人物にとってその言葉選びは多少なりとも時間をかけられたものであろうことが窺え、余計な感傷を削ぎ落とした静けさを感じさせる。落ち着きというか、どこか、平熱という感じ。

それなのに何故だろう。この部分だけでも、2人が離れていた空白の月日に、それぞれの感情がどれほど切実に、また自然に寄り添っていたか、苦しいほど伝わってくる。(もちろん全体を読んだ方がより伝わってくるのは言わずもがななので是非全編読んでほしい)

■江國香織『冷静と情熱のあいだ』「Rosso」より

順正の声がききたかった。今すぐききたかった。年月など、何の役にも立っていない。
いまこうしていることよりも、こんなにも長いあいだこうせずにいられたことの方が信じられなかった。
もうどうしようもなかった。言葉も、記憶も届かない場所にいた。二人だけの場所に。

こちらは反対に、その感情の膨らみ、質感、気配のようなものが、残酷なほどありありと胸に迫ってくる臨場感のある文章だ。

これらはすべて作品の後半、クライマックス近くのシーンなのだけど、そこに到達するまでは逆にかなり穏やかな、緩急のない展開が続き、表現も意図的に抑えたものにしていることが感じられる。それはすべて、このクライマックスのための「溜め」なのだろう。

感情を爆発させるような表現であっても、静かな淡々とした表現であっても、それからもちろん、そんな場面を実際に経験したことがなくても。その恋の苦しさや切実さが、一瞬でも読者の記憶や感情を呼び起こし琴線に触れたのなら、その物語はもうすでに読者自身の物語なのだ。

読んでいる人が胸をつかまれて揺さぶられるような、人ごとではなくなるような文章で物語を綴ることができたのなら、それは書き手としてひとつの「上がり」のような気がする。

自分は今までそういう文章に心動かされてきたし、いつかは自分もそういう文章で物語を作りたくて、小説を書き始めたのかもしれない。
それはたぶん、誰かに自分をわかってほしいという根源的な欲求の発露なのだ。


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