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『森の雨』(掌編小説)


 だいたいいつもそうだ。わたしは間が悪い。

 大学の図書館から外を見つめると大雨。目の前の小さな池では雨粒が波紋を数え切れないくらいに重ねていた。
 午後、入学する前からずっと楽しみにしていた場所に行く予定だったわたしは、予定の変更を余儀なくされ大きくため息を吐いた。

 予定通りであれば傘なんて邪魔になってしまうからと、強情に傘を置いてきた今朝の自分自身が憎い。
 この雨では家に帰り着く前に、鞄の中身までぐっしょりと濡れてしまうだろう。

 夏を目前に控えている中の雨で、ただでさえ下がってしまった気分にカビが生えてしまいそうだった。


 目的地は山だった。

 物騒な名前のついた名所がある山。そこからの景色を眺めるのが自分自身に課した大学生活の目標の1つだ。
 ものすごく高い場所から、一面に広がる森を眺める。山になんて登ったことがないわたしにとって、お寺になっているというその場所はなんとなく敷居が低く、足を運びやすかったのだ。

 ポケットでスマートフォンが震えた。取り出してみると、一緒に山へ行くはずだった恋人だ。
 恋人はわたしとは真逆の人で、いつも間の良い人間だ。やりたいと思ったことはなんでもやれてしまうし、行きたい場所にもいつだって行けてしまう。

 あれ、ということはもしかして、彼は今日の山登りに行きたくなかったのかなーー。

 その考えを振り払うようにわたしは電話に出た。「もしもし」とわたしが口を開こうとした瞬間には、彼の声がスマートフォン越しにわたしの中に飛び込んできていた。

「なあなあ、今どこいる? 外出てみろよ、そんで図書館の前!」

「今、ちょうど図書館の前にいるけど」

 元気そうなその声に、さっきの考えが首をもたげる。
 でもそれを認めたくない。
 ふと視線を上げると、木々の向こうに彼がいた。彼もわたしに気づいたのか、大きく手を振っている。

「森ってすごいのな! 今までさ、俺が住んでた街じゃ雨なんて降った日にはテンションだだ下がりだったのに、見ろよ! スッゲェ綺麗だ」

「森って。こんなの、ただちょっと木を植えてあるだけでしょう」

 生粋の東京人である彼は、ビルの森とともに育ってきた。都心にある実家からわざわざ1時間半もかけてこの学校に来ているのは、東京という街から離れてみたかったのが1つの理由らしい。
 東京を目指しつつも東京に嫌われてしまったわたしとは、やはり真逆の人だ。

「いいからいいから。なんかさ、あっちの雨って、雲でいっぱいになった空がそのまま下りてきたみたいにどんよりしてるだろ? 灰色がかっているっていうかさ。
 森に降る雨ってなんか田舎の川みたいだな」

「本当だ……」

 覚えず口に出ていた。
 彼の言う田舎の川というのは、きっと底に敷き詰められるようにある小石まで見えちゃうような、透き通った小川のことなんだろう。わたしたちの間には確かに、そんな田舎の小川と呼ぶのにぴったりの、排気ガスや塵、それにわたしの悲観的な考え方まですべて流してしまうような雨が降っていた。

 森の緑に反射して、心なしか光っているようにも見える。

「だろ? 今日はまったく腫れてないし、見たかった景色とは違うとは思うんだけど、山、行ってみない? 絶対綺麗だよ」

 彼のその言葉にわたしは微笑む。
 やっぱりわたしと彼は真逆の人間なのだ。真逆の人間だけれど、きっとそれはわたしの間の悪さに原因があるわけではない。

「そうね、田舎の川みたいな雨を、眺めに行こうか」

「あ、ちょっとお前からかってるだろ」

「そんなことないよ。それより、今日傘持ってきてないからさ、迎えに来てくれない?」

 嬉しくって少し笑ってしまったわたしに、彼が抗議するように声をあげた。
 彼は本当に、なんでも叶えてしまう人らしい。



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