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ツイッターの垢、停止(削除)しました。
2010年から13年間にわたり運用していたツイッターを停止にしました。
フォロワーの皆様今まで有り難うございました。
お知らせとお願い(Note閉鎖)
急で申し訳ありませんが、Noteの更新を停止し、6月末で閉鎖する予定です。
付きましては、サポート、有料記事購入は今後御遠慮頂きます様、何卒宜しくお願い致します。
この度は御迷惑を御掛けしました。
申し訳御座いません。
また、6月以降のサポート金や有料記事購入費は受けられなくなりますので入金をしないよう宜しくお願い致します。
(無駄になってしまうので)
日米交渉1941 -16- (草稿)
日米開戦の前日。アメリカ東部時間、1941年(昭和16年)12月6日。
ワシントンのホワイトハウスでは、フランクリン=ルーズベルト アメリカ合衆国大統領が、政府当局者より日本の外務省本省から、ワシントンの在米日本大使館宛に送られた、13通の対米覚書の電報を傍受し、既に解読も終わったとの報告を受けておりました。
事態は、正に最終局面であると悟った、ルーズベルトは、コーデル=ハル国務長官に対し、在日
日米交渉1941 -14- (草稿)
アメリカワシントンの駐米日本大使館では、ハルノートの返信が、東京から一向に届かない事に対し、いらだちと不安が交錯している状況でありました。
本格的な日米交渉開始から既に7ヶ月。在米日本大使野村吉三郎は、アメリカとの交渉打開が見えず、また交渉締結への具体的方策も見つける事が出来ず、さらに、本国からは、なんの理由もなく、11月29日までに交渉を妥結するようにという、最終期限を示す訓令を受けており、ま
日米交渉1941 -13- (草稿)
アメリカは、力の外交によって、戦争回避は可能と目論んでいた一方で、対する日本は、日米交渉の締結と日米開戦両方の選択肢を踏まえ、交渉を進める一方、戦闘の準備もしておりました。
昭和16年(1941年)11月5日。日本の大本営海軍部は、連合艦隊へ、対アメリカ、イギリス、オランダの作戦準備の命令を行い、作戦開始前の準備地点まで移動を指示します。
引き続き、11月21日。大本営は、連合艦隊に作戦待機海
日米交渉1941 -11- (草稿)
日米交渉を優先するか、それともアメリカと戦うか?
どっちつかずの対応を繰り返し、方針が、ぶれたままの日本でしたが、昭和16年(1941年)9月6日の御前会議に、一応の決断を出す事となります。
その御前会議の前日、9月5日。内閣総理大臣近衛文麿は、翌日の9月6日の御前会議の案である、『帝国国策遂行要領』を昭和天皇に上奏します。その内容は、第一に日米開戦に対する戦争の決意、第2に今後の対米交渉の行く