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あの人だったら、どう行動するか——フォレスト・カーター『リトル・トリー』、向田邦子『手袋をさがす』

拝啓

台風一過の青空も束の間、少しずつ灰色が混ざってきました。やはり梅雨が来てしまいます。夏が好きなのは、夏に生まれたからにほかなりません。10,000日目を迎えたあなたの季節は冬ですね。12日か13日。どちらが正しいのか、そっと教えてください。

あなたから届いた初めての手紙。強く胸を衝きました。からだの心(the body-living mind)だけでなく、あなたが霊の心(the spirit mind)をひらいて言葉をひとつずつ紡いださまを感じたのです。うれしくて、私は逆に言葉が出ませんでした。

読書を含め、文章を読むというのは、それを書いた人の心持ちを「考える」、想像するということです。「考える」とは、かの本居宣長は、自分が身をもって相手と交わること、相手を突き放して観察するのではなく、相手とちかしい関係に入り込むことだといいます。

あなたは『詩と散策』の著者、ハン・ジョンウォンをありありと「考え」、そこに萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』からの一首を連想しました。そして「永遠の中の一日」に描かれたアレクサンドロスの心持ちを思い浮かべたのです。さらに、「いっしょに書きませんか」という言葉の真意と、その言葉では語り得なかったことまで、あなたは読みました。

萩原慎一郎『歌集 滑走路』はもともと手元にありました

あなたは、読書が苦手だといいます。でも、本はどこから読んでもいいし、読み切れなくてもかまわない。ほかのことに気を取られているうちに忘れてしまい、しばらくしてから読み直すのは、はて何度目のことかと数えてしまうこともあります。どう受けとめたのか、どう解釈したのかも、正しい答えなどありません。

本をずいぶん深く読んでいますねと、声をよくかけられます。でも実際には、何も特別なことはしていません。強いていえば、熟読しています。一冊の本、一つの章、一つの段落でも、どういうことなのだろうと繰り返し読みます。頁を繰る手をとめて考え込んでしまうこともしばしば。書いた人の姿が立ちのぼり、声がきこえるようになるまで読みます。たしかに時間もかかる。でも、それが楽しい。熟読玩味しているのです。

あなたが教えてくれたフォレスト・カーター『リトル・トリー』も、じっくり読みました。言葉がもっと少なかったら、世の中のごたごたがもっと減るのにというトリーの祖父が、言葉はその意味よりも、その音や、語り手の口調を意識するのだという考えに大きくうなずきました。祖母が図書館から借りてきて二人に読み聞かせるのがシェイクスピアだというのも、人の根底にある、知りたいと思う性質、すなわち知性の深遠をみた気がします。そんな祖母はトリーに向かって説きます。

なにかいいものを見つけたとき、まずしなくちゃならないのはね、それをだれでもいいから、出会った人に分けてあげて、いっしょに喜ぶことなの。そうすれば、いいものはどこまでも広がっていく。それが正しい行ないってものなんだ。

あなたが仕舞い込んでおきたい内面につながる『リトル・トリー』を、こうして分けてくれたことで、私もこの先、この『リトル・トリー』を何度も読み返すでしょう。あなたと同じように、リトル・トリーならどのように行動するか、その心持ちを考える、想像するつもりです。

あの人だったらどう考えるか、どのように行動するか、どう書くか、その心持ちを想像するような私淑の相手は、もちろん向田邦子です。だから、あなたの手紙を拝読して思い浮かべたのは、随筆『手袋をさがす』です。

戦後の物資不足はもちろん、ただでさえ寒さが身にしみる冬。手だけでなく、心をも暖めるような、これという手袋がどうしても見つからない。周りから笑われようとも、風邪をひこうとも、自分の心を動かす手袋をさがし続けた22歳のひと冬を思い出す。それから年齢を重ね、多くの経験を積んだが、ないものねだりだったとしても、人生における「手袋」をいまなおさがしているのだという、凛とした精神をつづっています。

この随筆の魅力も語り尽くされています。でも、どう書かれているか分析したり、読み解いたりするのは、評論家や、高校現代文にまかせましょう。読むことは「考える」こと。自分が身をもって相手と交わること。向田邦子はどのような心持ちでこの随筆を書いたのか。彼女が語り得なかったことは何か。この文章と自分の心がぶつかり合って散った火花はどのようなものか。その光の強さや弱さ、色、輝きは、どのような言葉で表わすことができるか。それが文章を読むことであり、書くことだと思うのです。

あなたはすでに、『詩と散策』や『リトル・トリー』を読んだときの火花を、あなたの言葉で手紙に書いてくれました。よろしければ、この『手袋をさがす』を読んだときの火花も私に教えてください。ちくま文庫「向田邦子ベスト・エッセイ」ならば、短い随筆を精選したアンソロジーなので、どこから読んでも、また読み通さなくても大丈夫です。

「弟子入り」について、私は師匠めいたことは何も教えられませんが、あなたといっしょに書くことはできます。このような往復書簡が「稽古」であり、読む楽しみ、書く楽しみを分かち合えたら本望です。

あなたのところでは、ソヨゴが開花したようですね。私もこれから散歩に出て、探してみることにします。

敬具

既視の海

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