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こんな世界だからこそ『天気の子』は正解よりも愛を叫ぶ

平日の夜に1人で足を運んだ近所の映画館、200人のキャパに対して20人くらいのお客さん。もうすぐ日付もまわる頃、映画のラストシーン、RADWIMPSの「大丈夫」を聴きながら「やられた...」と映画館の暗闇の中で僕は一人打ちひしがれていた。新海誠から未来を問われている感覚がした。

このnoteでは僕が天気の子から受けとったメッセージをつづっていきます。 ※本編のネタバレを含みます。

沈みいく東京が現すもの

天気の子を観てまず印象的だったのが作中に流れる諦観した空気感だった。

作中で描かれる人たちはみんなどこか無気力で、未来への希望があんまりなくて、現状維持を求めている、いや、ゆるやかな衰退を受け容れているように僕には見えた。

その姿から今の社会の空気感を突きつけられた気がした。少なくとも新海誠にはそんな風に今の日本社会が映っているのだと思う。

少子高齢化、衰退する経済。進む環境破壊と異常気象。正論の洪水と炎上で消耗するインターネット。同調圧力の苦しさと、マウントや優越感のために利用される哲学なき正義たち。

天気の子で描かれている東京が雨に沈んでいく様子は、沈みいく日本の生き写しのようだ。

「神様、お願いです。これ以上僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください」

穂高が神へと願うこの言葉は、正に現代を生きる僕たちの思いと重なる。

どうして穂高は大人に捕まらないのか?

物語の後半で穂高が警察から走って逃げるシーンがある。

なぜ穂高は警察に捕まらないのか?映画だからと言えばそれまでだがそれだけじゃない必然性が映画の中には描かれていたように思う。

線路の上を穂高が走っていくとき、注意する人はたくさんいるのに走って追いかけてくる人はいなかった。

他人にどこか無関心で、自分の枠をはみ出してエネルギーを使ってまで他人に干渉しようとする人はいない。
実際のところ本気で穂高を捕まえようとしていた人はほとんどいなかったんじゃないかと思う。

穂高はそんな人々をかきわけて陽菜のために全力で走っていく。
誰も本気じゃない世界の中で、たった一人、彼だけが誰かのために全力で走っている。そうやって想いのままに走る穂高の姿は一筋の光のようだった。

作中の中で何度も描かれている雲間から光がさしこむシーン。
その光と穂高の姿が重なっていく。

雲は無気力な人々や停滞した社会だ。誰かを照らすために(救うために)太陽になった穂高がそんな雲間をかき分けて突き抜けていく。

社会に背いてでも君を選ぶ

そして賛否両論を呼び、「新海誠かっこいい!」と思わずにはいられなかったラストシーン。あのエンディングは必然だったと思う。むしろあのエンディングだからこそ天気の子は素晴らしいし、「君の名は。」の後にこの作品をつくった新海誠さんは本当にすごい!

陽菜との再会のシーン。陽菜はきっと能力を失っても祈り続けていた。責任を噛みしめながら、3年間毎日ずっと祈り続けていた。自分の人生を自らの意志で生きる美しさがそこにあった。

戦後の復興、高度経済成長期、度重なる天災、インターネットによってもたらされた監視社会と過度なほどの正論のムチ。

僕たちが歩んできた社会が求めてきた正解は「みんなのため」の選択や「みんなのための生き方」だった。

だから支持されてきたのは「アルマゲドン」のように自己犠牲で世界を救う物語だったし、セカイ系ボーイミーツガール作品のような恋する女の子と世界の2つを天秤にかけて最終的にはウルトラCで世界と女の子の両方を救うファンタジーだった。

でも今の社会は「みんなのため」を掲げた団結や、圧倒的な個人の志ではどうにもできない程にしんどいステージに来ているのだと思う。

だから、天気の子はそんな社会に新しいメッセージを届けた。

心の底からあふれ出る想いを、時には社会が求める正解に背く勇気を、自分の選択によってもたらされる現実を受け容れる覚悟を。

「仕方ないよね」ってあきらめていた僕たちの奥の方に眠っていた熱が呼び起こされるような震える想い。

そんな想いに向かってまっすぐ走る選択を新海誠は全力で肯定して、応援してくれているんだと思う。

あなたにとっての光を見つけてください

「天気なんて狂ったままでいいんだ!」

作品の最後で穂高が叫ぶこの言葉は「こんな社会でもいいんだ!」と言いかえることができると思う。

大きすぎる社会に嘆いて途方にくれるよりも、自分にとっての光に向かって進むこと。その行為の美しさを、それによってもたらされる希望を、新海誠は伝えたかったのだと思うし、次世代へのメッセージとしてファンタジーの中にこめたんだと思う。

愛にできることはまだあるかい

エンドロールを観ながら曲名でもあるこの言葉の響きの豊かさを実感する。正に映画のメッセージ。

この映画を観終わった時、きっと僕たちは自分に問うだろう。

「自分にもできることがまだあるのだろうか」と。

そんな僕たちの背中をこの作品はそっと押してくれる。



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