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清明上河図--都市と多様性
前から何とはなしに眺めていたようだが、宋代に描かれた『清明上河図』という存在を発見した。都市に生きる人々がパノラマのように緻密かつ繊細に書き込まれている。遠景から徐々に目を凝らすと運河や街並みに沿って、荷物を満載する船、天秤棒を担いで行商する人、ロバで荷物を運ぶ人、木陰のカフェ、占い師、香辛料店、居酒屋、サトウキビ売り、ロバがいる。当時の人々の息づかいが聞こえてくる。
この時代の開封には、
自由をどう生きるか?ーー現代の意外な難問
自由に配偶者を選べるはずの学歴も収入もそこそこの中流男性がなぜ未婚なのか?この謎を解こうとしたのが拙著だった。
この謎は、 自由に職を選べるはずの学歴も収入もそこそこの若者がなぜ職を転々と変えるのか? どんな進路もサポートしてくれる家庭の子どもが、なぜひきこもりか? などと基本的に同じである。
周囲からはそんな恵まれているのに何やってるの?あなたなら少し努力すれば出来るじゃない?と言わ
メディア・コメントの難しさ
「マスコミが言っていることは、全部ウソだぜ」(岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」『家庭教師』)とは言わない。しかし、判断保留すべきところに目をつぶってメディア自身が打ち出したい視点で書いてしまうと、分かりやすいが論点がズレた記事になる。このことを今回、インタビューを受けて痛感した。そこで改めて記事掲載前にメディアに提出したコメントを再掲したい。
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3人のさとり世代が産んだ新聞記事――ひとりぼっちテロ①
先月新聞社のインタビューに答えた。1ヶ月もたってしまったが、その経緯が面白いので書いておきたい。最初に記事を訂正したい。
記事:団塊ジュニア→訂正:バブル世代(おおよそ50代)
親や世間への反抗から自立に至るコースが減ったのは団塊ジュニア世代からで、バブル世代はツッパリ・ブームのようにまだ親に反抗していた。団塊ジュニアから友だち親子が現われ始める。新聞社も忙しいらしく、こちらの修正要求を反映し
『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅱ
坂本の音楽についていえば、出来るだけ農民たちに寄り添おうとしながらも、距離を測りかねているところがある。映画音楽は極めて控えめに農民たちの気分を補い、場面場面をつないでいるが、それでも違和感が残る。映像の魅力でなくてもいいかなと一瞬思うが、やはりないと映画として成立しない。このあたりをどう考えればいいのか。
これは坂本の立ち位置に関係すると思う。世界の“サカモト”は、現代文明の最大の受益者で
『アレクセイと泉』ーー坂本龍一の転回 Ⅰ
坂本龍一が亡くなった。しばらく呆然としたが、徐々にその影響力を改めて思い返し始めた。坂本の音楽や思想とは何だったのか?その膨大な作品は「世界のサカモト」という形容が邪魔して何が本当によい作品なのか分からなくなっている。世評を振り切って「良い物もある 悪い物もある」(スネークマンショー、YMO『X∞Multiplies』1980年所収)の精神で自分なりに坂本の音楽にを再度見極めてみたい。
今回
崩落する優雅な都--映画『アデーレーー名画の帰還』2015年
本作は、古き良き時代の都ウィーンから逃れてきた老婆の過去と彼女が長年気にかけていたクリムト作の叔母の肖像画、それを取り戻そうとする同郷の若い弁護士の法的劇がテンポよく展開され、飽きさせない(本作サイト)。
ホロコーストの物語であり、法廷ドラマでもあり、かつ当時のウィーンの人びとや芸術家たちのドラマでもあるといった多面的な面を散漫になることなく上手く畳み込んでいる。
それにしてもウィーン
上野千鶴子・結婚報道――『未婚中年ひとりぼっち社会』の著者は思う。
ネットで「上野千鶴子は結婚していた。言行不一致だ」などと書きたてているので、週刊新潮の3月2日号を購入。新潮ではさすがに慎重な書きぶりで、「結婚していた可能性もあるが、養子縁組の可能性もある」としている。週刊誌らしくちょっと煽ってみましたというところか。つまらないことに、小銭を使ってしまった!
ただ私は上野の非婚主義は独断的でヒドイと思っている。そう思ったのは上野と岡村靖幸の対談を読んだ時だ