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親の心子知らずはいつまでも

 私が幼い頃から母は、誰よりも早く起床して家族全員分の朝食と弁当を作っていました。朝食を作ると家族全員を起こして回ります。家族が朝食を食べたら皿洗いを一人でやって、バタバタと出勤していました。

 今の私は実家暮らしでは無いので、あの頃と比較すると作らなければならない食事も減ったものの、母親は60歳を過ぎた今でも朝は誰よりも早く起きて家事をしています。

 朝だけではなく、母親は常に家事をしていました。洗濯掃除食事の支度と、日中の母親は常に動いている印象がありました。母親が休まる時間というのは私が見ている限りは、家族全員が夕食を食べ終わり、皿洗いと翌朝の朝食の準備を終えるとにわかに自室に入りタブレットで韓流ドラマを見ている時だけのように思えます。

 元々、私の実家は“人間より野生動物の方が多い超の付く田舎”にあるので、家事というのは女性の仕事という価値観がまだまだ残っていると感じます。実際、私自身も女性とはそうあるべきだと社会人になるまでは当たり前の価値観だと思っていました。

 おおよそ現代には適合しない価値観だと今は思います。


 学生の頃の私は、毎晩インターネットの海に潜り込みネットチャットとオンラインゲームに没頭していました。睡眠時間を削りまくってオンラインの世界にハマっていたので、ほとんど昼夜逆転と言っても過言では無かったのです。休日はほとんど寝ていなかったと記憶しています。

 それでもどんなに体調が悪くても発熱が無ければ学校に行けと母親から尻を叩かれていたので、学生の頃の私は言わば"毎日出席する引きこもり"という状態でした。

 この辺の話は私の以前書いた下記note記事にも書かれています。

 社会人になり、一人暮らしを始めると堕落した生活により一層拍車が掛かります。

 決して学の良い家系ではありませんでしたが、だからこそ皆勤と食事に関する教育だけは徹底していたので、3食しっかり形として食べて余程の体調不良でない限りは出勤していました。しかし、栄養バランスというのはほとんど考慮していなかったと記憶しています。

 朝はグラノーラやオートミールやバナナ一房、昼は会社の仕出し弁当、夜は同じ米が原料ならというトンデモ理論の元、日本酒だけをたらふく飲んで寝るというような生活でした。

 洗い物やゴミがどんどんと溜まっていき、ゴミ屋敷になっていました。

 結局荒んだ食生活とストレスフルな仕事によって、私は痛風やら色々な疾患を抱えた時期もありました。いずれにしても母親とは相対的な生き方をしていました。自分の事すらままならないような生活でした。そして、それを是正する気も無く、太く短く生きようなどと宣っていました。

 いずれにしても、母親のような生き方は一生出来ないと、私は思っていたのです。


 変化のキッカケというのはどこにあるか分かりません。

 私は2年前からパートナーと同棲生活を始めました。同棲生活の初めの内は互いに“良いように”見せようとするものだと私は思います。

 私は飲酒を控えて、朝食はしっかりとご飯を炊いて、味噌汁を作っておかずを作って、夕食も同じように調理するようになりました。次第にパートナーも家事に参加するようになり、今では2人の精神的や体力的なコンディションでフレキシブルに分担しています。

 同棲生活における家事分担に関しては、私が以前投稿した下記note記事でも書きました。

 今は基本的にはパートナーがメインで家事をしています。しかし、どんなに私の残業が長くてもパートナーが疲れたり体調を崩していたら、家事をするようにしています。また休日の家事も私がするようになりました。

 互いに“良いように”見せようとしている内に、それがいつの間にか癖ついたのです。

 学生時代から一人暮らしをしていた頃まで散々荒んだ生活だった私は、今となっては休日に朝5時に起きて、朝食の準備をしたり、朝の軽い運動をしたりと質の高い生活を送るようになったのです。

 また、他の家事についても、部屋のホコリや食器の洗い物が残っていたりすると気になってしまい、片付けないとモヤモヤするようになりました。

 私たちの同棲生活はパートナーに無理を言って岩手という地に連れて来て始まったのです。ですから、私が家事を率先してやるのは、パートナーが毎日楽しく幸せに暮らして欲しい、そしてそれが末永く続いたらなという願いから来ています。

 もしかすると、実家暮らしの頃に見ていた母親の姿を私はしているのです。


 パートナーと同棲してからも、月に一回は実家へ帰るようにしています。

 帰るたびに母親は“私の生活が荒んでいるから部屋が散らかって大変でしょう?”とか“食事の準備が面倒でしょう?”とか“朝起きないから迷惑でしょう?”とパートナーに言いますが、全くそんな事は無いと否定してくれています。

 しかし、母親は私のそういった変化をなかなか信じてはくれません。

 私が料理を作れるようになったという証明に、ある日帰省した時に昼食を作ったこともあるのですが“たまたま気分が乗っただででしょ”と一瞥されてしまいました。

 いくらパートナーが私が“とても質の良い生活を作ってくれている”と言っても信じてはくれないのです。それほどまでに、実家暮らしの頃は家族にどっぷり甘えた生活態度だったのでしょう。


 幼い頃の私は母親が自分の時間を削りに削って私たちのお弁当を作ったり、日常のありとあらゆる家事をしてくれたのは、田舎の古めかしい価値観にあるものだと思っていました。

 しかし、今になって振り返ると母のボリューミーな食事や休みも休みとは言える事の無い日々の家事は、そういう田舎特有の価値観を超越して私たちの幸せを願っていたのかも知れません。

 私が母を勘違いしていたように、母は今の私をまだまだ怠惰な生活をした気分屋だと思っています。

 わざわざ母に家事をどう言った気持ちで取り組んだのかとか、私が本当に家事をしているぞと言うつもりはありません。そこに親子の思い違いがあっても良いのです。

 しかし実際は、パートナーとの同棲生活を通して"子"としてのものの見方では無く"親"の視点としての見方を私は出来るようになりました。

 先日私は誕生日を迎えてまた一つ年を取りました。年を重ねても、自身の内面的精神的な成長というのは主観では分かりにくいものだと思います。

 私の"子"の立場やものの見方から"親"の視点へ切り替わりというのは成長とは言えるのではないかと個人的には思うのです。

いつまで経っても子供は子供と言います。
親の心子知らずという諺もあります。

 きっといつまで経っても私と母は"知らず"のままなのでしょう。しかし、それは決して軋轢やすれ違いなどでは無く、人として必然的なものなのかも知れません。

 しかし、そういう"ものの見方の変化"を感じると、人生のフェーズもまた変わって来たのかなとアラサーを迎えた私は思うのです。

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