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読書記録:母性 (新潮文庫) 著 湊かなえ

【暗闇の中で必死に手を伸ばす、母への無償の愛】


【あらすじ】

とある女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。
娘の母親は言葉を詰まらせる。

「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんな事になるなんて」

世間はいたずらに騒ぐ。
これは事故なのか、自殺なのか?

そして、時を遡る事、十一年前の台風の日、彼女達を包んだ幸福は、突如として奪い去られた。

母の手記と娘の回想を回顧して、浮上する真相。
これは事故なのか、それとも。

類を見ない「母と娘」を巡るミステリー。

あらすじ要約

女子高生の不審死を巡って、母親の手記と娘の回想を紐解く中で、母性に関する歪な真相が浮かび上がる物語。


正しい行為には、必ずしも理由は求められない。
得てして悪い行為には、必ず原因が伴い、人は知りたいと欲する。
愛能う限り娘を大切に育ててきたルミ子。
無償の愛に包まれるには正しく在らねばならないと己を律して来た。
太陽のような母が居なければ、月のような自分は石ころ同然で。
しかし、愛とは不透明で曖昧な物。
母にして欲しかった事を娘の清佳にしてあげる。

しかし、それは愛されてるんじゃなくて、体裁を整えてるだけにすぎない。
無償の愛を受けて育った人間でも、その愛の形が歪んでいると捻くれた人間になってしまう。
母に褒められる為、喜ばれる為、それが行動原理の人は自主性という物がなく、自分の世界の中心が永遠に母親である。

我が子の清佳より祖母を崇拝するルミ子。
清佳に自分の過去と理想を押し付ける。
清佳は母に振り向いて欲しくて、気に入られる為の健気な行動をする。
そうやって、人生の主軸を他人に委ねれば、自分の善意を他人が省みないと、「私はこんなにしてるのに」と筋違いな恨みを抱く事になる。


血の繋がりのある娘よりも義母に娘として認めてもらう事で自分をアイディンティティを保とうとするルミ子。
ままならない現状を嘆いて、自分の都合のいいように物事を解釈してしまう。
自分はいつだって悲劇のヒロインで、可哀想な被害者だと思い込む。
そんな歪んだ願望にさえ、自身は無自覚で、何の疑いも反省もなく回想している姿には、沸々と怒りがこみ上げてくる。

しかし、そういった姿は何もルミ子だけではないだろう。
自分の自己肯定感を上げる努力を怠り、自分の価値をブランド物やパートナーの職業、子供の学歴で上げようとする人は世間ではたくさん存在する。
それは、自分自身を愛する事ができない人。
だからこそ、別の価値ある物に依存していく。
他人をリスペクトしているようで、その実、そういった人は他人を自分の都合のよい小道具にしか思っていない。


そういった態度は、自然に振る舞ってみせても、他人から見れば愛のパフォーマンスだと一目瞭然で分かってしまう。
そんな自分のない人間と本当の人間関係を築きたいとは思えない。
そうやって、上辺だけを取り繕った居心地の悪い人間関係が出来上がっていく。

他人に過度な期待をするから、勝手に失望してしまう。
自分の思い通りには人は動かないし、育たない。
そうやって、他人を操作しようとするのは、傲慢であると言わざるを得ない。

そして、それよりも酷いのは、夫の哲史である。
嫁姑問題にも無関心に見て見ぬふりで、妻と娘の関係性に気付いていながら目を背けた挙句、最後には浮気に溺れる父性の自覚がないクズである。
両親の関係に偏りがあるから、子育てもどこか常軌を逸した物になる。

祖母に認めてもらって育ったルミ子は、その育ての母のように娘を育てようとしたが、育ての母の死をきっかけに、縁故のある田所家へ移り住む事になる。
しかし、田所家の待遇は最悪であり、環境の変化によって、「美しい家庭」という理想像が一変してしまう。

生まれた時には母親に備わってはない母性。 
自然と母親になれる訳ではない。
母は我が子のおかげで『母』として成長していく。
子供は親が考えている以上に親の事を見ている。
何故なら、親が子供にとって最初の人生の見本だから。

幾重もの経験から生まれるそれは、積み重なった人間同士の情の中で作られていく物である。
受け取る愛情と与える愛とは、今まで自分が育ってきた環境によって比例する。
家族とは、生まれながら定めされた呪縛であり、逃げ出せないコミュニティでもある。
誰かにされた嫌な事は悪循環のように、命ごと次に繋いでしまう。 
そうして歪んでしまうのは、本当の自分を愛されたいという承認要求からくる物である。

正しい子に育てよう、よい子に育てようと、適切に育ててきたつもりでも、受け取る側の子供は、その愛をどう受け止めるのか。
本当の気持ちを正しく理解して伝えるのは難しい。与えるよりも、どう受け取ってくれたのかを感じ取る事が大事なのかもしれない。
このように人は生きている限り、愛を求め続けてしまう。
ルミ子の想いは、祖母が愛した詩や絵画のような家庭像にしか向いていない。
祖母へ向けた手の込んだ刺繍や贈り物すら、どこか虚しい。
それでも、祖母への視野狭窄に陥っていたルミ子の愛情が正しく娘を捉えた瞬間、娘の名前をしっかりと認知した事は、ハッとさせられるような救いが用意されていた。

愛とはただ漠然と与えるだけでいい物ではない。
誰の為に、どんな言葉をかけて、何をしてあげるのか?
これらを常に省みる事が大切で、愛されていると思い込むのは危険である。
託された願いも捉え方を間違えれば、自分を縛る呪いとなるから。
愛されすぎた人は愛し方を知らないかもしれない。
そして、正しい愛という物もこの世にはないのかもしれない。
それは、実態のない愛という物を暗闇の中で探すような物である。

血が繋がっているから分かり合えるなんて幻想であり。
それぞれが別の人間であると周知して、歩み寄り、分かり合う為の努力をする事が必要である。
言葉がなくとも、気持ちが伝わる関係というのは理想ではあるが、やはりちゃんと言葉にしなければならない場面はあるのだ。

そうやって気付けた教訓を大切に抱えて、自分なりの無償の愛で、子供を導いていくのだ。














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