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性格悪いからあの子の悪口ぜったい言わない

わたしは今日のTwitterライブでも他人の悪口を言いまくったので性格が良いです。

お友達のnoteの感想文を、女としての立場から書きます。

全面的に概ね同意なんだけど、私の立場というか立ち位置というか、そういうものとしてはいわゆる弱者とかマイノリティとか、最近やっと声をあげられている人たち側かなと思っているのでそちらの視点からしか言えなさそうなことを書きたいと思います。

私にしか言えないことなんて、そんなものあるのか?!想像力でだいたいカバーできるわ!って賢い人ほど思うかもしれないんですけど、まあ面白く書けた気もするので読んでくれてもいいんじゃないかな。

フェミニズムとヴィーガニズムとアンチナタリズムについての私のスタンスはまあ、思想としては理想であって、わりと好きというか支持はするけど当事者にはなりきれないなってところがあります。

まず人間という存在はなんだか滑稽で、気持ちが悪くて、酷く汚いなあと、7歳くらいから思い続けているんですね。
昔はうまく説明できなかったけど、なんというか能力や思想、態度が実存を超えすぎてしまっているのがどうも受け入れられないんですよね。簡単に言えば行動範囲以上にテリトリーを広げすぎたというか。
厭世主義傾向な理由は他にもあるけど、根底にはそういうモヤモヤがあります。

そうは感じながらも、お肉とバターと鰹出汁が好きすぎるのでビーガンになんてなれないし(本むら庵の鴨南蛮食べたいなあ) (じゅわじゅわぁなクイニーアマンも食べたいなあ)(いのうえの焼肉も行きたいなあ)フェミ的な活動に没頭できるほど強くもないし根気もないし、友だちの子どもは可愛いからプレゼント送っちゃうし子供服も好きだから永遠に見てられる。

色々と思うところはありつつも、自分の意見だけを押し通すのは頭の悪い人たちのすることなので、できれば誰も苦しめずに、誰からも責められることなく、はやめに死んでいきたいし私の子孫は残したくない、みんなそれぞれうまくやってくれ。基本的にはそんな態度をとっています。

ゆるゆるすぎてガチの人たちからはこれでもかというくらいに、今日の昼間にうどん生地を必死で延ばした私のように、ぐりぐりゴリゴリにぶっ潰されそうですが、だいたいこんなスタンスで生きてます。

脱コル生活できたらいいなあとは思いつつ、noteでこういう発言をして、見くびられないように勉強したり本読んだり、バカにされないように自分でも力をつけて、坊主にするくらいが関の山というか。

どこか冷静で、いやでも時々すべてを見失ったりして、人間らしく、清く正しく美しく、そして可愛く強く綺麗に楽しく、そんな存在として、衆生の生き方のお手本として、生きているんですね。

自己紹介が長くなりすぎました。

何が言いたいかというと、思考停止が嫌なのもめっちゃわかるけど、人類みんな滅亡しちゃえばいいっていう単純明快かつ壮大なハウエル大先生の考えに引きずられる都合の良さが気に入らないのもわかるけど、でも正しい気がしちゃう気持ちもわかってほしいし、まあでもそれは動物としての本能に逆らうから難しいし、でもでもだとしたら可能性としては

1. 人間が存在してしまうからにはできるだけ苦しまず苦しめず、なんとか生きよう
2. みんなで死のう、絶滅しよう

極端にわけるとこうなると思うんですよね。
まあ人間がいなくなったところで他の動植物が地球やこの世界にいる限り、どこかで誰かが虐げられるんだけど。

人間の、いや個人のことだけを考えればまあ、2になってもおかしくないし、むしろ自然な流れな気もしますね。
ただ、この世を回すポジションにいる大多数の人間は、既に子をもっていたりするわけですよ。本能に従ってなのか、私の上の上の上の考えで生きているのか、形而上の世界にいるのか、単に何も考えてないのか、こねくり回してる間にできちゃったのか、妊娠のメカニズムを知らなかったのか、それはきっとそれぞれだしわからないけど。

となると自分の過去や現在、ひいては子の存在まで危ぶむ可能性のある2にはそう簡単に振り切れませんよね。
自分が子をもって、つまり親になった段階にいれば、それはもう意見をひっくり返せないのもわかる。のっぴきならないよな、とも思うわけですね。

でも子をもってない段階で2を支持する人のことも理解はしてほしいわけですよ。
人を殴りたくなんてないし、傷つけたくもないし、そんな可能性はひとつでも潰したいんですよ。

1でも2でも、共通するのは他者に怯えてるってことかなって思います。よく言えば配慮ですかね。
まあみんな責められたくないからね!加害者になんてなりたくないからね!積極的に加害者になれるのはよほどのバカか圧倒的に強いバカだから!

ただやっぱりフェミニズムに関しては、女は女というだけでどこかでずっと抑圧されてきた歴史があって、場合によっては抑圧までいかなくとも「女は男じゃない方」みたいな雰囲気のある社会ではあると思っていて、それに気づかず死んで行った人もごまんといて、それはそれで不幸だったかと言われればそうでもないかもしれないけど、社会全体としては損失だったかもしれなくて、そこは置いておいても、まあ仮になんだけどお腹が弱いのとかとにかくいつもめっちゃ眠いのとか、集中が続かないだとか頭がとっちらかって言いたいことの半分も言えないだとか、そういう「自分はそういう人だから仕方ない」で済ませてなんとなくやり過ごしてきたものが、ほんとうはどうにかなるもので、でも原因がまっっっったく予期してないところにあったとするじゃないですが、二枚重ねのトイレットペーパーを使ってるからとか。

いやまあバカバカしい例えだとは思うし、そしたら二枚重ねを使うのやめればいいじゃんって思うんですけど、そのとき市場に出回っているトイレットペーパーが二枚重ねしかなかったら?ぺらぺらシングルもふわんふわんトリプルも、お花柄のぽこぽこメルヘンロールも売ってなかったら?

気づけないだけじゃなくて、対処もできないじゃないですか。
なんとなくしんどかったのは二枚重ねのせいだったのか!ってなっても花王やクリネックスがふんわりダブルロールしか製造してなかったら、当分はどうしようもないじゃないですか。

そのときそれに気がついた誰かがぺらぺらシングルロールを売り出したらそれがバカ売れして、まあそこまではいいとして、今まで二枚重ねを売ってきたメーカーがバシバシに、そりゃもうピザ生地かってくらいに叩かれてる(部分もある)のが今のフェミニズムの流れかなって感じるんですよね。

二枚重ねでも眠くならないしお腹も下さないし論理的に話せるしTwitterやってたら夜更かししちゃったとかそんなバカな生活習慣もないしって人は今まで通り、従来のふんわりダブルロールを買えばいいけど、そうじゃない人は自分にあったぺらぺらシングルロールかふわんふわんトリプルか、はたまた揉んだ新聞紙か、そういうのを作って試して使いましょうねってことなのかなって思います。

その際にも、自分がふわんふわんトリプルを好むからって揉みくしゃ新聞紙をバカにしたり、揉みくしゃ新聞紙勢がシングルロールをライバル視したり蔑んだり、メルヘンロールを揶揄したり、そういうのはやっぱりバカだよなって思うわけです。

いやまあ今の世界の、性差別だとかそういうのは普遍的にどこの誰がどう見てもヤバい部分はあるからふんわりダブルロールで例えるのはやっぱりバカか。

毒親とかで例えた方がよかったか。
毒親だったけど感謝してますとかいう文書を読むと吐き気するからそれはそれで違う気もしますね。うまく書けませんね。

でも今の私の考えやスタンスはだいたいこんな感じです。

あとは今強い立場にいる人も、仮に過激派フェミが政権をとって「私たちが苦しかったのは高学歴男たちのせい!高学歴男は強制労働所へ収容すべき!」ってヒトラーみたいなことを言い出したりしても上手いこと立ち回れるように備えておきなよ、と思ってみたりもしました。

言いたいことの15パーセントくらいしか言えてない気がするので私の賢さは少なく見積もってもあなたが感じた6倍以上だと思ってください。言えてないから賢くはないっていう意見も差し引いて、まあまあ賢いってことにしてください。
壮大な机上の空論で遊んでないで自分とその隣にいてくれる人をまずは愛せよっていう想いもまあまあきちんと持ってます。愛する人をください。

とにかく力をつけないと生きていけないなあと思う日々なので、読んで書いて考えて筋トレしてストレッチしてよく眠ってビタミンとタンパク質を摂取して、いい感じに過ごしたいですね。

三ヶ月に一回くらいは好きな人たちと集まってだらだらトランプしておしゃべりしてじゃがりこ食べてトロピカーナ飲んでコンビニ行ったついでに車道で側転したり、そういう夜更かしもしたいです。場所はゴールドコーストか四ツ谷あたり。

おわり(仮)

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