【夏の旅】旅のをはり at 信濃追分(2019.08.01)

画像1 「夏の旅 Ⅰ 」咲いてゐるのは みやこぐさ と 指に摘んで 光にすかして教へてくれたーー 右は越後へ行く北の道 左は木曽へ行く中仙道 私たちはきれいな雨あがりの夕方に ぼんやり空を眺めて佇んでゐた さうして 夕やけを背にしてまつすぐと行けば 私のみすぼらしい故里の町 馬頭観世音の叢に 私たちは生れてはじめて言葉をなくして立つてゐた
画像2 旅の終わり。信濃追分駅を出発し、追分宿の方へ車道をひたすら歩いていく。車の通りが多い。歩いていく人など誰もいないなかを歩いていく。
画像3 林のなかを歩いていく。濡れた道。いつまでもいつまでもこの道は濡れているのだろう。そういうにおいがする。
画像4 「夏の旅 Ⅱ 」小さな橋が ここから村に街道は入るのだと告げてゐる その傍の槙の木のかげに 古びて黒い家……そこの庭に 繋がれてある老いた山羊 可哀さうな少年の優しい歓びのやうに 誰かれにとなく ふるへる声で 答へてゐる山羊ーー いつもいつも旅人は おまへの方をちらりと見てすぎた
画像5 「夏の旅 Ⅲ 」村中でたつたひとつの水車小屋は 夏が来て 屋根を葺きかへた 一日たのしい唄をうたつて飽きない あの水車小屋は何をしてゐるのだらう 小川よ 太陽よ おまへらの緩い歩みにしらべあはせて あの水車小屋は何をまはつてゐるのだらう
画像6 追分宿にある「夢の箱」。美しいきまりがある。
画像7 「夢の箱」のなかにはほんとうに夢が詰まっていた。幾夜も幾夜も見るべき夢がそこにはあるのだ。
画像8 堀辰雄文学記念館。ようやくたどりつく。もう何年ぶりになるだろうか。こんな佇まいをしていたのだろうか。
画像9 「夏の旅 Ⅳ 」昔むかし僕が夢を美しいと信じた頃、夢よりも美しいものは世にはなかつた。しかし夢よりも美しいものが今日僕をとりかこんでゐるといつたなら、それはどんなにしあはせだらうか。信濃高原は澄んだ大気のなかにそばが花咲き、をすすきの穂がなびき、遠い山肌の皺が算へられ、そのうへ青い青い空には、信じられないやうな白い美しい雲のたたずまひがある。
画像10 辰雄さん、ご無沙汰しております。元気でしたか。僕はいろいろありましたけれども、元気にまたここを訪れることができました。いいところです。
画像11 辰雄さんが待ち望んだ書庫、あなたが亡くなる10日前に出来上がったそうですね。本のならびまで考えていたというのに、残念でなりませんね。しかし、この茶室然とした佇まい。こんなに美しい書庫も他にないでしょう。
画像12 「夏の旅 Ⅳ 」わづかな風のひびきに耳をすましても、それがこの世の正しい言葉をささやいてゐる。さうして僕は、心に感じてゐることを僕の言葉で言ひあらはさうとはもう思はない。何のために、ものを言ひ、なぜ訊くのだらう。あんなことを一しやう懸命に考へることが、どこにあるのだらう。Tよ、かうしてゐるのはいい気持。はかり知れない程、高い空。僕はこんなにも小さい、さうしてこんなにも大きい。
画像13 油や。堀辰雄や立原道造が泊まっていたところ。しかし、立原道造はここに泊まっていたときに建物が火事で全焼してしまうが、九死に一生を得た。どれだけ恐ろしかったろうか。
画像14 軽井沢高原文庫の立原道造詩碑。道造さん、どれだけあなたに憧れて、ここまで来たか。あなたに会うのも、もう何度目になるか。
画像15 「夏の旅 Ⅴ 」霧のふかい小径を よくひびく笑ひ声が僕を誘つた はじめての林の奥に 白樺の木のほとりでーーああ 僕のメエルヘン! (梢は 風に飛ぶ雲の歌をうたつてゐる) 薊の花のすきな子であつたが 知らぬ間に僕の悲哀を育ててゐた みちみち秋草の花を手折りながら 帰るさ ひとりの哀しい墓に 憂ひの記念に 僕らは 手にした花束を苔する石に飾つて行つたーー
画像16 有島武郎が情死したという浄月庵。こんな恐ろしいところがカフェになっているとは。
画像17 いつの世も、スキャンダルというものの報道のされ方は変わりはないものだ。
画像18 全身腐爛して顔も定かならず。どれだけの恋だったというのか。
画像19 再び、辰雄さんの別宅を訪ねる。とても、いい別荘ですね。しかし、夜はすこし心細いような気がします。
画像20 「夏の旅 Ⅵ 」夏は慌しく遠く立ち去つた また新しい旅に 私らはのこりすくない日数をかぞへ 火の山にかかる雲・霧を眺め うすら寒い宿の部屋の部屋にゐた それも多くは 何気ない草花の物語や町の人たちの噂に時をすごして 或る霧雨の日に私は停車場にその人を見送つた 村の入口では つめたい風に細かい落葉松が落葉してゐた しきりなしに ……部屋数のあまつた宿に 私ひとりが所在ないあかりの下に その夜から いつも便りを書いてゐた
画像21 このあたりを散歩するのは気持ちがいいですね。辰雄さん。
画像22 ああ、この水車なんですね。村中でたつたひとつの水車小屋。
画像23 そのステッキとベレー帽、ゆるいネクタイとニットのセーターを着て、この村を歩く。そんな姿を、ずっと思っていました。
画像24 シューベルト「冬の旅」。あなたが、道造さんに教えたのですか? 道造さんは、彼なりの「夏の旅」を書きました。僕は、その「夏の旅」をしています。とても、美しい旅です。しかし、それももう終わりです。また来ます。また、来ます。
画像25 「夏の旅 Ⅶ 」旅のをはり 昨夜 月の出を見たあの月が 昼間の月になつて 朝の空に浮んでゐる 鮮やかな群青は空にながれ それが散つては白い雲に またあの月になつたと 幾たびかふりかへり見 幾たびかふりかへり見 旅人は空を仰いで のこして来た者に尽きない恨みを思つてゐる 限りないかなしい嘘を感じてゐる(立原道造「夏の旅」より)

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