見出し画像

noteの記事すら書けないやつに、いったい何ができるというんだ!?

【前回のあらすじ】

記事を一切書かないことで、北山・四ツ谷からキツイ叱責を受けた高端。
新たに締め切りを設定し直し再チャレンジする運びとなったが、果たしてその結末は……?

▼▼▼高端が書くことになっていたおススメ本の記事▼▼▼

早速、高端の最新稿を見てみよう。
こちらだ(※下記引用部)。

残念。分量はなかなかだが、今回も完成させることはできなかった(あーあ)。

すでに締め切りを破ることが常態化してしまっているので、重ねて破ることにも抵抗がなくなっている。

だから、締め切りを破ることは怖いのだ。

さて、締め切り締め切りと実に煩いが、本当のところ締め切りなんて大した問題ではない。ともすれば見失いがちだが、締め切りを守ることはあくまで「手段」であり、「目的」ではないからだ。我々の「目的」はあくまで成果を出すことにある。

仮にいくら締め切りを破ろうとも、成果さえ出ていればまったく問題ない。気まぐれに一年に一度しか記事を書かずとも、たとえその記事が完成しておらずとも、その記事が万バズしたのであれば、その記事によってフォロワーが1万人増えたのであれば、それで一向にかまわないのだ。

しかし、現実問題、我々にそんなことができるだろうか?

もしもできないのであれば、凡人の我々は凡人なりにせめて「続ける」ことを頑張るしかない。
万バズもない、定期更新もないアカウントなんて、存在しないに等しいから(そもそも公開しないとバズる余地もないしね)。

世に「強制されること」を嫌う人は多いが、それが許されるのは、強制されなくても成果を出せた、実績と能力のある人間だけなのだ。
「強制するな」と言うなら、せめて一度は成果を見せないといけない。

我々は一度も成果を出せていない
つまり、「強制される」しかないのである。

おっと、筆が走りすぎたうえ、話が逸れてしまった。
とまれ、高端の成長については、今後の記事を読んで見守って欲しい。

皆様からの応援コメントやご意見もお待ちしております。

▼▼▼残念ながら完成しなかった記事の残骸▼▼▼

『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド攻略本』

「ゲームは1日1時間まで」という厳格な躾を受けて育てられた私は、間違いなく当のゲームのプレイ時間よりも長いこと本書を読み耽っていた。

1時間という絶対的に限られた時間の中で、明日はどう進めようかと妄想を膨らませることに、非常な楽しみを感じていた。

なかなかに分厚い本ながらも、ポケットサイズのため持ち歩きに重宝し、家族旅行に出かけるときでさえ携帯していた。
学校での朝読書の時間のために、カバーをつけて持って行ったことがあるが、罪の意識からか全く楽しく読むことができなかった。良心の呵責というものを教えてくれたのもまた、本書であった。

『百人一首』
中学生の頃、国語の授業で百人一首を覚えさせられた。
引き際、逃げるということを教えてくれた本。

流れ

中学生の頃、多くの人が国語の授業で覚えさせられたであろう。

当時の私は成績優秀、授業態度もまじめ。当たり前のように、先生から言われた通りに10首ずつの暗記を着々と安易とこなしていた。

学年全体での百人一首大会があり、学校1,2位を争うヤンキーと同じグループになった。予行練習で淡々と素早く札を取り続けていると「お前キモイな」と目をつけられた。ビビり散らかして大会当日は体調不良を理由に休んだ。

まじめに正攻法で行ってもダメなときはダメ。容易に戦略的撤退の人生を選べるようになった。

『ライ麦畑で捕まえて』(J. D. サリンジャー)
1980年12月8日、ジョン・レノンが凶弾に倒れた。犯人であるマーク・チャップマンが愛読書として、本書を犯行現場に持ち合わせていたことはあまりに有名だ。

「僕はライ麦畑で、ただ走り回る子供たちが崖から落ちないように見守る、捕まえる人になりたいんだ」
*本文要確認、拙訳
病気で亡くした弟、歳の離れた妹。主人公は弱いものに優しい。世の中にぶつくさ文句を垂れながらも。
ロシア留学中、孤独に苛まれていたとき現地の小さな本屋で買ってロシア語で読んだ。
旅行先のポーランドの古本市場で、北海道の空き家で、はたまた婚約者が去って行った後、本書が常に孤独な私を癒してくれた。
どんな適当なページを開いてちょっと読むだけでも、主人公が旧友のように語りかけてくる。安心がそこにある。
チャップマンもそのような気持ちで本書を持ち歩いていたのではなかろうか。

『アー・ユー・ハッピー?』(矢沢永吉)

元来私は相当の楽観主義者であるが、この本を読んでさらに楽観に磨きがかかった節がある。

「どんな苦労もおれのストーリーの1ページだ。」
*要確認
当時、私は仕事を辞め、婚約者に振られ、その上長年患っていた痔が悪化を極め、ついには夜眠ることさえ困難になった。これまで場当たり的にのらりくらりと生きてきた私でも、流石に絶望しかなかった。

肛門科に(慎重に歩いて)駆け込み、数日後さっそく痔の摘出手術のために入院することになった。他に誰も患者のいない広い共用部屋で1人ぽつねんと横たわっていたが、幸い家から数冊の本を持ち込んでいた。その中の一冊が本書であった。

暇になって余計なことを考えないようにと、読み進めていくものの、正直彼の言うことのほとんどは、あまりに自己肯定感と自信と行動力に満ち溢れ過ぎていて、共感もできず参考にするべきことも無いように思われた。

「おれはこんなに苦労して大変だったよ、でも頑張ったから今の成功があるんだ」

成功者の著作にありがちだが、終始こんな調子に感じられてしまう。私は日頃から明確な目標を持って生きるタイプでもないので、そもそも熱意をもって頑張るモチベーションもない。

そんな私に唯一響いたのが冒頭の一節だ。
確かに、当時の自分は人生で過去1番最低な状態にあった。希望も持てず、自らの過ちについて回想するか、定期的に訪れる肛門の激痛に耐えるか以外のことは何もできないに等しかった。

しかし彼の見方によると、これは私の人生における谷、いわば見せ場の1シーンになり得るのだ。どんな物語のヒーローにも、悪役に負けそうになるピンチを持たせるものである。
そう言われてみればそうだな、私のストーリーの悪者はいぼ痔か。それはそれでおもしろいぞ。アハハ。
そこで初めて私は自身の状況を客観視し、気楽に笑うことができるようになった。

それからというもの、人生に対するモチベーションにこそ変わりは無いが、絶望はほとんど起こらなくなった。大変なことがあって沈んでも、そのうち上がるタイミングが来る。何のイベントも起こらない人生より楽しい。全てのことは、おれの人生の1ページなんだ。今日なんてこの一冊分書けた、悪くないじゃないか。


この記事が参加している募集

マンガ感想文

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?