哲学と思想の文明論ノート:純丘曜彰

大阪芸術大学芸術学部教授。美術博士(東京藝術大学、美学)、文学修士(東京大学、哲学)。…

哲学と思想の文明論ノート:純丘曜彰

大阪芸術大学芸術学部教授。美術博士(東京藝術大学、美学)、文学修士(東京大学、哲学)。成城学園、東京大学文学部卒。テレビ朝日報道局ブレーン 、玉川大学文学部講師、東海大学総合経営学部准教授、ドイツマインツ大学メディア学部客員教授を経て、現職。専門は、哲学、メディア文化論、文明論。

最近の記事

『ヘッラスの栄光』エピローグ:王帝とヘッラスの衰滅

第一節 永遠の青年たち (324~323 BC) 1  大合同結婚式 (324春 BC)  老兵たちの送還 (324夏 BC)  ハルパロス事件 (324 BC)  ヘープハイスティオーンの死 (324秋 BC) 第二節 栄光の歴史の結末 (323~322 BC) 7  ラミア戦争の勃発 (323秋~22春 BC)  ヘッラスの再征服 (322夏 BC)  アテヘェネー市の屈辱 (322秋 BC) 第三節 形而上学の遺産 12

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    • 『ヘッラスの栄光』第七章:アレクサンドロスの大遠征

      第一節 神話を実現する男 (335~332 BC) 1  「世界」への旅立ち (335 BC)  動く国家 (334春 BC)  グラニコス川の戦い (334春 BC)  小アジア半島西岸 (334夏~秋 BC)  小アジア半島南岸 (334冬 BC)  ピナロス川の戦い (333春~秋 BC)  捕虜の皇妃スタテイラー (333冬 BC)  スル市士国攻城戦 (332春~夏 BC)  エジプト入り (332秋~冬 BC) 第二節

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      • 『ヘッラスの栄光』第六章:マケドニアの旋風

        第一節 嵐の予感 (360~c353 BC) 1  プヒリッポスとアルタクシャティラーの登場 (360~57 BC)  海上同盟内戦争 (357 BC)  ディオーンの反将主闘争 (357 BC)  老プラトーンの神話的新三部作の構想 (c357 BC)  老プラトーンの最後のひらめき:『プヒレーボス』 (c355 BC)  プヒリッポス二世とディオーンの活躍 (356~55 BC)  老イーソクラテースと老プラトーンの失脚 (354~53

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        • 『ヘッラスの栄光』第五章:四ヵ国紛争の混迷

          第一節 哲人王への模索 (385~370 BC) 1  ヘッラス域内関係緊張の再来 (385~80 BC)  中期プラトーンの理念論:『プハイドーン』 (c380 BC)  ボイオーティア同盟と第二海上同盟 (379~77 BC)  天文計算学と占星学革命 (c378 BC)  スパルター敗退とイーソクラテース一派 (376~72 BC)  レウクトラーの戦い (371~70 BC)  プラトーンの《演説術》 『プハイドロス』 (c370 B

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        『ヘッラスの栄光』エピローグ:王帝とヘッラスの衰滅

          『ヘッラスの栄光』第四章:古代ヘッラスの秋

          第一節 戦後のアテヘェネー市 (405~399 BC) 1  戦後占領体制の混乱 (405~03 BC)  パールサ大帝国の内戦とヘッラス人傭兵軍 (404~400 BC)  ソークラテースの弟子たちの自立 (c400 BC)  ソークラテース裁判 (399 BC)  ソークラテースの処刑 (399 BC) 第二節 コリントホス地峡戦争 (400~390 BC) 11  パールサ大帝国の小アジア半島掃討 (400~396 BC)  中

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          『ヘッラスの栄光』第四章:古代ヘッラスの秋

          『ヘッラスの栄光』第三章:ヘッラス東西戦争

          第一節 傲慢なるアテヘェネー (c440~c29 BC) 1  サモス島遠征 (c440~39 BC)  アテヘェネー市とコリントホス市の対立 (438~33 BC)  メガラ海上封鎖とポテイダイア遠征 (432~31 BC)  ペリクレース=サークルの衰運と自然学の展開 (c435~c30)  ヘッラス東西戦争の勃発 (431 BC)  市城の中の疫病 (430~29 BC)  海戦の夏 (329 BC) 第二節 周辺都市の攻防 (428

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          『ヘッラスの栄光』第三章:ヘッラス東西戦争

          『ヘッラスの栄光』第二章:エーゲ海戦争とアテヘェネー民帝国

          第一節 パールサ大帝国の拡大 (c525~c500 BC) 1  マゴスの偽皇帝と七人のクーデタ (c525~22 BC)  ダーリャヴァウシュの登場 (522~17 BC)  サモス島とバーブ=イラーニ市の攻撃 (517~15 BC)  西北スキュトヒアへの遠征 (514 BC)  トホラーキアとリビアへの勢力拡大 (c513~c10 BC)  ミーレートス共国の復興とクロトーン市教国の最期 (c510 BC)  アテヘェネー・ローマの政変

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          『ヘッラスの栄光』第二章:エーゲ海戦争とアテヘェネー民…

          『ヘッラスの栄光』第一章:古代ヘッラス文明の成立

          第一節 ヘッラス以前のエーゲ海 (c2800~c800 BC) 1  クレーテー文明 神々の時代 (c2800~c1500 BC)  ミュケェネー文明 英雄の時代 (c1500~c1200 BC)  ドーリア人による暗黒時代 (c1200~c800 BC) 第二節 古代ヘッラス文明の曙光 (c800~c700 BC) 4  ポリスと荘園の発生  地中海大植民時代  ジオメトリック文化  ローマ市の誕生 第三節 地中海大貿易時代 (c

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          『ヘッラスの栄光』第一章:古代ヘッラス文明の成立

          『ヘッラスの栄光』 プロローグ:ヘッラスの神々と英雄

          第一節 神々の時代 1  ティーターノマキアー(巨神戦争)  オリュムポス神族と黄金族人間  神々の誕生  パンドーラーの箱 第二節 ヘッラス世界の成立 8  エーゲ海世界への進出:リュディア・プフリュギア・ペロプス半島  巨人猟師オーリーオーン、東へ行く  シーシュプホス・サルモネウス兄弟の反逆と業罰  諸都市の成立① カドモス王子の冒険とテヘェベー市王国  諸都市の成立② 黄金児ペルセウスの冒険とミュケェネー市王国 

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          『ヘッラスの栄光』 プロローグ:ヘッラスの神々と英雄 …

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第三節 盟主無き閉塞 (382~c360 BC)

           プラトーンの第三回シチリア島訪問 (362~60 BC) シチリア島東岸南部のシュラークーサー将国の青年将主ディオニューシオス二世は、アテヘェネー市のアカデーメイア学園で交際を広げる叔父義弟ディオーンを羨み恐れ、父王ディオニューシオス一世と同じく、多くの知識人を宮廷に招きました。その中には、ディオニューシオス一世以来、シュラークーサー宮廷に出入りしているアフリカ北岸東部(現リビア)の「キューレーネー学派」の老アリステヒッポス(約七三歳)もいました。  しかし、多くの知識

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第三節 盟主無き閉塞 (382~c360 BC)

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第二節 テヘェベーの閃光 (370~362 BC)

           テヘェベー民国のペロプス半島・テヘッサリア地方遠征 (370~68 BC) 強力なテヘェベー民国軍を指揮してペロプス半島に侵入した哲人将軍エパメイノーンダス(約四八歳)は、精鋭青年装甲歩兵三百人の「神聖部隊」を率いるペロピダース(約三九歳)とともに、次々と同半島内の反スパルター諸都市を解放し、それらの軍隊を同盟軍に参加させつつ、さらに進撃していきます。  このような事態に、数年前までスパルター士国を攻略していたアテヘェネー民国のイープヒクラテース(約四五歳)が、傭兵将軍

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第二節 テヘェベーの閃光 (370~362 BC)

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第一節 哲人王への模索 (385~370 BC)

           ヘッラス域内関係緊張の再来 (385~80 BC) パールサ大帝国から八七年の「アンタルキダースの和約」の遵守の監視を委任されていたスパルター士国は、その後もしばしばヘッラス半島中東部ボイオーティア地方の小市国に介入します。ボイオーティア地方の中心であるテヘェベー士国は、これに激しく抗議していましたが、八二年、スパルター士国の将軍プホイブダースの部隊は、独走して勝手にテヘェベー士国へ侵攻し、その中心のアクロポリス「カドメイア」を占拠。スパルター士国エウリュプホーン王家王ア

          第五章 四カ国紛争の混迷(385~360 BC) 第一節 哲人王への模索 (385~370 BC)

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC)第三節 独裁将主への抵抗 (390~385 BC)

           ディオニューシオス一世と政治教団の対立 (390~88 BC) かつて前五世紀半ば、イタリア半島南部では、諸市士国の政治の中枢にあったピュータハゴラース政治教団の人々が会合中に襲撃されるという事件がありましたが、このころになると、ふたたび彼らが、政治や文化の中心となって、大いに活躍するようになってきていました。  たとえば、ターラント湾東北岸のタラース市士国(現ターラント)の将軍アルキュータース(430~365 BC 四二歳)は、天才的な全能人であり、政治・軍事・宗教・

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC)第三節 独裁将主への抵抗 (390~385 BC)

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC)第二節 コリントホス地峡戦争 (400~390 BC)

           パールサ大帝国の小アジア半島掃討 (400~396 BC) 前四世紀になると、ヘッラス世界は、もはや個々独立の都市国家の集合ではなく、実質的にある程度の勢力範囲を持つ普通の国家と、その衛星同盟都市の連合に変質してしまいます。「ヘッラス東西戦争」前においては、ヘッラス半島中東部ボイオーティア地方までアテヘェネー民国の勢力下にありましたが、アテヘェネー民国の敗北によって、同地方では代わって地元のテヘェベー士国が勢力を確立。ここにおいて、ヘッラス世界は、ボイオーティア地方のテヘ

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC)第二節 コリントホス地峡戦争 (400~390 BC)

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC) 第一節 戦後のアテヘェネー市 (405~399 BC)

           戦後占領体制の混乱 (405~03 BC) アテヘェネー市の生命線である穀物輸送路を断ってとどめを刺したペロプス半島海軍副官リューサンドロス(約四〇歳)は、しかし、戦後、アテヘェネー市が支配していたデェロス島同盟に取って代わって、小アジア半島西岸中部イオーニア地方中部のサモス島を中心に、エーゲ海占領諸都市の独裁的将主と化してしまい、彼の私兵となりはてた元ペロプス半島軍は、平然と掠奪を行うようになってしまいます。彼はまた、アテヘェネー市に対しても、〇五年、ヘッラス半島北部テ

          第四章 古代ヘッラスの秋(405~385 BC) 第一節 戦後のアテヘェネー市 (405~399 BC)

          第三章 ヘッラス東西戦争(c440~c405 BC) 第四節 アテヘェネー陥落 (415~05 BC)

           シチリア島遠征 (415 BC) シチリア島は、二四年の「全シチリア島同盟」によってヘッラス東西戦争との不干渉を確立していましたが、東岸南部のシュラークーサー民国の拡大に対するシチリア島内部の対立まで解決していたわけではありません。そして、実際、シチリア島西部のデェロス島同盟側のセゲスタ市民国は、東からシュラークーサー民国に圧迫され、一六年、デェロス島同盟=アテヘェネー民帝国に救援を求めます。平和派ニーキアースは反対しましたが、戦争派アルキヒビアデース(三四歳)の強気の主

          第三章 ヘッラス東西戦争(c440~c405 BC) 第四節 アテヘェネー陥落 (415~05 BC)